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扇風機

私、お風呂上がり。

バスタオル一枚まいて。

扇風機の風で、心地よくて。

時々、扇風機に向かって「あ゛〜〜〜〜」とか言うて。


ふと、横を見ると、たかしがいてる。

あ、と気が付いた、私。

「思春期の男の人の横で、このカッコはあかんな」
「何言うてんねん、今更。
オレが中学の時から、かあちゃん、ずっとそんなカッコやん。
しかも、オレ、もう高校生になってるし」

呆れられました。

そやかて、お風呂上がりは、扇風機で涼むのって、気持ちいいんやもん。

「あー、広い家に住みたいなぁ〜」と、たかしのため息。











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by marurin373 | 2016-10-24 12:40 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(3)

お風呂

たかしの「ライナスのブランケット」である「くたくたスヌーピー」なんですが、どーにも、こーにも、汚れてます。

特に、たかしが顔をすり寄せて寝ているスヌーピーのおでこ部分は、なんか、黒っぽくなってます。

これは、いけない。

ニキビの元ともなるし、ダニとか、う〜む、考えただけでも気色悪い・・・。

なので、意を決して、たかしからスヌーピーを取り上げ、洗うことにしました。


朝の8時頃。

むくっと起きた私は、たかしが、ぎゅーっと抱き締めているスヌーピーを、ぬ〜〜と抜き取り、洗濯。

案の定、たかしは「何するねんな〜」と、寝ぼけてますが、怒ってます。

「こんなな、汚いスヌーピーちゃん、もうイヤやろ? お天気も続くみたいやさかい、今日は洗う!」
「・・・かあちゃん、できるん?」
「もう、調べた」
「変にならへん?」
「ならへん!」


スヌーピーが入るほどのバケツに、お湯と「毛布用洗剤」を入れて、ぎゅう、ぎゅう、と押し洗いしていくと、もうお湯は真っ黒。

「な? 見とうみ? こんなけ汚れてはったんえ」
「・・・ほんまや・・・」

ぎゅう、ぎゅう、と押し洗いと、特に汚れているところは、ブラシで洗います。

一度、お湯を流して、またお湯を溜めて、洗剤も入れて、押し洗い。

なんとなく、お湯の色が薄くなったような気がします。

黒い耳、顔、腕、足、お腹、と、部分ごとに洗い、かれこれ30分。

「もうええやろ」と思い、またお湯を捨てて、お湯の中で押し洗い。

何度もお湯を変えて、すすいでいきます。

最後は、タオルでスヌーピーを包み、洗濯ネットに入れて、20秒程、洗濯機で脱水。

また別の角度で包んで、ネットに入れて、20秒、脱水。

そして、ぶら下げるのではなく、平らなところにタオルを敷いて、スヌーピーを大の字に寝かせて、干しました。

「今晩は、きれいなスヌーピーちゃんと、寝られるんやな」
「何言うてんの、奥の方まで乾くまで、そやなぁ、5日はかかるな」
「えぇ〜〜〜っ!」
「中途半端やったら、虫わくえ」
「オレ、寝られへんやん〜〜」
「ちょっとくらい、我慢しよし」
「オレに、寝不足になれっちゅうことか?」
「ほな、かあちゃんのスヌーピーちゃん貸したげるさかいに」
「あかんねん、あのスヌーピーちゃんでないと、あかんねん!」
「明日、学校やさかい、かあちゃん、もう寝るえ」
「うううぅぅぅぅ〜〜〜〜〜」

「夜やさかい、ちょっとだけやったらええわ」
私、根性負けです。

たかしは、嬉々としてスヌーピーちゃんを取り行き、すぐに寝てしまいました。


朝になって。

「かあちゃん、今日の天気、どうや?」
「暑いくらいらしいえ」
「ちゃうやん、スヌーピーちゃん干すねん」
「ああ、お日さん出るさかい、ちょうどええんちゃうか?」
「ほな、干しとくわ!」

たかしは、スヌーピーを、また大の字にして干し、お弁当にケチをつけ、学校に行きました。

と、思ったら、戻ってきました。

「どしたん?」
「風でな、落ちひんようにしといてや」
「・・・スヌーピーちゃんか?」
「当たり前や」
「ほいほい、わかったわかった」
「ほな、行くさかい」
「あ、鍵持ってるか?」
「それより、ちゃんと鍵閉めて、お仕事行ってや」
「・・・はい」
「ほな、いってきまーす」
「気ぃつけて、いっといないや」
・・・たかし、無言で「バイバイ」をしています。

毎週の、朝の景色です。

私も、ちゃんと鍵を閉めて、お仕事に行かないと。

こないだは、閉めるの忘れてしもて、えらい怒られたんやったな。

ほんまに、ええお天気で、スヌーピーちゃんも、ぬくぬくしたはります。

ブラシかけて、ほわほわにしよ。


















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by marurin373 | 2016-10-20 10:12 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

2016年、10月13日で「和解」というかたちではありましたが、私が1年半かけて、やっと「離婚」が成立して、ちょうど10年経った日でした。

別居して、調停して、裁判して・・・と、実に1年半かかってしまいました。

元オットは、何故そんなにまで執着して「離婚」したくなかったのか、今ならなんとなくわかります。

「自分よりも弱い立場の者を失いたくなかった」のではないかと思います。

たかしが産まれて、一番大変な時は、全て私任せ。

私は元々慢性腎炎で、ひどい「妊娠中毒症」になり、腎臓を少しでも治す為に、薬を飲まなければならず、母乳をあげることは禁止されました。

なので、たかしは「ずっとミルク、紙おむつ」で育てることになりました。

元オットは、たかしの「うんちの処理」も、できない人でした。

もちろん、3時間置きのミルクなんて、以ての外。

一度だけ、私が38℃程の熱を出し、本当に「仕方なく」仕事を休み、たかしの面倒を見ないといけない日がありました。

今でも忘れませんが、たかしが、3時間程経ったので、泣き出しました。

私は、うつうつとしながらも「あ、ミルクの時間やな」と起きましたが、たかしに風邪をうつしてはいけないし、でも気になるし・・・と思って、元オットがミルクを作るのを待っていましたが、一向にその気配はありません。

たかしは、まだ泣いています。

堪りかねて、元オットに「なんでミルク、あげへんの?」と訊くと、元オットは寝ぼけた顔で「起きたらまず、タバコやろが!」と叫んでいたのを鮮明に覚えています。

あの日から「たかしは私1人で育てていかなあかんのやな」と、決意しました。

そろそろ首や腰が座り出し、少しづつ話し出して「面白く」なってきた頃から、元オットは、まるで「新しいオモチャ」を手に入れたかの如く、面白がっていました。

突然、大声で「たかし!」と、怒鳴り、たかしが怯えて振り向く、その顔を見ては、げらげらと笑う、ということを幾度となく繰り返していました。

だから、今でも「大人の男の人の大声」は、たかしにとっては「恐い」対象となり、トラウマになっています。

今でも、その名残があるのですが、たかしは「大人の顔色を見る子供」でした。

たかしが剣道を続けることができなかったのも「大人の男の先生」が、大声で気合いを入れて試合をしはる姿を見て「なんで、怒ったはんの?」と怯えて、いくら私が「怒ってはるんとちゃうえ」と言い聞かせても、やはり「やっぱり、恐い」と言って、辞めてしまいました。

そんな出来事がいろいろと続き、私が足の手術で入院している間にも、実に様々なことがあったようなのですが、口止めされているらしく、たかしは決して私には何も話しませんでした。

しかし、別居して「もう、とうちゃんと離れてのんびり暮らしていけるのだ」ということを理解した頃に、ポツポツと、私に「こんなことがあった」とか「あんなことがあって、イヤやった」と、話し出しました。

「児童虐待」です。


私が庇うと、余計に、たかしに辛くあたるので、庇うこともできず、私は「このままやったら、たかしは殺される」とまで思うことが何度もありました。

私のことは「足の悪いお手伝いさん」と呼び、障害者基礎年金が支払わられるとの決定通知書が届くと、あっさり仕事も辞めてしまいました。

元オットからは「自分で障害者になったんだから、俺は何にも手伝いたくない」と、きっぱりと言われ、そこには理解や援助が全くないということがわかり、たかしに対する態度も含めて、別居を決意しました。


始めは、どうせすぐ戻ってくるだろうなどと思っていたようですが、私の怒りはただならぬものがあったので、たかしを護る為にも、決して「元のサヤに収まる」などとは思いませんでした。


何故「和解」ということになったのかというと、裁判官曰く「このまま裁判を続け、慰謝料などの取り決めなどをし、裁判を長引かせることは、原告の身体の為にも、精神的なものの為にも良くないと思われるので、和解離婚とする」というものでした。

私は、たかしが22才になるまで、月に2万円の養育費を被告が支払うということが決まっただけでも、有り難く、本当に1日でも早く離婚したかったので、この判決に異論はありませんでした。


そして、たかしの人生に於ける成長の中で、最も辛く、しんどい思春期や、いじめや、登校拒否や、そして病気、高校への進路など、全て私1人が受け止めなければならず、たまには私も夜中に泣いたこともありましたが、なんとか10年という歳月が、知らぬ間に過ぎていたのです。


たかしに「あのな、今日でな、とうちゃんとかあちゃんが離婚して、ちょうど10年やねん」と言うと、たかしは、白けた顔をして「あんな人、別にいらんわ」とだけ言い、隣の部屋に行ってしまいました。

私は、もしたかしが「とうちゃんに会いたい」と言い出せば、勿論会うことに異論はありませんが、たかしは「オレ、本当に、真剣に、ああ、この人には死んでほしいて思たん、とうちゃんだけやわ」と言います。

「どうせ、いろんなとこから借金してるんやろし、相続放棄だけは、かあちゃん、頼むで」とまで言います。


元オットは、来年で60才。

きちんと働いているのなら、定年退職です。

もう、養育費も一度も支払ったこともないんやし、九州に帰って、ママと2人で暮らせばいいのに、と、私は思っています。


けど「結婚」は、して良かったと、後悔はしていません。

たかしという、宝物を授かることができたから。

ただ、私の「男を見る目」が腐ってただけやと、思っています。


・・・ほんまに、いろんなことを経験する人生です。

って、自分で言うのも、なんやけど。




















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by marurin373 | 2016-10-15 01:24 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

「体育の日」

10月10日は、私の両親の結婚記念日でした。

1965年に結婚したのですが、1964年に「東京オリンピック」の開会式があったということで、この年から祝日となった、と聞いています。

でも、亡父は「ワシらが結婚したさかい、祝日になったんや」と、いっつも言うてました。


両親は、高校の同級生で、3年間、同じクラスでした。

しかし、亡母と亡父は、グループが違うというか、高校時代はあんまり接触はなかったそうです。

亡母に至っては、亡父のことを、あまりよく思ってなかった、と、後々こっそりと語っていました。


そして、卒業後、四条河原町で、2人は再会するのです。

亡母の父、つまり私の祖父の代から行き付けの喫茶店に行き、いろいろと話したらしいのですが、亡母は、どーしても、どーしても、亡父の名前が思い出せないのです。

そこで、亡母は、妙案を思い付き「お名刺、ちょうだい?」と言って、亡父の名前を確認し「あー、そやそや、そやった、そやった」と思い出したそうです。

当時、亡父は、五条河原町の実家に住んでいて、離れの2階を好きなように使っていました。

ホームバーを作って、友達を集め、呑んだり食べたりしていたそうです。

亡父は、婦人服に興味を持ち、服飾科卒業の亡母とまた連絡を取る約束をします。

そして、亡父は、亡母に会いたいが為に、クリスマスパーティーを開催する予定を立てます。

もちろん、離れの2階の、自慢のホームバーもある広い部屋で、他にも友達を呼んで。


しかし、亡母の父、つまり私の祖父が、12月の末に脳梗塞で倒れ、いつ亡くなってもおかしくない状態になってしまいました。

それで、亡父が、亡母に会いたいが為に、開催しようとしたクリスマスパーティーに行けなくなり、後に「別にどーでもええやつばっかり来よってん」という状況になってしまいました。

で、年を越して、1月の3日に、祖父は亡くなってしまいます。

マメな亡父は、ちょうど、49日が済んだ頃に、亡母に連絡をとり、会って慰めます。

弱っている精神状態の亡母は、京都弁で優しく慰めてくれる亡父に、いつしか頼るようになります。


そして、忌明けした後で、2人は北大路堀川にある、教会で結婚式を挙げます。

ウェディングドレスは、同じ服飾科だった友達と亡父がデザインし、製作します。

式を挙げる前には、幾度か日曜礼拝に行かなければいけません。

神父さん、と言っていたので、プロテスタントではなかったようです。

この教会で、結婚式を挙げられるのは、亡母がここの幼稚園に通っていたから。

それだけの理由なので、亡父は、日曜礼拝が退屈で仕方がない。

で、亡父は「キリストさんを、またいでん」とか「またぐらのマリア」とか、非常にくだらないことを思いながら、神父さんの、ありがたーいお話を拝聴していたそうです。


私の夢は、亡母のウエディングドレスを着て結婚式をしたい、というものでしたが、友達に貸したりしている間に、無くなってしまったそうです。

それなら、せめて、その亡父と一緒にデザインして縫製までした、亡母の同級生の方にデザインしていただいて「私だけの」ウエディングドレスを着て、バージン・ロードを歩きたい。

そう思っていました。

しかし、時の流れというのでしょうか、お願いしたのですが、その同級生の方は「私、もう、よう作れへんわ」と、あっさり断られ、知り合いのご親戚の方のドレスをリメイクして、それを着せていただいて、結婚式を挙げました。


「ハッピー・マンデー」という制度が導入され、10月10日は、必ずしも祝日ではなくなりました。

「お父さん、離婚するとか、そんなことばっかり言うてるさかいに、もう祝日やなくなったんちゃうん?」
と、私が言うと、亡父は「けっ」と、一言。

亡母にも言うてみましたが、亡母も「ふんっ」と、一言。

なんやかんやと「離婚する」とか「別居する」とか、そんなことばかり言うてた夫婦でしたが、このリアクションで、私は「やっぱり、夫婦は夫婦やねんな」と、納得しました。

彼岸でも、ケンカしてるんちゃうかなぁ。


















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by marurin373 | 2016-10-12 11:35 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)