カテゴリ:今日の出来事( 457 )

その夜も、たかしに何時間も感情をぶつけられました。

そして、友人(私だけがそう思っているだけかもわかりませんが)からも、厳しい内容のラインがおくられてきました。

その後で、何度も考えに考えて、私の亡母が「毒親」ならば、私も立派な「毒親」だと、気付きました。

生命保険も、ある。

学費保険も、ある。

私も、たかしには、もう目一杯のところしか話していません。
私なりの判断で、たかしには隠しています。

「そや、私がいない方が、たかしにとってええんや」と思い立ち、持っている限りの薬を飲みました。

途中でたかしに
「自殺しよなんて、思ってるんちゃうやろな」と、言われたので、
「もう、行きていく自信がない」と答えると、
「あのな、オレは、一度も、かあちゃんのことを毒親なんか、一度も言うてない。
むしろ、優しかったり、明るい母ちゃんが、大好きやねん。
他人のLINEと、オレの言うことと、どっちを信じるんや?
かあちゃんは、普通の人生なんて送ってないと思てるやろけど、自分のことを毒親なんて思わんと、とにかく、生き続けて、オレに一生償え」と、言われました。

仕事の後で、いつもの精神科にいくと、
「もう、滅多に経験しないことのようなことを経験してるしなぁ。怒る人やら、一緒に悲しむ人やら、いろいろいてるしな。ま、飲んだ薬は、睡眠導入剤やし、あれをいくら飲んでも、どうもないしな。しかし、息子さんも、いろいろ言うようになったなぁ。傷つくこともあるやろうけど、あんまり負荷をかけないで、深呼吸して、私は毒親やないていう気持ちを念頭において、またおいで」と、言われました。

「うつ病」と診断されてから、もう25年以上が経っています。

それが原因で、たかしに迷惑をかけないように、仕方なく生きていくことにしました。








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by marurin373 | 2017-04-08 11:56 | 今日の出来事 | Comments(0)

55

今日は、父の祥月命日です。

1998年に、亡くなりました。

弟が自死してから、半年後です。

父は「ワシがいる時に、2階であいつが死んだんちゃうかって思うと、家にいてられへんのや」と言い、そして朝から晩まで、ずっとお酒を呑み、緊急入院をして、1週間で、還らぬ人となりました。

後、4年経つと、私も父と同じ年になります。

そう思うと、本当に早く逝ってしまったと、思います。

入院中、父が私に言ったこと。

「パチンコは、もう絶対にするな。それと、高速には乗るな。お前は、絶対に合流ができひんからな」と言い、笑っていました。

私は、それからは、父が教えてくれたパチンコも辞め、そして車の運転をする時も、いくら遠くても、下の道を通るようにしています。

「お前は、あんな母親が育てたんやから、ワシがちゃんと嫁入りの準備は教えたるさかい、安心しろ」とも言っていました。

そして、亡くなる日の昼間、人工透析をしながら、院長先生に「ワシの夢は、孫抱くことですねん」と笑顔で言っていたそうです。


そして、その2年後に、私はたかしを産みました。

陣痛促進剤で、波のない陣痛に苦しんでいる時、私は父を「見ました」。

亡父が、看護師さんや母や、元オットが立っている後ろに、亡父が、立っていたのです。

私は「お父さん」と、呼びたかったのですが、あまりにも陣痛が辛くて、声を出すことができませんでした。

その亡父を見た途端、いろんな心配や恐怖が吹っ飛び「私はお父さんに守ってもろてるんや」と思い、元気で大きなたかしを産むことができたのです。


お父さん、ありがとう。












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by marurin373 | 2017-02-19 22:55 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(2)

自己防衛

昨晩、たかしに訊いてみました。

「なぁ、ばぁばの祥月命日て、いつやったっけ?」
「2月の8日! つまり、昨日! あんたは、実の母親の命日もわからへんのかいな」
「いやな、8日か、9日か、曖昧やねん」
「ま、いろいろあったし、仕方ないやろけど、その日は、YMCAの雪あそびキャンプの日が、お葬式やったし、オレは、覚えてる」
「そやったなぁ・・・」
「お葬式がすんでから、かあちゃんに、雪あそびキャンプて、いつ?て訊いたら、今日やったんやって、オレに言うたやん」
「・・・そやったなぁ・・・」
「だーれも、謝らへんし!」
「そんなん、死なはったばぁばに言いよし」
「そういうと、思てた」
「わかってるんやったら、訊かんときぃな。しゃーないもん」
「ま、ばぁばも、オレの雪あそびキャンプに行かさんとこうて思て、死んだんちゃうやろし」

忘れてて、正解でした。

また、なだらかになった心が、トゲトゲしそうやったし。

取り敢えず「まんまんさん、あん」して、父も祥月命日が今月なので、一緒くたにして、またお墓詣りに帰洛します。









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by marurin373 | 2017-02-10 21:31 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

酉年の絵

たかし画伯に「酉年」の絵を描いていただきました。

今年はずっと、この「酉年」の絵が、トップに貼られることになります。

たかし画伯の気紛れで、また変わるかもしれませんが・・・・。








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by marurin373 | 2016-12-31 21:02 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

取り敢えず

毎年、年賀状のデザインはたかしがしているのですが、諸般の事情により、年賀状が送れなくなりました。

で、このブログのトップの画像は、その年の年賀状の絵を載せているのですが、たかしが「酉年」のデザインをしていないので、取り敢えず、以前たかしが落書きをしていた「鶏」の絵を載せることにしました。

また、改めて、たかしに「酉年」の絵を描いてもらったら、それを載せることにいたします。










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by marurin373 | 2016-12-31 03:03 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

ロス

この1年は、とても辛い1年でした。

いろんな報道に振り回され、本人たちから何も語られることなく、2016年は終わります。


それと、毎週YouTubeで2話づつ配信されていた「仮面ライダー龍騎」が、30日に終わりました。

たかしにネタバレされていたのに、やっぱり泣いてしまいました。

「毎週楽しみにしていたもの」がなくなり、いろんな「ロス」に陥っています。

来週からは「555」が配信されるので、ま、そっちはいいのですが。


「ブルーマンデー」の夜の重い気持ちを吹き飛ばしてくれる、あの番組も終わりました。

どこか信じられずにいて、けどやっぱり元の鞘に収まるんちゃうのん?なんて、自分をごまかしていましたが、やっぱり、最終回がやってきました。

来年は、どうなるのか、全くわかりません。

取り敢えず、金曜の夜のラジオを楽しみに聴いて、なんとか自分をごまかしたいと思います。









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by marurin373 | 2016-12-31 00:41 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

50

私も、遂に50才になりました。

ちょうど半世紀です。

正直、ここまで、自分が「生きている」とは、思いませんでした。

20代半ばで患った「慢性腎炎」は、お医者さんに
「このままでいくと、透析は避けられへんなぁ。その為にも、塩分制限と、妊娠・出産は諦めてください」
と、言われていました。

そして、何度も自殺を試みて、全て「未遂」に終わりました。

亡弟が、自死した後も、後追い自殺もしました。

その度に、一週間ほど、入院させられました。

その半年後、今度は父が入院し、人工透析をしなければならなくなり、水分制限をして、ツラい思いをしていました。

入院して、たった一週間で、父はあっけなく亡くなりました。

1人で、院長先生と、眠っている父を見つめていたら、
「あのね、いっつもは、否定的なことばかり言ってね、もう生きて行く気力がないんかなと思っていたけどね、今日のお昼、透析しながら、私に、笑顔で「ワシの夢は、孫抱くことですねん」て言わはってね、初めて明るい顔して言わはったしね、生きる気力を取り戻さはったんか、て、私も安心してたんですよ」
と、私に言わはりました。

私は、妊娠も出産も禁止されてるけど、でも、亡弟と、この父の命をもらって、もしかしたら、出産できるかもしれない。

そんな思いが、むくむくと湧いてきて、次にお付き合いした人と、結婚して、命を授かることができたのです。

東京に転勤する前に、お医者さんに
「とにかく、大きな病院を探して、腎臓を診てもらいなさい」
と、言われていました。

幸い、転居先のすぐ近くに、産婦人科があったので、取り敢えず受診しました。

「来週、また来なさい」と言われたので、次の週に行くと、妊娠していました。

けど、血尿もタンパクも、ひどい結果なので、日本医科大学病院を紹介してもらい、産科と腎臓内科を受診していました。

「切迫流産」「ひどい貧血」「切迫早産」「酸素の血中濃度が低すぎる」と、いろいろ言われ、東京では、殆ど出掛けることもなく、○ちゃんと過ごしていました。

で、8ヶ月で今いるところに引っ越し、臨月になって、帰洛し、結婚前に通っていた病院の産婦人科と、腎臓内科を受診することになりました。

ひどい妊娠中毒症になり、このままでは、どちらかが危ないと言われ、陣痛促進剤で産むこととなりました。

酸素マスクを付けて、独りで待機している時「私、このまま死ぬんかな」と思い、ぽろぽろと泣いていました。

あんなに、自殺未遂を何度もしてきたのに、やっぱり死ぬことが恐くなったのです。

看護師さんに
「私は、もうどうでもいいので、赤ちゃんだけでも、生きて取り上げてください」と言うと、看護師さんに、めちゃくちゃ怒られました。

「赤ちゃんの幸せは、お母さんがちゃんと生きてること。今からそんなこと言うて、どうするん! 赤ちゃんは、このお母さんならと思って、このお腹の中で産まれる準備してはるんえ!」って。

「こんな私でもいいんですか?」と訊くと、
「当たり前やん! 今まで、しんどい思いしてきたやろ? それが、全部報われる時なんえ!」って、言われました。

なんとか、無事、私でもたかしを産むことができて、現在、16才になった、たかしと2人で暮らしています。

でも、やっぱり、私の腎臓には負担が大きかったらしくて「身体障害者3級」になってしまいました。

両股関節の骨頭も壊死するし、人工骨頭も入ってます。

これで「身体障害者2級」に。

膝にも壊死が見つかり、これで「身体障害者1級」となりました。

この「人工骨頭」も、いつ何時交換しないといけないのか、わかりません。

痛みもひどくなってきました。


でも、まだ私は「生きている」のです。

いや、たかしに「生かせてもらっている」のかもしれません。

たかしがいないなら、私も、もうこの世にはいてないと、いつも思います。

家族は2人、貧乏で、たかしも病気で、ほそぼそと生きています。

本当に、この年まで生きているとは、思ってもいませんでした。

両親や、弟の命を、たかしに繋ぐことができました。


















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by marurin373 | 2016-11-17 03:43 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(2)

下ネタでございます。

ずいぶん前に、元生徒さんから、こんな言葉を教えてもらいました。

「さんじゅうさせごろ、しじゅうしごろ」

・・・。

「元生徒」さんに聞いた訳ですが、ま、年も近いし、最近では教えてもらうことばかりの人なんですが。

彼が、仕事で一緒になったおじさんに
「やっぱり、若い子が、いいですよね〜」と、言うと。

「何いうとるんじゃ。さんじゅうさせごろ、しじゅうしごろちゅうての、その頃が一番ええんじゃ」
と、言われたそうです。

で、その頃40代になりたての私に、余計な御世話的に「ま、おばちゃんも、自信持って、頑張って」と、言うてくれはりました。


昨晩、お風呂に入っている時に、なんかこの言葉を思い出し、そう言うたら、50になったら、どう言うんやろ?と、いろいろと考えていました。


そしたら、今夜、この彼から偶然電話があり、いろいろとアホな話をしていたのですが「あ、そや」と思い出し、訊いてみました。

「なぁ、さんじゅうさせごろ、しじゅうしごろて、覚えてる?」
「おう。あれは、俺がおばちゃんに教えたんやんか」
「ほなな、50になったら、なんて言うん?」
「え?50?ん〜ん、知らんなぁ・・・」
「やっぱり、さんじゅうさせごろ、しじゅうしごろ、ごじゅうごめん、やろか?」
「・・・そやなぁ・・・おばちゃんには悪いけど、やっぱり、50はごめんやろ」
「まぁ、別にええけどな」
「何?まだそんな色気出してんの?」
「いや、お風呂入る時とかにな、己の身体が鏡にうつってな、つい見たらな、もう好きな人程、見せられへんねん」

そう言うと、彼は大笑いです。

「あんなに、おばちゃんのファンがたくさんいてたのになぁ」
「うっさい」
「やっぱり、おばちゃんも、年取るんやな」
「私は妖怪ちゃうもん」
「そろそろ50やろ?」
「うん」
「もうな、たかしくんを育てることだけに、頑張り」
「別に、もういらんもん」

彼は、まだ笑ってます。

・・・悔しい。


「私、脱ぐと、すごいんです」

ま、違う意味ですけどね。











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by marurin373 | 2016-11-09 01:14 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

お風呂

たかしの「ライナスのブランケット」である「くたくたスヌーピー」なんですが、どーにも、こーにも、汚れてます。

特に、たかしが顔をすり寄せて寝ているスヌーピーのおでこ部分は、なんか、黒っぽくなってます。

これは、いけない。

ニキビの元ともなるし、ダニとか、う〜む、考えただけでも気色悪い・・・。

なので、意を決して、たかしからスヌーピーを取り上げ、洗うことにしました。


朝の8時頃。

むくっと起きた私は、たかしが、ぎゅーっと抱き締めているスヌーピーを、ぬ〜〜と抜き取り、洗濯。

案の定、たかしは「何するねんな〜」と、寝ぼけてますが、怒ってます。

「こんなな、汚いスヌーピーちゃん、もうイヤやろ? お天気も続くみたいやさかい、今日は洗う!」
「・・・かあちゃん、できるん?」
「もう、調べた」
「変にならへん?」
「ならへん!」


スヌーピーが入るほどのバケツに、お湯と「毛布用洗剤」を入れて、ぎゅう、ぎゅう、と押し洗いしていくと、もうお湯は真っ黒。

「な? 見とうみ? こんなけ汚れてはったんえ」
「・・・ほんまや・・・」

ぎゅう、ぎゅう、と押し洗いと、特に汚れているところは、ブラシで洗います。

一度、お湯を流して、またお湯を溜めて、洗剤も入れて、押し洗い。

なんとなく、お湯の色が薄くなったような気がします。

黒い耳、顔、腕、足、お腹、と、部分ごとに洗い、かれこれ30分。

「もうええやろ」と思い、またお湯を捨てて、お湯の中で押し洗い。

何度もお湯を変えて、すすいでいきます。

最後は、タオルでスヌーピーを包み、洗濯ネットに入れて、20秒程、洗濯機で脱水。

また別の角度で包んで、ネットに入れて、20秒、脱水。

そして、ぶら下げるのではなく、平らなところにタオルを敷いて、スヌーピーを大の字に寝かせて、干しました。

「今晩は、きれいなスヌーピーちゃんと、寝られるんやな」
「何言うてんの、奥の方まで乾くまで、そやなぁ、5日はかかるな」
「えぇ〜〜〜っ!」
「中途半端やったら、虫わくえ」
「オレ、寝られへんやん〜〜」
「ちょっとくらい、我慢しよし」
「オレに、寝不足になれっちゅうことか?」
「ほな、かあちゃんのスヌーピーちゃん貸したげるさかいに」
「あかんねん、あのスヌーピーちゃんでないと、あかんねん!」
「明日、学校やさかい、かあちゃん、もう寝るえ」
「うううぅぅぅぅ〜〜〜〜〜」

「夜やさかい、ちょっとだけやったらええわ」
私、根性負けです。

たかしは、嬉々としてスヌーピーちゃんを取り行き、すぐに寝てしまいました。


朝になって。

「かあちゃん、今日の天気、どうや?」
「暑いくらいらしいえ」
「ちゃうやん、スヌーピーちゃん干すねん」
「ああ、お日さん出るさかい、ちょうどええんちゃうか?」
「ほな、干しとくわ!」

たかしは、スヌーピーを、また大の字にして干し、お弁当にケチをつけ、学校に行きました。

と、思ったら、戻ってきました。

「どしたん?」
「風でな、落ちひんようにしといてや」
「・・・スヌーピーちゃんか?」
「当たり前や」
「ほいほい、わかったわかった」
「ほな、行くさかい」
「あ、鍵持ってるか?」
「それより、ちゃんと鍵閉めて、お仕事行ってや」
「・・・はい」
「ほな、いってきまーす」
「気ぃつけて、いっといないや」
・・・たかし、無言で「バイバイ」をしています。

毎週の、朝の景色です。

私も、ちゃんと鍵を閉めて、お仕事に行かないと。

こないだは、閉めるの忘れてしもて、えらい怒られたんやったな。

ほんまに、ええお天気で、スヌーピーちゃんも、ぬくぬくしたはります。

ブラシかけて、ほわほわにしよ。


















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by marurin373 | 2016-10-20 10:12 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

2016年、10月13日で「和解」というかたちではありましたが、私が1年半かけて、やっと「離婚」が成立して、ちょうど10年経った日でした。

別居して、調停して、裁判して・・・と、実に1年半かかってしまいました。

元オットは、何故そんなにまで執着して「離婚」したくなかったのか、今ならなんとなくわかります。

「自分よりも弱い立場の者を失いたくなかった」のではないかと思います。

たかしが産まれて、一番大変な時は、全て私任せ。

私は元々慢性腎炎で、ひどい「妊娠中毒症」になり、腎臓を少しでも治す為に、薬を飲まなければならず、母乳をあげることは禁止されました。

なので、たかしは「ずっとミルク、紙おむつ」で育てることになりました。

元オットは、たかしの「うんちの処理」も、できない人でした。

もちろん、3時間置きのミルクなんて、以ての外。

一度だけ、私が38℃程の熱を出し、本当に「仕方なく」仕事を休み、たかしの面倒を見ないといけない日がありました。

今でも忘れませんが、たかしが、3時間程経ったので、泣き出しました。

私は、うつうつとしながらも「あ、ミルクの時間やな」と起きましたが、たかしに風邪をうつしてはいけないし、でも気になるし・・・と思って、元オットがミルクを作るのを待っていましたが、一向にその気配はありません。

たかしは、まだ泣いています。

堪りかねて、元オットに「なんでミルク、あげへんの?」と訊くと、元オットは寝ぼけた顔で「起きたらまず、タバコやろが!」と叫んでいたのを鮮明に覚えています。

あの日から「たかしは私1人で育てていかなあかんのやな」と、決意しました。

そろそろ首や腰が座り出し、少しづつ話し出して「面白く」なってきた頃から、元オットは、まるで「新しいオモチャ」を手に入れたかの如く、面白がっていました。

突然、大声で「たかし!」と、怒鳴り、たかしが怯えて振り向く、その顔を見ては、げらげらと笑う、ということを幾度となく繰り返していました。

だから、今でも「大人の男の人の大声」は、たかしにとっては「恐い」対象となり、トラウマになっています。

今でも、その名残があるのですが、たかしは「大人の顔色を見る子供」でした。

たかしが剣道を続けることができなかったのも「大人の男の先生」が、大声で気合いを入れて試合をしはる姿を見て「なんで、怒ったはんの?」と怯えて、いくら私が「怒ってはるんとちゃうえ」と言い聞かせても、やはり「やっぱり、恐い」と言って、辞めてしまいました。

そんな出来事がいろいろと続き、私が足の手術で入院している間にも、実に様々なことがあったようなのですが、口止めされているらしく、たかしは決して私には何も話しませんでした。

しかし、別居して「もう、とうちゃんと離れてのんびり暮らしていけるのだ」ということを理解した頃に、ポツポツと、私に「こんなことがあった」とか「あんなことがあって、イヤやった」と、話し出しました。

「児童虐待」です。


私が庇うと、余計に、たかしに辛くあたるので、庇うこともできず、私は「このままやったら、たかしは殺される」とまで思うことが何度もありました。

私のことは「足の悪いお手伝いさん」と呼び、障害者基礎年金が支払わられるとの決定通知書が届くと、あっさり仕事も辞めてしまいました。

元オットからは「自分で障害者になったんだから、俺は何にも手伝いたくない」と、きっぱりと言われ、そこには理解や援助が全くないということがわかり、たかしに対する態度も含めて、別居を決意しました。


始めは、どうせすぐ戻ってくるだろうなどと思っていたようですが、私の怒りはただならぬものがあったので、たかしを護る為にも、決して「元のサヤに収まる」などとは思いませんでした。


何故「和解」ということになったのかというと、裁判官曰く「このまま裁判を続け、慰謝料などの取り決めなどをし、裁判を長引かせることは、原告の身体の為にも、精神的なものの為にも良くないと思われるので、和解離婚とする」というものでした。

私は、たかしが22才になるまで、月に2万円の養育費を被告が支払うということが決まっただけでも、有り難く、本当に1日でも早く離婚したかったので、この判決に異論はありませんでした。


そして、たかしの人生に於ける成長の中で、最も辛く、しんどい思春期や、いじめや、登校拒否や、そして病気、高校への進路など、全て私1人が受け止めなければならず、たまには私も夜中に泣いたこともありましたが、なんとか10年という歳月が、知らぬ間に過ぎていたのです。


たかしに「あのな、今日でな、とうちゃんとかあちゃんが離婚して、ちょうど10年やねん」と言うと、たかしは、白けた顔をして「あんな人、別にいらんわ」とだけ言い、隣の部屋に行ってしまいました。

私は、もしたかしが「とうちゃんに会いたい」と言い出せば、勿論会うことに異論はありませんが、たかしは「オレ、本当に、真剣に、ああ、この人には死んでほしいて思たん、とうちゃんだけやわ」と言います。

「どうせ、いろんなとこから借金してるんやろし、相続放棄だけは、かあちゃん、頼むで」とまで言います。


元オットは、来年で60才。

きちんと働いているのなら、定年退職です。

もう、養育費も一度も支払ったこともないんやし、九州に帰って、ママと2人で暮らせばいいのに、と、私は思っています。


けど「結婚」は、して良かったと、後悔はしていません。

たかしという、宝物を授かることができたから。

ただ、私の「男を見る目」が腐ってただけやと、思っています。


・・・ほんまに、いろんなことを経験する人生です。

って、自分で言うのも、なんやけど。




















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by marurin373 | 2016-10-15 01:24 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)