カテゴリ:思うこととかなど( 288 )

もう昔のことに

両親のことをいろいろ考えて、ぐちゃぐちゃしてたことを頭の中で整理して、そして文字にしたことで、やっと私の中で「昔のこと」になりました。

読んでいただいた方々には、不快な思いを抱かせてしまったと思いますが、もう、この「両親」のことには触れません。

やっと、この年にして、たかしと2人で、真っ新な気持ちで前に進むことができるようになりました。

もちろん、全て忘れたわけではないし、悪夢として出てくることもあり、フラッシュバックに悩まされていることは確かなのですが、もう、そんなことは乗り越えていこうと改めて思います。

昔のことよりも、たかしの「これから」の方がずっと大事です。

そして、私自身を労わることも。

新しい生活、新しい喜び、新しい悩み。

いろいろなことを乗り越えてきましたが、やはり一番つらかったことでした。

けど、もう、そんなことに捉われずに、進んでいきます。








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by marurin373 | 2017-11-06 21:27 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

誘発

「何故、私は両親から厳しすぎる(虐待とも充分言えるような)育て方をされたのか?」

カウンセリングの先生、何気ない友達の一言、精神科の先生の話しなど、いろいろな方々の意見を聞いて、私なりに頭の中で整理が漸くできました。

そして「文字」にすることができるようになりました。

まず、カウンセリングの先生が仰ったことは、
「あなたは、小さい時、親のプライドが保てなくなるくらい論理的で、IQも高くて、頭も良い子供だったのでしょうね」でした。


小学校の時に学校でIQの検査があり、後で母が呼び出されました。

内容は、IQが、他の子よりもずっと高いので、育て方に気を付けた方がいい。もしかしたら、頭脳犯の詐欺師になるか、博士号をとるような子に育つか、両親の育て方次第なのだから、充分気を付けないといけない、ということを担任の教師に言われたそうです。


私の母は、腹が立つと、すぐに舌打ちをし、頰を叩く人でした。

幼稚園に通っていた頃のことなのですが、原因は私が母の言うことに逆らったということで、母はいつものように「ちっ」と舌打ちをし、私の頰を叩こうとしたのですが、その時、私が
「ちょっと待って。おんなじ叩くんやったら、指輪はめてない方の手で叩いて。指輪が当たって、余計に痛いし」と、叩こうとする母の手を止めました。
それで、母は、余計に腹が立ち、指輪を外してまで、私の頰を叩くのでした。

あと少しで小学校、という時に暮らした家は、父方の祖母と一緒でした。

その家は所謂「うなぎの寝床」で、間口は狭いのですが、奥行きはずーっと部屋や庭、離れ、物置き、納屋と続いて行くような古い古い家でした。

時々、母は、私を「物置きにいれる」という罰を与えました。

しかし、物置きは、最初は暗くてよく見えないのですが、目が慣れてくると、天窓から差す光でそんなに「恐いところ」ではありませんでした。
それより、古い京人形や、アルバム、雛人形、五月人形、それに甲冑などもあって、子供心をくすぐるくらい、宝がたくさん納まっている「楽しい」ところでした。

それで、せっかく楽しく探検をしているのに、祖母が私を助けに来るのです。

「また納屋に入れられてたんか? かわいそうに、早よ出といで」と、出されてしまうのです。

その時の私は「また、おばあちゃんとお母さんとの仲が悪うなって、いややなぁ」と、思うのでした。

母がいない時は、祖母が「あんたのお母さん、怒ってばっかりやさかい、嫌いやわ」と、私に言い、母は私に祖母の悪口を言うので、小学生の低学年の頃から、うんざりしていました。

その前、話しが前後しますが、両親が結婚して、私が産まれて暫くは、3人で暮らしていました。

私の一番古い記憶は、夜になり、部屋に布団を敷かれて寝かされるのですが、毎晩、なかなか眠れず、隣の部屋での両親が話しているのをずっと聞いていました。
布団の中にいるのもイヤな時は、こっそり抜け出して、暗い部屋の隅でぬいぐるみで遊んだりしていました。
母がそれに気付いて「いや、まだ寝てへんわ」と言うと、父が「もう、放っとけ」とか話しているのを聞きながら、眠くなるのを待っていました。
2・3才の頃から、不眠症だったようです。

時々、母が父に「もう、車で寝かし付けてきて」と言い「プアーマン・ミニクーパー」と言われる、N360に私を乗せて、京都のいろんなところを父とドライブしていました。
いつもはお酒を呑んで、気分屋で、恐い父でしたが、2人でドライブをしている時は、いろんな話しをしてくれて「この話しは、お母さんには内緒やで」という約束で、本当にいろいろな話しをしてくれました。
その時の私は、まだ3才くらいだと思うのですが、父はあまり「子供扱い」せずにいてくれたように思います。

その3才の時、N360で天橋立まで行ったのですが、京都市からずっと北の方に行くと、山間部に入ります。道もカーブが続き、私は面白くて「ぐわーん、ぐわーん」とか言いながら楽しんでいたのですが、母がやたらと「ちょっと、止めて」と言い、吐いていました。
母は真っ青な顔をして「もう帰りたい」と身勝手なことをいいますが、父に「今からやったら、帰るよりあっち行く方が早いさかい」と宥められ、ということを何度もして、私もなんかだんだんと楽しくなくなっていって、天橋立まで行きました。

「天橋立ではな、後ろ向いて、股の間から覗いて観るんや」と、父に教わり、後ろを向いて股の間から覗くのですが、うまくできずに、父が笑っていました。

そんな楽しいひと時を過ごすことが悪いことのように、母は青い顔をして、口にハンカチをあててずっとベンチに座っていました。

後でわかったのですが、その時、母は弟を身籠っていて、まだ気付いてなかったのでした。

私は大きくなっていく母のお腹をさわってみたいのですが、母はいつも機嫌が悪く、トイレでは吐いてるし、話し掛けても無視されるし、そのうちに私は大好きな母方のおばあちゃんのところに預けられるようになりました。

「この子が言うことが、いちいち癇に障って、しゃあないねん。しんどいのに腹立つし、そやさかい、暫く、もうずっと預かっといて」と、祖母に手を繋がれている私の目の前で母が言い、帰っていきました。

で、私の4つ下の弟が産まれ、とにかく「お姉ちゃんなんやさかい、我慢しよし」という言葉を、毎日、何度も聞かされて幼稚園に入園して、その後、父方の祖母と暮らすようになりました。

私が95点を取ると、母は「なんであと5点が取れへん!」と怒ります。

けれど、弟が80点を取ると、すっごい褒めるのです。

「この差は、一体何やろう?」という疑問を抱いたまま、大学まで進学しました。

小学校4年生の時に、全国統一のテストがありました。

1人は、京都では老舗で有名で入塾試験があるような塾に通う男の子。

1人は、家で宿題をすると弟がやかましいし、何かと用事を言いつけられるので、放課後に宿題をすませて、晩ご飯の手伝いを言いつけられる私。

この2人だけが、100点をとったらしいのです。

担任の先生がとにかく褒めてくださって「ちゃんと、家に帰ったらおうちの人に言うように」と仰るので、私は帰ってから、どんなテストで、どんな結果だったのか、を報告しました。

次の日。

先生が「昨日、家帰って報告したら、なんて言わはった?」と聴かはりました。

男の子は「よく頑張ったね。次も、頑張って勉強して、100点を目指そうね、と言われました」と、照れ臭そうに言うてはりました。

次に先生が私に「お前んとこは、なんて言うてくれはった?」と言わはったので、ありのまま答えました。

「毎日、予習・復習して、先生の話し聴いてたら、100点は当たり前や、と言われました」

先生は何も仰らず、教室全体がざわざわして「・・鬼ババや」とか「恐いなぁ」とか、そんな声が聞こえてきました。


ある日、学校から帰る頃、雨が降ってきました。

私はどうしようかなぁと、校門の方へ行ったら、なんと母が傘を持って迎えに来てくれました。

私は嬉しくて、思わず「傘、持って来てくれたん?」と言うと、母は「いや、これはあの子のや」と、弟の傘だけ、持って来ていました。

私は悲しくて、いつもなら友達の傘に入れてもらうとか、用務員室で傘を借りたりして帰るのですが、その日は濡れたまま帰りました。

母は「あんたは、傘借りたりして、うまいこと濡れへんように帰ってくるけど、あの子はずぶ濡れになって、帰ってくるねん。そやのに、そんなに濡れて帰ってきたんは、当て付けか?」と、怒られてしまいました。

小学校の6年生の時、京都では一番難しいといわれていた私立の中学を受験してみぃひんか?と、担任に言われたのですが、母に言うと「お金がかからへん中学があるんやさかい、そっちに行かせます」と、わざわざ先生に言いに学校に来ていました。


何故、母が「あと5点」とか、全国統一テストで100点とっても、私立の中学にしても、振り返ってみると、母なりに迷っていたのがわかります。

「頭はいい」と、思ってくれていたとは思うのですが、けれど「それ以上」のレベルになると、私はどこまでいくのかがわからない。
とにかく、私は「できるだけ、普通のレベルのところで、トップを取る」というふうに育てたかったのかもしれません。


大学になっても、両親は、申し合わせたように同じことを言うてました。

「子供には、親が手をかけなくても、自分でなんとかやっていける子供と、親が手をかけないとあかん子供がいてるんや。お前はなんとか1人でも生きていくようになる。けど、あいつは、わしらが手を貸したらんと、生きていけへんのや」


私は、朝から夕方まで働いて、自分で学費を捻出し、2回生から独り暮らしをするように言われました。
だから、いつもお金がありませんでした。

弟は、志望校に落ちたので、定時制高校に行き、3年間だけバイトして、4年生は絵の塾に通わせてもらい、年間何百万もする美大に進学しました。

両親は、私のことを、本当はどう思っていたのでしょうか?

信用していたのでしょうか?

それとも、恐がりつつ、毎日顔を合わせていたのでしょうか?
まるで化け物のように。

私も、受験の時や、定期テストの時は、必死で夜中まで勉強してました。

何も勉強しないから、弟はテストの点数も悪いのです。

けれど、弟には、私にはない「絵」の才能がありました。

両親は、大事に大事に弟を育て、お金をかけていました。

しかし、26才で、自らの人生を終えました。

「なんであんたが残ったんやろな。あんだけ大事にしてたのに、死んでしもて」と、母が呟いたのを、聞いてしまい、改めて、私は「自分」について深く考えるようになり、後追いもしましたが、生き残ってしまいました。

今、弟、父、母と亡くなって、私1人が残りました。

「天才も20才越えたらただの人」です。

今は、誰に相談することもできず、手探りでたかしを育てています。

「言われて悲しかったことは、言わない」と「余程のことがない限り、叩かない」

この2つだけ、決めています。
それでも、たかしを傷付けてしまうことを言うてしまっています。

「親としてのプライドを保つ為に、厳しく(虐待とも言えることも多くあるが)育てた」

これが、私の両親の本当のところだったのでしょう。

許すとか許さないとか、もうそんなことはどうでもいいことですが、私がこんな年になり、たかしという息子と暮らしているからこそ、わかったことかもしれません。

ただ、その「親としてのプライドを保つ」ということと、殴るということ、私が「知らなかった」といくら言っても「いや、お前は知ってた」と言って、信じてもらえないことなどが、その「親としてのプライドを保つ」ことと同じだ、とは、私は思いません。

両親は、IQなどというテスト結果や、定期テストや、通知簿の数字というフィルター越しに私を見ていたのかもしれません。

弟が亡くなった時、私が父の胸に顔を埋めようとしたら、突き飛ばされました。

両親にとって「子供」は、弟だけだったのかもしれません。

母は、30前になった私に「ちょっと勉強できるから、て、こずらにくいことばっかり言うあんたのこと、大嫌いやったわ」と言うし。

私は、ただ単に「テストでいい点とって、褒めてもらいたい、好かれたい」と思い、頑張って、友達とも遊ばずに勉強してたのに。

それが、気に入らなかったとは。

独り暮らしの家に帰り、ビールを呑みながら、久し振りに、泣きました。


けれど、もう全てすんだ事。

いつまでも引きずることではありません。

今は、私が「親」世代です。

それに、あの人達も、もういません。

時折、父に殴られる寸前の「・・・来る!」というびくっとした感覚が、現れます。
フラッシュバックというものです。

もう、文字にすることで、この問題については、私の中では終わりました。

今は「親」としてたかしを育てなければいけません。

私の人生の中での疑問が、ひとつ、クリアになりました。

あとは、たかしと前へ進むだけです。









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by marurin373 | 2017-10-19 14:09 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

混乱

いろんなことを、ずーっと考え続けているのですが、うまく言葉にできないでいます。

ちょっと頭の中を整理整頓して、文字にできるようになったら、また綴ってみたいと思っています。

短期間の間に、いろんな考え方や、助言や、叱責や、いろいろなことを受け止めきれずにいて、その上に、しないといけない事がたくさんあり、心身共に疲れています。

文字にすることができたら、頭の中も整理できたということなので、暫くは考えつつ、文字にできるようにしていきます。










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by marurin373 | 2017-09-03 21:36 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

私は、なんでこんなにもアクセサリーを身につけてるんやろう?

ピアスは、両耳で合計16個。

ネックレスは3本首にぶら下げて。

手首には、両手にブレスレットと、大きなG-SHOCK。

指輪は、左手に9つ、右手に6つ。
あ、重ね付けをしているので、5個以上になるのです。

左の親指にも、リングがあります。

たかしに
「オレが、初めて、親指に指輪してはるのを見たんは、堂本剛くんやってん。あの人は、男の人で、しかも芸能人やん。あんたが親指に指輪して、何が嬉しいん?」とか言われますが、別に構いません。

体重がかなり落ちて来て、サイズも大きく変わりました。

「今では指輪も回る程 痩せてやつれた お前の姿」
というのは本当で、今まで左手の薬指にしかはまらなかったのに、右手の人差し指にはまったりするようになりました。

ピアスは、今はかなり地味にしていますが、ホールが大きくなってきて、右の耳の耳たぶの穴の大きさは、5ミリになりました。

「これ以上、ピアスは開けない」と、たかしと約束をしたので、穴は開けてはいませんが、拡がってきています。

ま、29才の時に、初めてピアスを開けて、大きなループピアスをぶら下げたりしていたので、もともと拡がっていたようです。


帽子。

メガネ。

ピアスは、ボディピアスなので、付けっ放しです。

1日おきに外して、消毒して、またつけて。

老眼鏡も、あんまり誰もがかけてはるようなフレームではありません。

この私の様子に、たかしは冷静に非難します。

自分でも、何故こんなにいろいろとつけているのか、わかりません。

「何か」が、私には足りないのです。

その「何か」がわかれば、こんなにも自分をデコレーションすることもないと思います。

なんなんやろう?

確かに、ストレスが溜まってくると、指輪を変えたり、ピアスを変えたりしているようです。

けど「何か」が、足りないのです。

別に、私が付けているものは、1万円以下のものばかりで、高級品が欲しいのではありません。

ま、一番大事な指には、指輪は、つけていません。

「ここ」に指輪をはめることになったら、他の指輪は外すんかなぁ・・・。

いや、キッチリと、はめてたな、確か。

私の好みは、ゴツゴツとしてて、メンズのアクセサリーみたいなものなので、いくら「ええなぁ、この指輪」と思っていても、ぶかぶかで、サイズ直しもできないものが好みだったりするので、重ねてボリューム感を出している・・・と、思います。

ええねん。

もう、誰がなんと言おうと、このまんまで年とって、派手なお婆さんになるねん。

たかしも、その内に慣れるやろし、諦めるやろし。

また、ええのん見つけたら、貯金して、買うねんもん。

・・・たかしが、高校を卒業したら、やけど。

たかしが私立の高校に入学してから、なーんにもアクセサリーは買っていません。

それでストレスが溜まるんかなぁ・・・。

亡弟が造った指輪も、時々はめています。

いろいろな指輪を出して、磨いたりして、小さなジップロックに入れて、メンテナンスもしています。

「いろんなデザインのもんがあるやろうに、なんでそれを選ぶねん?ていうもんばっかり、持ってるねんな」
たかしの小言なんか、右から左です。

けど、お化粧は、全くしません。

たまに、顔色があまりにも悪い時に、色が付くリップクリームを塗るくらいです。

ま、派手なおっさん、ですね。

しかし、私は、どんなお婆さんになるんかなぁ。









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by marurin373 | 2017-04-17 07:10 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

沈んだり、潜ったり

逆ギレした自分が情けなくて、ずずーっんと落ち込んでいました。

毎朝、起きる度に「あれは、現実やったん?」て、いちいち確認して。

そして「現実」やとわかったら、ずずずーーーーっんと。

そんな毎日を過ごし、落ち込む日々を送っていたら。

落ち込むだけ落ち込んだら、なんか、もう、どーでもよくなりました。


そして、体重が3キロ減り、何故か便秘が治りました。

自分の思考と、身体の関係性は、どんな構造になっているのか、かなり不思議です。








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by marurin373 | 2017-03-27 00:03 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

何年も前に、自分で決めた筈やのに。

「火中の栗は、拾わない」
「飛んでくる火の粉は、払いのけるだけ」

また、大火傷をしてしまいました。

今回は、一度にいくつもの大火傷を負ったので、流石に心も折れてしまいました。

最終的には、もう逃げてしまい、たかしに「防波堤」になってもらいました。

暫くは、立ち直れそうにありません。











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by marurin373 | 2017-03-12 20:20 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

齢五十にして。

悲しくて、切なくて、苦しくて、どうにもこうにも、なんともならない。

素直に泣けばいいのに、こんな時に限って、涙の「な」の字も出ない。

それが、余計に苦しくさせていることはわかってる。


・・・。

とかなんとか、たかしに訊いてみました。

「悔しくて、時間を巻き戻したくて、でも、もうどうにもならへんさかいに、泣きそうなんやけど、なんかが詰まってて泣けへん時って、どうしたらええんやろ?」

「そんな時は、食うて、寝る」

流石、16才にして様々なことを経験なさっているだけのことはあります。

「食うて、寝る」か・・・。

何かが、喉の奥に詰まってて、夜も眠れへんのやけど。

「それでも、食うて、寝る」

・・・はい。

「アイスでも、チョコでも、とにかく、なんでもええねん。食べられるもんを、食うて、寝たら、すっきりするんとちがうの?」

・・・やってみます、たかし先生。

それでもダメな時は、甘えてもいいですか?

「それは、できひんな」

・・・厳しくて、優しい、たかし先生です。












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by marurin373 | 2017-02-03 23:43 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

彼の地より

「かあちゃん、お盆やさかい、お墓まいり行かなあかんな」
「何言うてんねんな。お盆いうたらな、地獄の釜のフタが開いてな、みんな還ってきはるねん。そやし、お墓行っても、からっぽえ」
「そうなん?ほな、じぃじやら、どこにいてはるん?」
「ここにお位牌あるさかい、ここちゃうか?」
「間違うて、京都で道迷ったりしてはらへんやろか」
「わーくんやったら、ありがちやな」

みんな、還ってきたはります。

夢に亡父や亡弟が頻繁に出てきます。

たかしが、心配そうに言います。
「かあちゃん、寝ながら泣いてるけど・・・」

今朝は、亡弟のお葬式をしている夢を見ました。

それで、かなり泣いてたらしいので、たかしが心配して
「かあちゃん、かあちゃん、」と、起こしてくれました。

また、あんな悲しい思いをしてしまいました。


お盆の時は、何日目にはこれ、何日目にはこれ、と、お供えものの決まりがありました。

でも、何にも教えてもらえませんでした。

「お迎え団子」を、祖母や母と、こねこねと作り、作りすぎたお団子は、あんこの缶を開けて、こっそりと食べていたのを思い出します。

せめて、白玉だんごの粉を買ってきて、お団子を作って、お供えすることにします。


「かあちゃん、還ってきはったじぃじやらは、いつまでいたはるん?」
「五山の送り火て、あるやろ?あれを目指して、またあっちに行かはるねん」
「ここからやったら、遠いなぁ」
「そやなぁ。そういうたら、ここいらのおしょらいさんは、何目指していかはるんやろなぁ」
「・・・大文字ちゃうん?」
「・・・今まで、考えたことなかったけど、大文字かなぁ?やっぱり」
「遠いのになぁ」
「まぁ、私らがここにいてるんやさかい、頑張ってもらお」

いつまでも「ここ」にいてくれはったら、ええのになぁ。














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by marurin373 | 2016-08-12 13:07 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

望んではいないけれども

たかしの誕生日に、毎年思うことがあります。

元オットは、どう思っているのか、と。

調停をしている時から、元オットは、たかしには全く何もせず、ここまできました。

誕生日だけではなく、小学校に入学した時や、中学を卒業した時、そして高校に入学した時、など。

もう、たかしが何才かなんて、わかってないのかもしれませんが、たかしは2000年生まれなので、すぐに年齢はわかります。

でも「誕生日」がいつなのか、忘れているのでしょう。

「自分の子供」という感覚が、もうないのかもしれません。

だから、余計にたかしがかわいそうに思えるのです。

祖父、祖母、叔父なども、いません。

敢えて話題にも出ませんが、一体、たかしはどう思っているのでしょう。

先日は、小さな声で「もう死んだらええのに」と、呟いていました。

たかしも私も、何も望んではいませんが、非情な父親やなぁと、私は思っています。
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by marurin373 | 2016-07-27 00:55 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

SNS

日常の、ほんのひとかけらを写真に撮って、投稿。

でも、他の人たちには、それが「ほんのひとかけら」だとは思わずに「日常全部」と受け取られてしまうようです。

「見えない部分」まで、あたかも「見える」部分のようにしていると、思われてしまう。

とっても、恐いことです。

確かに、誕生日や、たかしが中学を卒業したり、高校に合格して「おめでとうコメント」をもらうと、嬉しいものです。

が、しかし。



こんなことを、たかしに言うてたら
「そらな、見えへんことまで、そうやろうと思う人もたくさんいてはると思うよ。でもな、それを承知でやってるんちゃうの?」
と、言われました。

「中途半端に投稿するから、誤解されるねん。いくら、20年前の服着てても、かあちゃんは選ぶもんが、いちいち派手やから、そら節約してますていうても、信じてもらえへんわ。その指輪、ピアス、髪型、メガネ、帽子、それに服。そら派手な生活してるて思われても、しゃーないわ」

・・・たかしの言う通りです。

「しかも、かあちゃん、タバコ吸うやろ?いくらお酒止めたていうても、タバコ吸うてるやんて突っ込まれたら、何も言えへんな」

・・・痛いとこ突いてくる、たかし。

「せめて、タバコくらいは、吸わせてーな。本数も、かなり減らしてるし」
「ま、わかるけど、それ言われた時の言い訳でも考えとき」

あんたは、世帯主さんですか?

「誤解してる人に、ひとりひとりに生活の実態、メッセージでも送ったら?」
「そんなん、大変やん」
「ちゃんとして、生活してますって、言いたいんやろ?」
「うん」
「ほら、やっぱり、説明せなあかんわ」
「・・・かあちゃん、もうインスタもFacebookも、辞める」
「そんなことしたら、余計に心配してくれたはる人らに、心配かけるだけやで」
「そうやなぁ・・・仕事でも使こてるしなぁ」
「もう、投稿せーへんかったらええねん」
「ん、そうする」


SNSは、恐い。
やっと、気付くことができました。

そうやん。
私には、このブログがあるんやし。
ここに書いていったらええんやん。

と、いうことで、もうインスタもFacebookにも、投稿はしません。
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by marurin373 | 2016-05-11 12:13 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(2)