「体育の日」

10月10日は、私の両親の結婚記念日でした。

1965年に結婚したのですが、1964年に「東京オリンピック」の開会式があったということで、この年から祝日となった、と聞いています。

でも、亡父は「ワシらが結婚したさかい、祝日になったんや」と、いっつも言うてました。


両親は、高校の同級生で、3年間、同じクラスでした。

しかし、亡母と亡父は、グループが違うというか、高校時代はあんまり接触はなかったそうです。

亡母に至っては、亡父のことを、あまりよく思ってなかった、と、後々こっそりと語っていました。


そして、卒業後、四条河原町で、2人は再会するのです。

亡母の父、つまり私の祖父の代から行き付けの喫茶店に行き、いろいろと話したらしいのですが、亡母は、どーしても、どーしても、亡父の名前が思い出せないのです。

そこで、亡母は、妙案を思い付き「お名刺、ちょうだい?」と言って、亡父の名前を確認し「あー、そやそや、そやった、そやった」と思い出したそうです。

当時、亡父は、五条河原町の実家に住んでいて、離れの2階を好きなように使っていました。

ホームバーを作って、友達を集め、呑んだり食べたりしていたそうです。

亡父は、婦人服に興味を持ち、服飾科卒業の亡母とまた連絡を取る約束をします。

そして、亡父は、亡母に会いたいが為に、クリスマスパーティーを開催する予定を立てます。

もちろん、離れの2階の、自慢のホームバーもある広い部屋で、他にも友達を呼んで。


しかし、亡母の父、つまり私の祖父が、12月の末に脳梗塞で倒れ、いつ亡くなってもおかしくない状態になってしまいました。

それで、亡父が、亡母に会いたいが為に、開催しようとしたクリスマスパーティーに行けなくなり、後に「別にどーでもええやつばっかり来よってん」という状況になってしまいました。

で、年を越して、1月の3日に、祖父は亡くなってしまいます。

マメな亡父は、ちょうど、49日が済んだ頃に、亡母に連絡をとり、会って慰めます。

弱っている精神状態の亡母は、京都弁で優しく慰めてくれる亡父に、いつしか頼るようになります。


そして、忌明けした後で、2人は北大路堀川にある、教会で結婚式を挙げます。

ウェディングドレスは、同じ服飾科だった友達と亡父がデザインし、製作します。

式を挙げる前には、幾度か日曜礼拝に行かなければいけません。

神父さん、と言っていたので、プロテスタントではなかったようです。

この教会で、結婚式を挙げられるのは、亡母がここの幼稚園に通っていたから。

それだけの理由なので、亡父は、日曜礼拝が退屈で仕方がない。

で、亡父は「キリストさんを、またいでん」とか「またぐらのマリア」とか、非常にくだらないことを思いながら、神父さんの、ありがたーいお話を拝聴していたそうです。


私の夢は、亡母のウエディングドレスを着て結婚式をしたい、というものでしたが、友達に貸したりしている間に、無くなってしまったそうです。

それなら、せめて、その亡父と一緒にデザインして縫製までした、亡母の同級生の方にデザインしていただいて「私だけの」ウエディングドレスを着て、バージン・ロードを歩きたい。

そう思っていました。

しかし、時の流れというのでしょうか、お願いしたのですが、その同級生の方は「私、もう、よう作れへんわ」と、あっさり断られ、知り合いのご親戚の方のドレスをリメイクして、それを着せていただいて、結婚式を挙げました。


「ハッピー・マンデー」という制度が導入され、10月10日は、必ずしも祝日ではなくなりました。

「お父さん、離婚するとか、そんなことばっかり言うてるさかいに、もう祝日やなくなったんちゃうん?」
と、私が言うと、亡父は「けっ」と、一言。

亡母にも言うてみましたが、亡母も「ふんっ」と、一言。

なんやかんやと「離婚する」とか「別居する」とか、そんなことばかり言うてた夫婦でしたが、このリアクションで、私は「やっぱり、夫婦は夫婦やねんな」と、納得しました。

彼岸でも、ケンカしてるんちゃうかなぁ。


















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by marurin373 | 2016-10-12 11:35 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)