「ほっ」と。キャンペーン

カテゴリ:思うこととかなど( 282 )

齢五十にして。

悲しくて、切なくて、苦しくて、どうにもこうにも、なんともならない。

素直に泣けばいいのに、こんな時に限って、涙の「な」の字も出ない。

それが、余計に苦しくさせていることはわかってる。


・・・。

とかなんとか、たかしに訊いてみました。

「悔しくて、時間を巻き戻したくて、でも、もうどうにもならへんさかいに、泣きそうなんやけど、なんかが詰まってて泣けへん時って、どうしたらええんやろ?」

「そんな時は、食うて、寝る」

流石、16才にして様々なことを経験なさっているだけのことはあります。

「食うて、寝る」か・・・。

何かが、喉の奥に詰まってて、夜も眠れへんのやけど。

「それでも、食うて、寝る」

・・・はい。

「アイスでも、チョコでも、とにかく、なんでもええねん。食べられるもんを、食うて、寝たら、すっきりするんとちがうの?」

・・・やってみます、たかし先生。

それでもダメな時は、甘えてもいいですか?

「それは、できひんな」

・・・厳しくて、優しい、たかし先生です。












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by marurin373 | 2017-02-03 23:43 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

彼の地より

「かあちゃん、お盆やさかい、お墓まいり行かなあかんな」
「何言うてんねんな。お盆いうたらな、地獄の釜のフタが開いてな、みんな還ってきはるねん。そやし、お墓行っても、からっぽえ」
「そうなん?ほな、じぃじやら、どこにいてはるん?」
「ここにお位牌あるさかい、ここちゃうか?」
「間違うて、京都で道迷ったりしてはらへんやろか」
「わーくんやったら、ありがちやな」

みんな、還ってきたはります。

夢に亡父や亡弟が頻繁に出てきます。

たかしが、心配そうに言います。
「かあちゃん、寝ながら泣いてるけど・・・」

今朝は、亡弟のお葬式をしている夢を見ました。

それで、かなり泣いてたらしいので、たかしが心配して
「かあちゃん、かあちゃん、」と、起こしてくれました。

また、あんな悲しい思いをしてしまいました。


お盆の時は、何日目にはこれ、何日目にはこれ、と、お供えものの決まりがありました。

でも、何にも教えてもらえませんでした。

「お迎え団子」を、祖母や母と、こねこねと作り、作りすぎたお団子は、あんこの缶を開けて、こっそりと食べていたのを思い出します。

せめて、白玉だんごの粉を買ってきて、お団子を作って、お供えすることにします。


「かあちゃん、還ってきはったじぃじやらは、いつまでいたはるん?」
「五山の送り火て、あるやろ?あれを目指して、またあっちに行かはるねん」
「ここからやったら、遠いなぁ」
「そやなぁ。そういうたら、ここいらのおしょらいさんは、何目指していかはるんやろなぁ」
「・・・大文字ちゃうん?」
「・・・今まで、考えたことなかったけど、大文字かなぁ?やっぱり」
「遠いのになぁ」
「まぁ、私らがここにいてるんやさかい、頑張ってもらお」

いつまでも「ここ」にいてくれはったら、ええのになぁ。














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by marurin373 | 2016-08-12 13:07 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

望んではいないけれども

たかしの誕生日に、毎年思うことがあります。

元オットは、どう思っているのか、と。

調停をしている時から、元オットは、たかしには全く何もせず、ここまできました。

誕生日だけではなく、小学校に入学した時や、中学を卒業した時、そして高校に入学した時、など。

もう、たかしが何才かなんて、わかってないのかもしれませんが、たかしは2000年生まれなので、すぐに年齢はわかります。

でも「誕生日」がいつなのか、忘れているのでしょう。

「自分の子供」という感覚が、もうないのかもしれません。

だから、余計にたかしがかわいそうに思えるのです。

祖父、祖母、叔父なども、いません。

敢えて話題にも出ませんが、一体、たかしはどう思っているのでしょう。

先日は、小さな声で「もう死んだらええのに」と、呟いていました。

たかしも私も、何も望んではいませんが、非情な父親やなぁと、私は思っています。
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by marurin373 | 2016-07-27 00:55 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

SNS

日常の、ほんのひとかけらを写真に撮って、投稿。

でも、他の人たちには、それが「ほんのひとかけら」だとは思わずに「日常全部」と受け取られてしまうようです。

「見えない部分」まで、あたかも「見える」部分のようにしていると、思われてしまう。

とっても、恐いことです。

確かに、誕生日や、たかしが中学を卒業したり、高校に合格して「おめでとうコメント」をもらうと、嬉しいものです。

が、しかし。



こんなことを、たかしに言うてたら
「そらな、見えへんことまで、そうやろうと思う人もたくさんいてはると思うよ。でもな、それを承知でやってるんちゃうの?」
と、言われました。

「中途半端に投稿するから、誤解されるねん。いくら、20年前の服着てても、かあちゃんは選ぶもんが、いちいち派手やから、そら節約してますていうても、信じてもらえへんわ。その指輪、ピアス、髪型、メガネ、帽子、それに服。そら派手な生活してるて思われても、しゃーないわ」

・・・たかしの言う通りです。

「しかも、かあちゃん、タバコ吸うやろ?いくらお酒止めたていうても、タバコ吸うてるやんて突っ込まれたら、何も言えへんな」

・・・痛いとこ突いてくる、たかし。

「せめて、タバコくらいは、吸わせてーな。本数も、かなり減らしてるし」
「ま、わかるけど、それ言われた時の言い訳でも考えとき」

あんたは、世帯主さんですか?

「誤解してる人に、ひとりひとりに生活の実態、メッセージでも送ったら?」
「そんなん、大変やん」
「ちゃんとして、生活してますって、言いたいんやろ?」
「うん」
「ほら、やっぱり、説明せなあかんわ」
「・・・かあちゃん、もうインスタもFacebookも、辞める」
「そんなことしたら、余計に心配してくれたはる人らに、心配かけるだけやで」
「そうやなぁ・・・仕事でも使こてるしなぁ」
「もう、投稿せーへんかったらええねん」
「ん、そうする」


SNSは、恐い。
やっと、気付くことができました。

そうやん。
私には、このブログがあるんやし。
ここに書いていったらええんやん。

と、いうことで、もうインスタもFacebookにも、投稿はしません。
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by marurin373 | 2016-05-11 12:13 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(2)

「母」

2月8日は、亡母の祥月命日です。

もう9年が経ちました。

全く悲しくなく、むしろ怒りが消えません。

いろんな方々の恩義を忘れ、その高い高いプライドで自死することを選んだ亡母。

その後始末が、如何に大変やったことか。

たかしは、本当に楽しみにしていたYMCAの「ゆきあそびキャンプ」にお葬式が重なってしまい、行けなくなるし、私は債権者の方々と弁護士さんの間で、とてもしんどい思いをするし。

一番最悪の逃げ方をした亡母を、私は未だ許すことはできません。

私は、一体何年経ったら、許すことができるのかわかりませんが、当分は無理です。

「死んだ」息子のところに行きたくて「生きてる」娘には、全て押し付けて逃げた亡母。

この怒りを忘れる日は来るんやろか?
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by marurin373 | 2016-02-08 00:53 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(2)

ことば

最近、年を経るにつれて、私の使う言葉がだんだんと「古い京都弁」になってきました。

以前はそんなことはなかったのですが、気付いたら、たかしに通じない言葉を使う頻度が高くなってきたのです。

昨年の秋に、わざわざこちらまで訪ねてきてくれはった元生徒さんに「なんどきでもええさかいに、またおいないや」とか言うてるし。

たかしにも「そこの、いかき取って」と言ってしまい、たかしがポカンとしたり。

気を付けないと、相槌に「へぇ」とか言うてしまうので、危険です。

「お元気ですか?」との問いかけには「へぇ、なむなむと」と答える。

「よりによって、そんな時にこそ、そうなるものだ」という意味で「えんばんと、なぁ、そうなるねんなぁ」と言う。

話しかける時に「なぁなぁ、あんなぁ、へぇ」という接頭語が付いてしまう。

この間は「まぁ、きこんかいにしとぅおくれやす」という言葉が、するっと出てきたから、これは「おばあちゃんが使う言葉」です。

こちらのよく話すようになった靴屋さんのお姉さんに
「よく、京都弁が出とうなぁて思って、聞いてます」と、言われました。

そやなぁ。

私も、今年で半世紀生きてきたんやしなぁ。

特に、幼稚園から高校まで、碁盤の目の中に住んでて、おばあちゃんに厳しくしつけられたし、それが出てきてきたのかも知れません。

「で、て言うたらあかんのえ。え、てお言い。せやないと、げさくな」と、よく言われました。

よくよく考えると、亡父が24才で私の父になったんやし、小学校に通っていた私が10才とすると、おばあちゃんは、まだ60代半ばあたりやったのかもしれないので、案外元気で、現役バリバリやったのかも知れません。

「女は、灰になるまで、女やさかいに」と、よく言うてました。

「今日の野菜炒め、ちょっとしんめりになってしもたなぁ」
とか独り言を言ってると、たかしが不思議そうな顔をしています。

まだ息子は15才で、私は49才やのに、私の使こてる言葉は、もう「おばあちゃん」です。

あかんあかん。

せやけど、しやぁおまへんねん。

なるべく、出ないようにはしているのですが・・・。

通じひんのやもん・・・。
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by marurin373 | 2016-01-14 03:26 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

我が家は、たかしが通う中学校に比較的近いので、登下校する生徒さんをよく見かけます。

家の中にいても、はしゃぐ声や、ふざける声が聞こえてきます。

確かに、あの「輪」の中に、たかしもいました。

同じようにふざけ、はしゃぎ、そして「お前んち、家近こうてええねぇ」と毎日言われて、帰ってきていました。

いつから、あの「輪」の中からいなくなってしまったのか?

お医者さんが、たかしに
「病気が治ったら、一番に何がしたい?」と訊かはると、たかしは「学校に行きたい」と、即答していました。

だから、いつも言います。

「オレは、不登校とちゃう」と。

「病気で、行けへんだけや」と。

「元気で、健康やったら、毎日行って、勉強して、部活もしたい」と、言います。


始業式から学校に行き始め、3・4週間経った頃になると、たかしは「かあちゃん、しんどいし、今日は休む」と、言い出します。

そしてそのまま、長期欠席となってしまうという繰り返しでした。

その度にたかしは挫折感を味わってきたのです。

お医者さんとも話したのですが、私も「これ以上、挫折感を味わってほしくない」ということで、意見が一致しました。

それで、選んだ高校です。

その受験日が、近付いてきました。

今、漸く、たかしの寝息が聞こえてきました。

夜は寝られず、食欲もなく、胃腸の具合も悪くて、本当に緊張したはります。

それだけ、自分の人生の分岐点に対して、真剣に向き合っているんだと思います。

私は、ただ見守るだけです。

それが如何に難しいことか。

私にとっても、試練です。
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by marurin373 | 2015-12-14 10:04 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

修行だと思うことにする

アメニモマケズ

オノレノ ヤマイニモ マケズ

タカシノ ジュケンノ プレッシャーニモ マケズ

ヨルハ キチント ネムレ

イチョウモ コワサズ

イツモ ニコニコトシテ

タカシヲ ゲンキヅケラレル

ソンナ ハハオヤニ

ワタシハ ナリタイ
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by marurin373 | 2015-11-28 02:15 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

平成3年1月1日

先日、小さなVHSのテープを見つけました。

そのテープのケースには、私の字で「永久保存版」と書かれており、また、亡弟が描いた「どらえもん」が描かれていました。

一度は見たこともあるのですが、そのテープをDVDにしてもらいました。

カビも生えていたそうで、別に1080円もかかりましたが、31分の映像が、DVDで蘇りました。

たかしと観ていたのですが、そこには25才の私と、21才の亡弟と、そして今の私と同じ年の両親が写っていました。

たかしに「かあちゃん、細かってんな」と言われ、本当に恥ずかしい思いをしました。

そうそう、あの頃は、ウエストが55センチしかなくて、ジーンズも26インチだったと思い出しました。

猫の耳のような「耳」がついた赤いニットの帽子を被り、赤と黄と緑のボーダーのトレーナーを着て、上着はブランド物のブルゾンで、細いジーンズを履いています。

その姿を見て、たかしに「細いだけで、今の趣味やらセンスが、全く昔と変わってない」と言われ、私はただ「そら、人間、そう変わるもんちゃうもん」としか答えられませんでした。

亡父が撮っている時は、亡母と亡弟と私が、そして亡弟が撮っている時は、亡父が写っています。


元旦は、午前中に4人で、梅干しと結んだお昆布が入ったお湯呑みにお茶を入れて「お祝いやす」と言うお祝いをして、白味噌のお雑煮を食べて、それから父方のお墓参りをして、次に母方のお墓参りをして、最後に母方の実家に行く・・・というのが、毎年恒例となっていました。

父方のお墓のある本能寺に行くところから写っていました。

まだ分家である我が家のお墓は、砂利がひいてあるだけで、お墓は建っていませんでした。

私と亡弟は、その「砂利」に向かって手を合わせて「お父さん〜」とか言い、笑い、亡父が「ワシはまだ生きとる!」という小芝居をするのも、お約束です。

父方のお婆ちゃんも写っていて、よく怒られたけれど、今観てみると、きれいなお婆さんやなぁと思います。

お墓の後は本堂にお詣りです。
ま、初詣です。

そこで、思い出したことがありました。

お婆ちゃんが、私にもお年玉をくれはったんですが、亡父が「おねぇも、もろたんか」と言っているのです。

そうや。

私、お父さんに「おねぇ」て呼ばれてたんやった。

弟が亡くなってから、亡父は決して「おねぇ」と呼ばなくなってしまったので、忘れていました。

昨今「おねぇ」と呼ばれる方達がいてはりますが、その頃はそんな呼び名はありませんでした。

次に、亡父の運転で母方のお墓参りの為に「清浄華院」に行き、一通り済ますと、母方の実家に行ってます。

河原町通を走っているのですが、河原町の今出川の角にあったパチンコ屋さんを「あそこ、ワシの銀行やねん。たんとお金貯めてるねん」と言っている様子が写っています。

鴨川の横を上に上がって、私が大好きやったお婆ちゃんの家に。

その道中、何故か私は、ずーっとくしゃみが止まらないようで、写っていませんが、私がくしゃみをしている声が、もうずーっと聞こえていました。


亡母の実家は、お婆ちゃんと、お婆ちゃんの妹夫妻も一緒に暮らしていたので、亡母の従姉妹も家族で来たはります。

私は、お婆ちゃんちで、何かをずーっと食べっ放しです。

横では亡弟が、多分、お婆ちゃんちで、初めてタバコを吸ったようで、お婆ちゃんが録画している亡母の従姉妹に「ちょっと、この子がタバコ吸うてるとこ、撮ってやって」という声が入っていました。

従姉妹には「タバコの煙が目に沁みるやろ!」と突っ込まれ、鼻から煙を出したり、爪楊枝の先をテーブルに押し付けて丸くしてから、鼻と唇で挟んでみたり、本当にひょうきんな姿が写っていました。


「かあちゃんと、わーくんて、ずっと一緒にいてるな」
「そうやな」
「ずっと2人でしゃべってるな」
「そうやな」
「ほんまに、仲良かってんな」
「そうやな」
「わーくんて、面白い人やってんな」
「そうやな」

私は、もう、たかしの言葉に「そうやな」としか、答えられませんでした。

「みぃんな、死なはってんな」
「そうやな」
「ばぁばも、じぃじも、お婆ちゃんも、わーくんも、みぃんな死なはってんな」
「そうやな」
「・・・泣きそう?」
「いや、もうただ、懐かしいだけやわ」
「よかった〜」
「なんで?」
「こんなDVD見たら、かあちゃん絶対に泣くなと思ててん」
「もう泣き尽くしたわ」
「うん、ほな、よかったわ」

「この家な、最後は、ばぁばが住んではったし、たかしも行ったことあるやろ?」
「えっ? ほんま?」
「もう、忘れたか?」
「なんか感じが違うし、わからんかった」
「そうか」
「今、その家、どうなってるん?」
「もう潰して、新しい家が建ってて、新しい人が住んではるんやって」
「ばぁばが死んだ家やろ?」
「そやし、大家さんが建て直さはったんちゃうか?」
「・・・言うたら悪いけど、縁起悪いもんな」
「まぁな」

たかしが私に気を遣っているのが、ひしひしと伝わってきます。

なので、泣かずに観ようと覚悟を決めて、たかしと観たのです。

ほんまに仲のいい姉弟なら、何故、気付かなかったのか。

いくら考えても答えは出ないし、前に進もうと思って、亡弟よりも、たかしのことだけを考えて、生活していこうと決めたので、もう泣くことはありませんでした。


亡父の後ろ姿を見て、つくづく思ったことがあります。

亡父はかなり太ってはいますが、肩幅の感じが、たかしがそっくりなのです。

元オットは、すごい「なで肩」でした。

しかし、たかしは「なで肩」ではなくて「いかり肩」なのです。

肩の感じが、亡父と、たかしがあまりにも似ているので、驚きました。


また1人でゆっくり観てみようと思います。

泣くかも知れへんけど。
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by marurin373 | 2015-10-28 00:37 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

「遺影」

祖母の家に、私の亡父の遺影が飾ってありました。

その遺影を、私の元へ返して欲しいと、従兄弟にお願いしていました。

従兄弟は、大阪に住んではるのですが、わざわざに京都の下鴨まで帰って、遺影を取りに行き、忙しくしたはるのに、仕事中抜け出して、私に手渡してくれはりました。

「郵送しよかとも思たんやけどなぁ、なんやかわいそうでなぁ」と従兄弟は笑い、すぐに仕事に戻らはりました。

その遺影を飾るのもなんかなぁ・・・ということで、私の身長くらいあるたんすの上に置いてある箱と箱で挟んで、こっそりと置いてあります。


亡父は、いつもカメラを持ち、親族が集まる時には撮影係ばかりしていたので、写真が全く残っていません。

弟が亡くなった後、父が
「お姉ちゃん、ワシのお見合い写真、見てぇな」と差し出したのは、写真館で撮った、背広を着て、きれいにちゃんと散髪をして、ヒゲもきれいに揃えてある、他所行きの父が、そこには写っていました。

「ワシな、ほんまに写真ないやろ?それ、遺影にしてぇな」というので、私は
「そんなん、もっと年いってからのが必要やのに、こんな若い写真なんか、使えへんやん」と言ったのですが、父は
「いつ何時・・・なぁ」と呟いていました。

弟が亡くなった時に困ったのは、遺影にする写真がないことでした。

それで、父は、私と母に何も言わずに、わざわざ写真館で写真を撮っていたのでした。

それから3ヶ月もしない間に、父は亡くなってしまい、結局父の言っていた通り、他所行きの父が写っている写真を遺影にしました。


その写真が、今、我が家にあるのですが、私の背では見えませんが、たかしからは見えるそうで。

「かあちゃん、またじぃじと目が合うた」
「見守ってくれたはるんやん」
「でもな、どの角度から見ても、目が合うねん」
「ふ〜ん」
「なんか怖い〜」
「心にやましいことがあるさかいに、怖く感じるんえ」
「勉強してへんこととか?」
「そう。ちゃんとせい!て、いうたはるねん」
「そやけど、ほんまに怖いねんけど・・・」
「亡くなる日のお昼に、ワシの夢は、孫抱くことですねんて言うたはったくらいやさかいに、絶対に見守ってはるわ」
「そうかなぁ・・・」

私の中での亡父は、ランニングシャツと短パンのイメージしかないので、この背広を着ている父は、やっぱり他所行きなので、なんかどうも感情が湧いてきません。

どこか違うおじさんの、写真みたいで。

でも、たかしのことを見守ってくれていることだけは、本当だと思います。

お父さん、ビスコが好きやったなぁ・・・。
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by marurin373 | 2015-09-13 11:58 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)