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病院の床

私は、病院の床を見る度に「正義の人」を思い出します。

どこまでも平坦で、つるつるしていて、感情のない床。

これは中島らもと内田樹の影響だと思われますが、思い出すのだから仕方がありません。

「正義の人」は、常に正論を振りかざしてきます。
時には威丈高に、私などは説教されることもしばしばありました。


「正義の人」に反論するということは、直ちに「正義ではない人」ということになり、悪者となります。

なので反論できません。

しかし、どうも腑に落ちないというか、心に響いてこないのです。


人間というものは、もっと邪悪で、醜い部分もたくさんあるのに、それを「正義の人」は無視します。

いつもいつもきれいな言葉。
いつもいつも正当な考え。

確かにもっともで、仰る通りですが、どこか宙に浮いたような言葉です。


そもそも「善く生きる」ということは、そういった己の醜くて汚い部分をも認めた上で、それでもなおかつ血膿のような世界から光を目指してもがき苦しむ様であると思うのです。


私が亡母を「憎い」と言うと、たぶん「正義の人」は
「お腹を痛めて産んでくれはったのに、感謝こそすれ、憎むなんてとんでもない」と言うでしょう。

しかし、実の母親に対して「憎悪」の感情しか持てず、それに対して罪悪感を持ち、それでもやはり心の内に「憎悪」の感情しか見つけられないという自己嫌悪などというものには、一切気付かないのです。

「正義の人」は、折伏することが大好きなので、自分の考えを押し付けてきはりますが、私はどうも受け入れることができません。

「慮る」ということに、案外無頓着なのです。


「正義の人」の言葉、それが経験に基づいた考えであるのなら、私にも内省する機会が与えられるのですが、道徳の教科書をすらすらと読まれたような言葉では、反発の気持ちしか湧いてきません。

天邪鬼な私は「何にも知らんくせに」と、つい思ってしまいます。


こうして「正義の人」と私は相容れないまま、私は私で日々「善く生きる」ことを切実に思いながら生活していくのです。
Commented by radi-spa.horie at 2008-09-08 13:36
ことほど左様にこの世で一番タチの悪いのは
「愚かな善人」ではないかとホリエは思うのです。
そう、あんまり考えずに出た行動や言葉が、
「社会通念上」いいことである人々。

ホリエは大嫌いです。
Commented by marurin373 at 2008-09-09 23:46
>radi-spa.horieさん
なんかね、「正義の人」のお説教って、宗教の勧誘みたいに思えるんですよ。
ご自分は「いいことを言ってる」と信じてはるんですもん。
その時、相手にどんなに傷つけようが、お構いなく。
これって「邪悪な人間」の偏見ですかね。
by marurin373 | 2008-09-08 09:06 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(2)