自問自答
2007年 07月 19日
昨日の日記で書いたのですが、私が何故こんなにも眠いのか。
それは、たぶん、睡眠逃避です。
母が亡くなって5ヶ月経ちますが、未だ問題は片付いていません。
それも、円満に収まる保証もないし。
母は享年64才。
「まだまだいける」と「そろそろ年かも」の狭間にいました。
身体にも自信がなくなってきた年代。
でも、まだ娘には負けない。
娘に怒られるなんて、もってのほか。
私は、40になり、障害があっても、子供を育てるのに必死で、それなりに経験もしてきたところ。
母子間での「世代交代」になるかならないかの、瀬戸際でした。
なので、母が温和になっていく姿を見ることもなく、あの「キツい、せわしない」母の姿のまま、私の中に残っています。
思い返しても、いい思い出なんて、ひとつもない。
「あんなことも言われた」「こんなことも言われた」と、腹の立つことしか思い出しません。
そんな母の、後始末。
もうイヤでイヤでたまりません。
1日も早く、母からの呪縛を解き放ちたいのです。
素直に「いてない」ことを悲しみたいのですが、そういう気持ちには、まだまだなれません。
それと、漠然とした「未来への不安」が絶えずあります。
このまま、私とたかしはどうなるんやろう。
ちゃんと小学校を卒業して、中学へ行って、果たして高校まで行けるんやろうか。
私は、そこまで1人でやっていけるんやろうか。
・・・とかなんとか考え出すと、どうしても眠れなくなりそうなものですが、それが眠ってしまうのです。
これは、やっぱり「逃避」やな。
現実から逃げたい私の、逃避の手段は「眠る」こと。
そうそう、元オットから、未だ1度も養育費が支払われていません。
これも裁判所に行って「履行勧告」してもらう手続きせんと。
私としては、もう一円もいらないから、早く縁を切りたいのですが、それもそうはいかない。
養育費をもらうのは、たかしの権利。
私は、たかしの保護義務者として、それを要求する義務がある。
なので私が手続きをしていかなくてはいけない。
どうも引っ越したようやし、もう関わるのはイヤなんやけどなぁ。
今夜もたかしに私が言った言葉。
「せんならんことは、せんならん」
それは、私が自分自身に言った言葉でした。
こう、すかーっと晴れた青空のような心境になるのは、一体いつのことになるのやら。
それは、たぶん、睡眠逃避です。
母が亡くなって5ヶ月経ちますが、未だ問題は片付いていません。
それも、円満に収まる保証もないし。
母は享年64才。
「まだまだいける」と「そろそろ年かも」の狭間にいました。
身体にも自信がなくなってきた年代。
でも、まだ娘には負けない。
娘に怒られるなんて、もってのほか。
私は、40になり、障害があっても、子供を育てるのに必死で、それなりに経験もしてきたところ。
母子間での「世代交代」になるかならないかの、瀬戸際でした。
なので、母が温和になっていく姿を見ることもなく、あの「キツい、せわしない」母の姿のまま、私の中に残っています。
思い返しても、いい思い出なんて、ひとつもない。
「あんなことも言われた」「こんなことも言われた」と、腹の立つことしか思い出しません。
そんな母の、後始末。
もうイヤでイヤでたまりません。
1日も早く、母からの呪縛を解き放ちたいのです。
素直に「いてない」ことを悲しみたいのですが、そういう気持ちには、まだまだなれません。
それと、漠然とした「未来への不安」が絶えずあります。
このまま、私とたかしはどうなるんやろう。
ちゃんと小学校を卒業して、中学へ行って、果たして高校まで行けるんやろうか。
私は、そこまで1人でやっていけるんやろうか。
・・・とかなんとか考え出すと、どうしても眠れなくなりそうなものですが、それが眠ってしまうのです。
これは、やっぱり「逃避」やな。
現実から逃げたい私の、逃避の手段は「眠る」こと。
そうそう、元オットから、未だ1度も養育費が支払われていません。
これも裁判所に行って「履行勧告」してもらう手続きせんと。
私としては、もう一円もいらないから、早く縁を切りたいのですが、それもそうはいかない。
養育費をもらうのは、たかしの権利。
私は、たかしの保護義務者として、それを要求する義務がある。
なので私が手続きをしていかなくてはいけない。
どうも引っ越したようやし、もう関わるのはイヤなんやけどなぁ。
今夜もたかしに私が言った言葉。
「せんならんことは、せんならん」
それは、私が自分自身に言った言葉でした。
こう、すかーっと晴れた青空のような心境になるのは、一体いつのことになるのやら。
by marurin373
| 2007-07-19 01:07
| 思うこととかなど
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