「生活発表会」

今月初めに、息子の通う保育園の「生活発表会」がありました。
昨年は、舞台に出ている間中泣き続け、先生に抱きかかえられ、でもまだ泣き続け、今すぐにでも連れて帰りたいような状態でした。

その時の全体写真、今もアルバムに貼ってありますが、物悲しい気分になります。

で、今年。
歌も、ただ歌うだけではなくて、小さな踊りや鈴も鳴らすらしい。
劇も、ちゃんとした物語になっているらしい。
やっぱり、だんだんと難しく設定されているようだ・・・。

しかも、ビデオとかDVDの販売もするらしい。
みんな申し込んでたりしたはるけど、またずっと泣いてるDVDなら、正直見たくない・・・。
申し込み期限が発表会の後だったので、ま、見てから申し込もう、と思って。

思い起こすと、昨年は風邪をひいてしまって、たくさん休んだために、練習があんまりできなかった。
みんなができて、自分ができない(と、いうか、知らない)劇や歌なんて、面白くない。
風邪も治らない。で、また休む。で、またわからない。面白くない。
・・・という、悪循環の結果が昨年の「舞台上での大泣き」であったのやもしれぬ。これは、私にも責任の一端がある。

そこで、今年はまず、「健康管理」。
幸い、今年は暖かくて、そしてだんだんと丈夫になってきたようで、風邪もひいてない。
家でも、練習する時の歌も歌っている。
「いち、やーすみ、に、やーすみ、さん、やーすみ・・・」って、ずっと「休み」のようだ。
これなら、息子にもできるもしれない・・・!

プレッシャーを与えないように、でもやっぱり話題は来る「生活発表会」になってしまう。

以前、「かあちゃんがみてると、なんにもできひんようになってしまうねん」と言われたことがあるので、それとなく、「今度は、かあちゃん、見に行ってもいい?」と聞いてみたり。

そんな日々を過ごして、「お誕生会」のために練習ができなかった、と言って怒ってたので、私の期待は否が応にもふくらんでしまう。

「今年こそ」「今年は」「きっと」「もしかして」「たぶん」「そこを何とか」でも、絶対に息子には言わずに、私1人で悶々としていました。

当日。機嫌はいい。それに、暖かい。朝ご飯も、しっかり食べてる。
「よし、この調子なら・・・」私は密かに、デジカメを用意しました。

プログラムを見ると、割と最初の方と、終わりの方。
そこまで、息子は我慢できるやろか?
途中で、「もうやめる」なんて言わないだろうか?
プログラム見ただけで、もう不安でいっぱいになる、私。

やがて、順番が来た。
おお! ちゃんと、出てきた! ま、多少顔は引きつっているけど、自分で歩いて出てきた!
そして・・・。
なんと、ちゃんと鈴を鳴らしている・・・。
時々、上の方に持ち上げて、フリフリしたりしている・・・。
歌も歌っている・・・。
随所に、踊りもしている・・・!

私は、これほどまでに心を揺さぶられた「おもちゃのマーチ」を聞いたことがありません。
そして、当たり前のように、泣きました。涙が止まりませんでした。
こうして泣いている自分を見ている私までもが、泣いていました。
そして、それがちっとも恥ずかしくなかったのです。
今年は、息子が泣かずに、私が泣いたのでした。

私は精神的に忙しかったし、1音でも聞き逃すまじ、という心境だったので、デジカメの出番はありませんでした。

最後の方での劇は、「3匹のこぶた」でした。
「わら」の家を作る、「なまけものの子豚さん」を見事なまでに演じきり、劇は終了しました。

ただ、たった1度の「舞台稽古」の日に、私の祖母のお葬式で休んだので、段取りや立ち位置がわからず、同じ「おにいちゃんぶたさん」の女の子に「こっち!」と思いっきり叱られてました。

もちろん、DVDを注文しました。当たり前です。

昨年できなかったこと、春にできなかったこと、夏にできなかったこと、そして昨日までできなかったことが突然、今日できるようになった日は、なんとも幸せな、嬉しい1日になります。

そんな発見ができる日々は、「子育て」の中での「黄金時代」かもしれませんね。
もうじき「偏差値がどうの」「進路がどうの」という日がやってくるやろうし・・。

息子は、この1年、1ヶ月に1センチづつ身長が伸びました。
昨年「来年も余裕で着られるように」と思って買っていた120センチの服が、ぴったりです。
今年は、またもや「来年も、余裕で着られるように」と、130センチの服を買っています。
そして、たくさんの「着られなくなった服」ができて、それぞれいろんな方にもらっていただきました。

「130」の服を買っていると、大抵「小学生ですか?」と聞かれますが、息子は正真正銘、まだ4才です。サバよんだりしていません。
身長が高いから、何かと目立つし、「できないこと」も目立ってしまうのかもしれません。

よくよく考えてみると、「3年保育の幼稚園での年少さん」な年なワケで。
そう考えると、少々、朝「かあちゃんがいい〜〜」とダダをこねても、「仕方ない」と思えるようになりました。
いくら「オレは、かあちゃんとけっこんする」と宣言していても、まだ4才なんやったな。

ずっと我が子だけを見て、そして集団の中で見比べてしまうクセがつくと、落ち込むことの方が多いような気がします。どうしても「できないこと」を探してしまうし。

今日は、ひらがなの「ま」と「き」と「ゆ」が書けるようになりました。
なんで「し」とか「へ」が書けへんのや? そっちの方が簡単やん?! と思うと、子育ての「ワナ」にはまります。
書けた〜書けた〜と喜んで、寝ることにします。
「ま」の横棒が3本あろうと、それはそれでいいのです。
また明日、「実は2本でいいのだ」と伝えればいいのであって。

こうして、この人は、ゆっくり、マイペースで育っていかはるんやなぁ、とつくづく思います。
ごちゃごちゃ考える私の方が、人間できてないような。
それに、「マイペース」が当たり前なんやもんな。
まだ「知識」とか「教養」を身につけるのではなくて、「発育」の段階なんやから。
背が伸びて、体重ももうじき20キロになりそうなんやし、なにより。
オットよりもカッコいいお尻してるしね。

ああ、DVD、まだできないのかな〜〜〜。 
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# by marurin373 | 2004-12-29 03:17 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(2)

さすが、師走

ふと気がつくと、こんなに書いてなかったのか・・・とオドロキました。

文字通り、心身共に忙しい日々でした。

父方の祖母が亡くなったので京都へ帰っていたり、息子の「生活発表会」があったり、いつもの医者通い、区役所通い、息子の風邪、そして私もうつって寝込んでたり。

取り敢えず、毎日Macには向かうんですが、「何か」を書く気力と体力と時間がなかった・・・。頭の中もぐちゃぐちゃやったし。

別に、いろんな事のメドがついたわけではないのだけれど、今、思っていることを・・・と思って、で、なんか書き留めておこう、と思ったのですが、イマイチ何を書いていいかわからない状態です。

でもまあ、喜怒哀楽が激しいのは、本当に疲れますね。
泣いたり、笑ったり、怒ったり。それが1日の内で何度も繰り返される。
私にとっては、移動やいろんな人への挨拶も疲れました。

お通夜とお葬式の前に、息子に「おとなしいにしてんと、お空からおばあちゃん、見たはるえ」と言うと、「え?! おばあちゃん、サンタさんやったん?!」と驚いていました。
確かに、12月に入ってからは、「おりこうさんにしてんと、サンタさんが見たはるえ」と言ってたっけ。
そして、息子のこの一言で、心がほぐれました。

しかし、親族が亡くなることは、何度経験しても、慣れないものですね。

私の父は、もう既に亡くなっているので、私が代理となり伯父と相談したり挨拶したりしていました。
そして、残る問題は「遺産相続問題」です。
ケンカしたり、調停などせずに、無事すむかどうか・・・。
伯母も叔母もいるし。はぁ。

相続人の1人である、父が亡くなっていると、「代襲相続」をするんですが、これがまた大変そうで、面倒な感じがして。
「ハンコ」とか「印鑑登録」とか「戸籍謄本」とかその他いろいろもろもろ・・・。
「法的」なことと、「情的」なことが絡みそうで。

とにかく、納骨までに「お勉強」せな、ということで無料の法律相談に行ったりしましたが、そもそもこんなことを考えなあかんことが、悲しくて。

私の弟、父、祖母、と、この3代は、全て逆の順序で亡くなっているのです。
だから、祖母のことでも、私に直接関わってくるわけです。

「昔、ある貴族が、高名な僧侶のところへ、新年の挨拶に行った。そこで、貴族は僧侶に「何か書を」と頼むと、その僧侶は
『親死に、子死に、孫死に』
と書いた。それを見た貴族は、正月なのになんと縁起の悪い、と文句を言ったが、その僧侶は「順番通りに亡くなること、こんなに幸せで良い事はない」と言い、貴族は納得して、ありがたくその書をもらって帰ったー」

そんな一文を思い出しました。

子供が親よりも先に亡くなると、「お山」には行けません。
だから、弟の時は私が代表でお骨を拾いました。
アレ、つらかったなぁ・・・。
「何で私がこんな悲しいことせなあかんの」て、ずっと思ってたっけ。

ま、それを思うと、おばあちゃんは、90才だったので、大往生です。
でも、最後まで私の病気を気にかけてくれたはったそうです。

孫の中で、一緒に暮らしたことがあるのは私と弟だけなので、今となってはもう私だけが、唯一、共に暮らした孫となりました。
だから、実にいろんな事を思い出しました。多分、他の従兄弟達よりも。
いい事も、わるい事も。ケンカもしたなぁ。

私が一番怒られたし、一番心配もかけました。

おばあちゃん、ごめんね。んで、ありがとう。
と言って、お別れしました。

そして、息子の「生活発表会」。
これについては、また長々と書くと思うので、またの機会に。
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# by marurin373 | 2004-12-23 02:41 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

「甘えんぼさん」

最近、息子がこっそりと、私に「・・・甘えんぼさん、していい?」と聞いてきます。
絶対にオットには聞こえないようにして。

大抵は「いいよ」と言って膝に乗せて(これが重い! 4才で19.5キロある!)、息子が呟くことを「ふむふむ」と聞くのですが、今日は忙しかったので、なかなか「甘えんぼさん」ができなかった。すまぬ、息子よ。

聞いてみると、「●●ちゃんが、××て言わはった」とか「みんなが、わろた」とか、息子なりの愚痴なんですが、なんでこの頃突然に? と、不思議に思っていました。

で、先日保育園の先生と話していたら、「最近おふざけしなくなりましたよ」、「すっごくいい子にしてるんです」、「泣かなくなりました」とかおっしゃってました。

で、推測してみるに、4才の息子なりに「やせ我慢」をしていて、泣きたい気持ちを「ぐっ」と我慢して、ストレスがたまっているみたいなのです。

で、「甘えんぼさん」と称して、「あのなぁ、あのなぁ、かあちゃぁ〜ん〜」と甘えてきている感じ。

それに、3才の時にできた事を、「もう、できひんようになってん」と言って、やれパジャマを着せろだの、ボタンもはめろだの、シャンプーしてくれだの、ちょっと言いたい放題。

この「甘えさせる」時と、「自分でしろ」と言う時の、瀬戸際が難しいのですよ。
ポイントをまちがうと、余計泣いてしまって手こずったり、「えへへ〜」とニヤリとされたり。

(・・・と、いうことは、以前は保育園では、「おふざけが過ぎた」り、「いい子でなかった」り、泣きたかったら「泣いてた」ってことですよね・・・。)

振り返ると、まず全部私が世話をする時期、ちょっと興味を持つ時期、させてみる時期、そして何でも自分でしたがる時期、・・・ときて、別に下に赤ちゃんが産まれたわけではないのに、何故か「赤ちゃんがえり」してしまいました。

泣きながら寝てしまった息子の寝顔を見ていて、ふと思いました。
「大人でも、甘えたい時、あるしなぁ・・・」と。
愚痴をこぼしたい時もあるし、泣きたい時もあるし。

もしかしたら息子は、私が絶対に自分の味方かどうか、いつも確認しているのではないんでしょうか。
「かあちゃんなら、わかってくれるか」とか。これは、信頼関係の問題ですよね。
もっと大きくなった時、重要になることかもしれない! と、思って。

でも、これも対応が難しいです。
ただ「ふんふん」と聞いているだけでいい時と、「そしたら、思ってること、ゆうてみ」とか、助言めいたことを言う時との判断。
そして、保育園の先生に言うかどうか、も迷います。

「ナントカちゃんがたたいた」とかは「お互い様」だし、子供は絶対に「された」事は言うけど、「した」事は言わないし。

ま、今のところは「受け入れる」体制で、様子を見ています。

今夜は、「甘えんぼさん」が、納得のいくまでできなかったみたいで、突然「あしたの、おしゃしん、とらない」と言って、寝ました。
えええ〜〜待ってくれぃ!!
明日は七五三の写真を撮りに行く日なんやでぇ〜〜。
さっきまで、「あしたは、おしゃしんやな」とか言ってたのにぃ〜〜〜。
それは、息子なりの、「仕返し」か〜〜〜。

・・・今日、お医者に行ったら、「もっと睡眠時間をとった方がいいですね」と言われたんやったっけ。で、夜更かしし過ぎて、風邪ひいたんやったっけ。
「先生」の言わはる事、ちゃんと聞いて、学習しないといけないのは、息子ではなくて、実は私だったようです。
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# by marurin373 | 2004-12-04 02:58 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(1)

自意識過剰

私は、自分がしてきた仕事は何か、絶対に言いたくなかった。

私が好んで読む本の作者は、何故か早くに亡くなってしまう。
なんでやろう・・・。
それも、「何で? 」と思うような亡くなり方をされる。

私は何度も何度も同じ本を読みたくなる。
だから、図書館で本を借りるのが苦手。
「読む」のに期限があるのなんて、学校の宿題じゃないんやし、そんなのイヤなのです。
納得のいくまで読みたいし、読む時期や環境によって感じ方が変わるから、ずっと手元に置いておきたいのです。

そうなると、本がどんどん増えてきて、狭い部屋がますます狭くなってしまう。
だから、「文庫本」になるまで、待つ事になるのです。

で、先日も本を引っ張りだしてきて読んでいたら、「ドキッ」とする文章に出くわしてしまったのです。
曰く「・・・つまり、人間というのは、自分が自分のことを気にしているほどには、他人は自分を気にとめていてくれないのである。それは結局その人のひとり相撲で、自分の首を締めていることでしかない。」と。

これを読んで、冒頭の自分の仕事について絶対に話したくない、てのは「自意識過剰なんじゃないかな、」て思ったのです。

誰もが必ず出会う人達、でもその立場に立つ人はごく限られている。
警察官、裁判官、プロ野球の監督、相撲取りのように、「年上の職業」のイメージ。
上に立っているようでいて、実は下に存在するのかもしれない職業。

私が何故言いたくないかというと、納得のいくような仕事をしてきていない、て事と、今はもうしていないから、かもしれない。

そうです。私はまだ20代の時、高校で社会を教えていました。
しかも、1年契約の非常勤講師を4年間。
その後は「個別指導」の塾で、指導員てのをしてました。

そうすると、世間はいろんなことを言うものなのです。
「先生してた人の子供やったら、賢い子供が産まれるんやろうなぁ」だの、
「家でも勉強見てあげられるから、得やなぁ」だの、
「いい学校行くんやろうなぁ」だの。

その時は「そんなこと、ないですよ〜」とか笑ってましたが、実際に息子が産まれると、ますます世間はいろんなことを言うようになってきました。

そして、トドメの一言。
「先生してたようなヒトの子供が、なんで2才でおむつしてんの? 」

私は「社会」を高校生に教えた、というか、決まった時間に教室の一段高いところからいろいろと喋ったことはあるけど、「子育て」は初めてなんやで!
しかも、「おむつのはずし方」なんて、「勉強」してないし、いくら30代でも「初産」なの!!

それで、「もう絶対に、してきた仕事の事は話さない」と誓いました。

確かに、中途半端な講師だったし、力足らずだったことは認める。
自分が高校で「日本史」を習ってないのに、「日本史」を教えたこともある(あん時は、必死で勉強したなぁ)。
「若気の至り」なんていうと、その当時生徒さんだった人達に申し訳ないけど、でも、今ではもうなくなってしまった「瞬発力」と、徹夜できる体力はあったように思う。

息子が保育園に行きだして、「私の履歴」は、更に言いにくくなってきた。
だって、先生もしにくいと思うし、何より世間や先生方に、何にも「期待」されたくないんですよね。

幸いなことに、私が「先生」と呼ばれていたところとは、同じ関西でも違うところに住んでいるし、所謂「顔をささない」ので、知らん顔していられるのです。

そんなことも、あんなことも、「自意識過剰」なんでしょうかね。
「遺伝」てのは、一体どうなっているのか・・・。
そのことについては、また次回に。

・・・もう眠くなってきたし、明日がしんどい・・・こんな事は、20代では思わなかったゾ。
「寄る年波には勝てない」のを、ひしひしと感じる、今日この頃であります。
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# by marurin373 | 2004-12-01 02:16 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(4)

号泣

今日、待ちに待った、「本」が届きました。
「Sey Hello! あのこによろしく」という、本です。
人によっては、ただの「犬の本」なんやけど、チガウ!
いろんなことを思い出し、いろんな人を思い出し、そしていろんな犬を思い出すような、本。

もちろん、○のことも思い出します。
触りたい・・・と思います。
耳のニオイを嗅ぎたい・・・と思います。
今すぐにでも、会いに行こうか・・・と、突発的に思いました。

亡くなった犬たちのことも、思い出します。
彼や彼女は、いい友人だったし、家族でもありました。
もう触れないけど、あの感触や、声は忘れられません。

そして、息子。
よく「おなかを痛めた」とか「産むのは大変やったから、感謝せな」とか言われますが、私はひとりで産んだような気がしないのです。
息子も頑張ったから、私でも産めたんだと、今でも思います。

今年は七五三でしたが、私はずっと泣いていました。
妊娠がわかった時から、今日まで、走馬灯。
息子には「ほれ、はんかち」とバズの絵のハンカチを貸してもらい、泣いてました。
「て、つないどいたげる」と、手もつないでもらってました。

・・・そんなことも、こんなことも、思い出す本です。
知ってらっしゃる方も多いと思いますが、サイトを記しておきます。

「SEY HELLLO」

・・・です。
犬好きな方も、そうじゃない方も、1度、見てみて下さいね。
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# by marurin373 | 2004-11-28 02:57 | ○わんわん | Trackback | Comments(4)

入院中

つい先日、1日だけ、入院しました。
かる〜い手術をしたのですが、麻酔が効かなくて、かなり痛い思いをし、その代わりに術後死んだように眠り、案の定、その夜は眠れませんでした。

その病院には、今年4月まで喫煙室があったのですが、「分煙法」とかなんとかいうのが制定されて、かなり遅れてその病院の喫煙室も閉鎖されました。
「部屋」としてあったので、扉が閉められ、「立ち入り禁止」の張り紙がしてあって、文字通り「閉鎖」です。

そのため、喫煙者達は、たとえ真夜中でも、敷地内だけども外の「喫煙場所」で吸わないといけないのです。なんせ、そこしか灰皿がないから。
いたるところに「禁煙」、「たばこは指定の場所で」の張り紙があって、美観を損ねておりました。

今の季節、夜は寒くなってきたので、眠れない夜は、本当に困ります。
「たばこ・・・さむいか・・・コーヒー・・・さっき飲んだか・・・たばこ・・・さむいか・・・」と、呪文のように考え、悶々と過ごさないといけなくなりまして。

で、「どのくらいいろんなことを思い出せるか」を考えてみました。

まず「悲しかった部門」。
これは、ま、順位を決めるもの変な話なんですが、「今までで一番悲しかった事」というのは、まだ「思い出」になっていないんですね。
まだ、「事実」として目の前に存在していることに気付きました。
「経験」と呼ぶのにもまだ早いような気がするし、今も悲しいままだし、泣く時もある。
7年も前の事でも、やっぱりまだ立ち直れてなくて、いつも心の中に「悲しみ」として存在する。
で、これは省いて、「悲しい思い出」を思い出してみました。

そしたら、案外ないんですよね。
あっても、7つくらい。
「独り暮らしの彼氏の部屋に、突然行ってみたら、女の子と一緒に眠っていた」
「遠距離恋愛をしている時、クリスマス・イブが誕生日だった彼氏に、親友と弟と一緒に電話したら女の子が出た」
・・・とか。
もちろん、「おばあちゃんが亡くなった」とかは、当然入るとしても、それくらいしかなかった。
それも、その殆どが「若い時」の事で、恋愛関係が多いような。
感受性が鈍くなることを「大人になる」というのでしょうか。

でも、その時の私のリアクションを思い出すと、突然「話のネタになる思い出」になってしまうのです。

たとえば、女の子と眠っていた場面に遭遇した時。
冬だったし、お布団をかぶっていたので、一体どんな格好で寝ていたのかまではわかりませんでしたが、当時そこまでロン毛の男の子はいなかったし、しかも腕枕してたから、やっぱり女の子だろう、と。じっくりと見る勇気はなかったし。
で、混乱した私がとった行動とは。

いや〜、人間、本当に混乱してパニックに陥り、1度にいろんな感情が押し寄せると、「日常」に戻ってしまうもんなんです。

私は、「洗い物」をし始めました。
2つあるワイン・グラス。2つあるお皿。1つの灰皿に、2種類のたばこの吸い殻があって、片方には口紅の跡。食べ残しのある、大きなお皿。

それらを、ただひたすら、無心に洗い出したのです。
その音で、びっくりして起きた彼氏は、「・・・・なんで、怒らへんの?!」と叫び、私は冷静に、「何か悪い事でもしたん?」と一言。

これって、彼氏にしてみたら、さぞ怖かったでしょうね・・・。
ヒステリックになっていてもおかしくない状況なのに、黙々と洗い物と片付けをしている女。そして、一言だけ、「何か悪いことでもしたん?」やって。

その後のことは、もうはっきりとは覚えていません。
きっと、キレてしまったんでしょうね。

「電話事件」の時は、スピーカーホンにしていたので、一瞬にして3人で固まってしまいました。私は、親友や弟に気を使い、「あ、みんなでパーティーしてんのやな、ごめんな、じゃまして。」とかなんとか繕い、取り敢えず電話を切り、固まったままの2人を一体どうフォローしようか・・・と必死でした。

「悲しい」というよりは、「腹が立った」出来事なんですが、その後、私は怒ってもいいのに怒れず、後で1人で泣いた・・・という思い出です。
でも、今となっては、呑んでる時なんかの、いいネタになっています。
「私の若い時にあった事なんやけどなぁ・・・・」て。

そして、「嬉しかった部門」。
これは、息子を出産できたこと、それだけです。
あとは、全部息子関係ですね。何故かオットの事は思い出しませんでした。

う〜ん、やっぱり人間って、「嬉しかった」ことよりも、「悲しかった」「イヤやった」「腹が立った」ことの方が、より鮮明に覚えているようですね・・・。

「モノより思い出」ていうコマーシャルがありますが、「子供にいい思い出を」、てのは本当は難しいものかもしれません。

とかなんとか考えているウチに、朝になり、まっずい朝ご飯を食べて、無事退院しました。

「痛かった部門」や「びっくりした部門」とか、どれくらい思い出せるのか、また検討してみたいのですが、生憎そんな悠々とした時間というものはなかなかなくて。
また、おばあちゃんになった時にでも、考えてみようかな。
ボケ防止に。
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# by marurin373 | 2004-11-20 02:04 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

「躾」

・怒る時は、その時、その場で、ワンポイントで叱る
・できたら、かならず、すかさず褒める
・口調を変えて、こちらの喜怒哀楽を伝える
・いつも叱り口調で話さない
・叱る基準を決め、必ず守る
・気分次第で叱らない
・叱る言葉を決める

・・・これ、「人間」の育児書に載ってたことじゃないんです。
「犬のしつけ方」に載ってたのを、まとめたものです。

人間の子供と同じなんですよね。と、いうより、犬が同じなのか。

ただ、犬と違うところは、「言葉を覚えて、話すようになる」ことです。
そうなると、もう「子犬方法」だけでは通じなくなる。

「言葉」を話せて、コミュニケーションがとれる、というのは、親子共々のストレスを解消させてくれますね。
ただ泣いてた子供が、「何故泣いているのか」を説明してくれるし。

しかし、ここで大事なのは、「伝えることの喜び」とともに、「伝えてしまうイヤな気持ち」もあるということだと思うのです。
例えば、「キライ」て言われたら悲しい、「アホ」と言われたら、かなん、とか。

(ワタクシ、関西の人間ですので、どうしても表現が京都弁になってしまいます。わかりにくい点もあるかと思いますが、どうぞご承知置きをば)

そんな時は、ちゃんとこちらの気持ちも伝えるようにしています。
息子のボキャブラリーの範囲で、「そんなこと言われたら、かあちゃん悲しいわぁ」て。「そんなこと、言わんといてな」とか。
そしたら、なんとなくわかるみたいで、謝ってくれる時もあります。

語弊があるかもしれませんが、別に、親だからといって、すべて我慢しなくてもいいと思います。
「言われたらイヤなもんは、イヤ」てこと、ちゃんと伝えないと、後々、子供が困ります。

その代わり!
絶対に、こちらは言葉を選んで話さなくてはいけませんね。
「そんな事言う、あんたなんかキライ」とか、絶対に言ってはいけないです。
「叱る」ことと、「傷つける」事は、別のものだと、私は思うのです。

それと、子供が話しかけたら、絶対にちゃんと返事をすること。
忙しい時でも、「今、ちょっとお耳が忙しいから、後でちゃんと聞くから、待っててね」と、きちんと応えることも、大事だと思います。
無視は、したらあかんこと! だと思います。どんな環境に於いても。

4才くらい、ま、3年保育での幼稚園の年少さんくらいになると、もう大人になっても覚えている事柄がでてきます。
やっぱり、「ほめられた」ことよりも、「しかられた」「おこられた」事の方が、より鮮明に覚えているみたいです。・・・私も。
きっと、自分の心の中のリアクションも込みで覚えるからでしょうね。

だから、小さい時から、ちゃんと「しつける」ことは、本人にとっても大事で、必要なことだと思います。
「三つ子の魂、百まで」と言いますよね。
家庭だけの世界から、だんだんと世界が広がって行って、やがて社会生活を送るようになった時に、ちゃんと役立たないと、意味がないのです。
だから、「挨拶」とかが、できるかできないか、で、もしかしたら出世にも関わってくるかもしれない。
いや、ホンマに。

ウチの息子ですが、これがまた、ちゃんと挨拶ができないんですよね〜。
私がいないと、ちゃんとしてるらしいのですが、私がいると、下を向いてしまう。
これは、たぶん、息子が言おうとしているのに、私が息子よりも先に挨拶してしまって、その機会を奪ってるからかもしれないな、と反省してます。

「お里が知れる」とか「親の顔が見てみたい」なんてことは、極力言われたくないものです。

子育ては、行きつ戻りつ、半返し縫いみたいに、進んではまた戻り、進んではまた戻りしますが、確実に前には進んでいる・・・そんな状態を思い描いて、日々過ごしています。

やっぱり、「できない事」よりも「できるようになった事」を見つけて、喜んで、褒めて、みんな「よかった、よかった」と、いい気分で寝たいです。
・・・で、また「おねしょ」されて、親子で落ち込んだりして。

ま、親も、いろんな状況があるし、体調や気分が変わることもあるけれど、できるだけニュートラルに接する事を心がけないと、子供は不安になるみたいです。
「今日のかあちゃんは、なんか変」と、戸惑うみたいで。
もう少し大きくなったら、こちらの状況説明を理解してくれるようになる、と待っているような、今日この頃です。
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# by marurin373 | 2004-11-13 05:45 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(0)

会いたい日々

ああ〜〜〜○ちゃんに会いたい〜〜〜。

彼女は、赤ちゃんの時から、ずっと私と一緒に寝てました。
本当はいけないことなのだけれども、いつしかそんな習慣がついてしまって。

で、息子がおなかにいる時、絶対におなかの上には乗ってきませんでした。
前は私の身体の上で、べた〜〜と寝ていたのに。

今は、息子が何をしても、怒りません。
昨年まで一緒に暮らしていたんやもんね。
彼女にとって、息子は「子分」です。

犬って、家族の中の序列に敏感で、「ボスは誰か」てことを察知するそうです。
自分はどの位置に座るか、というと、「一番下のひとつ上」だそうで。

だから、「いつもごはんをくれる人はこの人だけど、ボスはあの人」とか、全部わかってる。
と、いうわけで、「息子は自分より後に家に来た人で、下っ端」とおもっているようです。

・・・いつも思うんですが、「もし○が話せたら、大変なことになるな・・・」と。
「浮気してたえ」とか「夜食にラーメン食べてたえ」とか「電話ばっかりしてて、サンポをサボった」とか。ま、例えばの話ですが。
黙って、何も語らずとも、シッポは雄弁だったりして。

子犬を育てることって、「子育て」に、とても参考になりました。
だって、おんなじなんやもん、○も息子も。
要するに、例え相手が子犬や赤ちゃんであっても、「相手の立場に立ってモノを考える」ということをすればよいわけで。
「何してほしいか」「どうしたらわかってくれるか」を考えて、接していけば、案外わかってくれたものでした。
相手は「わんわん」とか「ふんぎゃ〜〜」とか、「泣く」ことしかできないんやし。

しかし、犬って、子犬の時は子犬なりの、年がいけば老犬なりの「かわいさ」があるものです。思わず「んふっ」て笑いそうになることが、多々あります。

しかし、触っているだけで、心が落ち着くのは、なんでなんでしょうね。
・・・益々、会いたくなってきたぞ。
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# by marurin373 | 2004-11-10 02:04 | ○わんわん | Trackback | Comments(1)

いま、12月にある「生活発表会」の練習に忙しい息子。
昨年は、舞台に立ってる間中、泣き続け、最後には床に寝転んで泣いてました。
それを客席から見続ける私。すぐに飛んでって連れて帰りたい心境でした。

でも、今年は少し違うんですよ。
運動会でも、ちゃんと「参加」して走るし、しかも「一番じゃなかった」と言って泣くし。「はしりたくない〜〜」と泣くのとでは、全く違い、こちらも「また次頑張ろうな」とフォローしながら、一緒に泣いたりして。

これは、「成長」やなぁ・・・と感じました。
ちゃんと目の当たりにできて、親としても嬉しい出来事でした。

で、今年の「生活発表会」。
先生に聞くと、「できひんから、もうあきらめる」と言って、教室の隅で膝を抱えていじけていたらしい。

・・・どうも、こいつは「今が楽しかったら、それでよい」と思っているみたいだ。
「このジュース、のみたい」と言いだし、「お風呂上がってからにしたら?」と言っても、「いや、いま、のみたい」と言う。
「今飲んだら、お風呂出ても、なーんにも飲むものないよ」と言っても、「いい」と。
で、満足げに飲んで、お風呂に入り、出てから、「ジュースぅ〜〜」と怒る。
「ほーら、見てみ〜〜」と言っても、また別の日に同じことを繰り返します。

だから、楽しくない練習は、もうしたくないんでしょうね。
「ちょっと待ったら、給食・・・」と考えていたかどうか、はわかりませんが。

で、何かにつけ、「始めは誰もできないけど、頑張って練習することによって、やがてできるようになるのだ」ということを話しています。
途中の「できないが、頑張って練習」の部分を避けよう、避けようとする、いい加減な男。それでは、いかーん。

自転車の時も、プールの時も、字を書く時も、同じことを言っています。
そして、こちらはできるまで、待ち続ける。

「育児」って、「教える」「働きかける」ことだと思ってましたが、実際は「待つ」ことの方が断然に多いですね。
ボタンかけの練習の時も、ま、多少はイライラしながら、でも普通の顔して、「おっ、そこ」とか「あとちょっと!」とか言いつつ、待ち続ける。
これは、思った以上に親としての「試練」です。

そこを、親も「貸してみ」とかって「できないが、頑張って練習」の部分に手を出すと、堪え症のない人間になるんですかね。「できひんもん」とすぐに投げ出すような。

よく、「転んだ子供をいつも助け起こしていたら、自分で起きることのできない子供になる」と言いますが、それは真実ですね。

「もう、あきらめる」「もう、いやや」「もう、しない」・・・ちょっと待て!
東京タワーで昔、売ってた土産物に書いてあった言葉は「努力」と「根性」やで〜〜。

そろそろ、何か習わそうかなぁ・・・と思っているのですが、もうちょっと鍛えてから、サッカーなり、水泳なり、習い事をさそうかな、とこの頃は思っています。
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# by marurin373 | 2004-11-07 04:44 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(4)

先程、「ネットサーフィン」てのをしてまして、「腸の年齢判断」てのをしました。
そしたら、「あなたの腸内年齢は80才です!」やって。
「いっつも疲れている腸」だそうで。
今の年齢の倍以上やんか〜〜〜。

以前、太っていることを気にしている私は、同様に「肥満度チェック」をして、ずらーっと並んだ数々の質問に答え、出た結果が
「あなたは、肥満です」でした。
・・・だから、それはわかっておるのだ!
それで、どうしろと言うんだ!! ・・・と、Macに叫んでおりました。

でも、なんだか「インターネット」って、「匿名の暴力」て感じることがあります。
「名前、伏せてるんやから、何書いてもいいやん」て感じで。
本当は、プライバシーの保護として、匿名になってる筈なのに、それを悪用して、というか、それをよいことに、とてもドメスティックなものになっているサイトもありますね。

子供達の、「インターネットの影響」なんて、最近よく言われてますが、まずは成人である人達が、模範を見せるべきではないかなぁ、て思います。

「自由」という言葉も、子供達は、よく誤解しています。
「何してもええねん」ではなくて、「何をしないといけないか、自分で考える必要性がある」事を伝えることが大事かなぁ、て。

「服装は自由」という校則の生徒さん達は、「何着てもいいから、いい」てよく言いますが、本当は「制服を着用」という校則よりも、より大人扱いされてて、難しくて、自分で考える必要のある校則なのではないのかなぁ。
そういえば、「TPO」ていう言葉、最近はあんまり聞きませんね・・・。
誰も教えてくれないのかなぁ。

「外見で判断するな」てよく言いますが、パーソナリティとビジュアルとセルフイメージは、やはり一致している方が、ストレスはたまらないと思います。

それに、「個性」て、別に変な格好するという意味ではないし、服装は単に「自分というものを、よりよく表現する手段」のひとつにしかすぎないのです。
「与える印象」に文句あるなら、それは自分が発信しているデータを相手が受け取ったことに過ぎないのだから、自分自身が考え直すことが必要ではないか、と。

・・・というのも、私、大学生の時、不本意な進路で、でも行ってるプライドは持ちたい・・・という、非常に複雑な心理状態で通学していました。
その大学の人達と私は違うんだ、そして世間の大学生と私はひと味違う、と思いたかったみたいで。

で、私は「この大学の人達に声をかけられたくない」とか思ってたし、でも「実は、●●●大学に通ってる」と言って、「エラいね〜」と言われたい・・・実にガキんちょの考えでもって、4年間を過ごしました。

そんな私のとった行動とは。
まず、原色の服。つま先に鉄板の入った安全靴。黒ブチのメガネ。そして、「角刈り」をしていたのですよ。今思うと、「変」もしくは、「カッコ悪い」ですね。

世の中はワンレン・ボディコンな時代で、「ギャル」が大手を振って闊歩していた時代に、「角刈り」です。

当然、変な目で見られますし、誰も声をかけてはきません。
でも、その時は「変な格好してるけど、ちゃんと勉強してる、大変偉い生徒」でいたかったんでしょうねぇ。本当に真面目に、毎日ちゃんと通っておりました、3輪の原付で。

「みんな変な目で見る」ことを、無視していた訳ではなくて、反対に、とーっても気にしていました。勿論、恋愛対象になることなんてないんだし。

結局、「自意識過剰」だっただけなんですね。
「思想」という大層なものでもなくて、ただ単に「変」と認められたい・・・という矛盾した心理。

4回生の時、就職活動の為に、髪を伸ばしてました。この辺りも、軟弱ですが。
そして、ボブぐらいになると、本当に声をかけてくるヒトが増えたんです。

「・・・乗ってるバイク、珍しいね」とか、「スカートって、はかないの?」とか。
で、全然顔も知らないヒトに、「構内」で「ナンパ」されたんですよ・・・!

この時は、「ちょっと髪型かわったくらいで、なんでなんや」と思いましたが、本当は「髪型かわったくらいでヒトは変わる」んですよね。

それから、突然リクルートスーツになっていく人達を見ても、「けっ」なんて思わなくなりました。「ちゃんと働きます」を体現しているんやなぁ、て、素直に思えるようになって、最近は「頑張りや〜」とまで思います。

だから、「私、茶髪やから、なかなかバイトも決まらへん」とボヤく人を見ると、「自分が変わらないと、相手は変わらないのになぁ」て感じます。

・・・私のブログは、たま〜に書いてあって、長くて、最初と最後では、全くチガウ事を書いている・・・みたいですね。タイトル、変更しました。

「徒然なるままに」と「思いついた事をだらだら」て、言い方変えるだけで、ずいぶん印象が変わりますね。

・・・・ほら、ちゃんと本筋に戻ったぞ。
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# by marurin373 | 2004-11-06 04:21 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

ブログに、自分の病気のことを詳しく書こうかどうしようか、ずいぶん迷いました。
でも、○と離れた原因でもあるし、「病気であること」も、既に私のアイデンティティかもしれないので、敢えて書きたいと思います。

私の病気は、まずは「慢性腎炎」。これは、割とよくある病気ですね。
塩分制限・運動制限を強いられてから、もう15年になります。
幸いにして、まだ透析をするまでには至ってないので、「現状維持」することが目標です。

「かける」お塩や、お醤油よりも、食品に「入っている」塩分の方が、ずっと多いそうです。
でも、お刺身をワサビだけで食べると、大抵驚かれます。
塩分制限は、もうすっかり慣れました。
そして、息子もその味に慣れてきたようです。
オットはお醤油をどぼどぼかけていますが。

もうひとつは、「突発性両股関節骨頭壊死症」です。
一昨年の暮れに、突然足の付け根が痛くて歩けなくなり、始めは「股関節にひび」と言われていました。

それで、リハビリに通い、松葉杖ついて歩いてました。

でも、だんだんと痛みがひどくなっていくので、年明けに改めてレントゲンを撮ってもらうと、もうすでに壊死していて、「人工骨頭」にしないといけない状態になっていました。

「壊死」している状態がどんなのかと言うと、血流が悪くなり、次第に血液が流れなくなっていって、骨としての機能がなくなるような、そんな状態です。

それで、その日に大きな病院に行き、即入院。

昨年の1月と4月に、片足づつ、チタンでてきた「人工骨頭」を埋め込む手術をしました。
股関節の、ぐりぐりの方を切ってしまって、え〜と、巨大なエノキダケみたいな「人工骨頭」を大腿骨に差し込むワケです。
横向けに寝て、太ももの横から切って、骨を取って、チタンエノキを金槌でとんとんと。

これを言うと、ちょっとイヤがる方もいらっしゃるかもしれませんが、左足の時、横を向いた前がステンレスの壁だったので、手術の様子が見えたのです・・・。

勿論、下半身麻酔がかかっているし、感覚は全くないので、テレビを見ているような感じでした。
自分の足だという感じがなかったので、「ほぉ〜〜〜」と興味深く見ていました。

手術中は、主治医と部長先生が「人事異動」の話をしたはりました。

そして、私の「チタンエノキ」は、「Mの44」というサイズが入っているんです。
これって、オーダーメイドじゃないの・・・?と思いましたが、「Mの44」を棚から看護婦さんが出してきて、無事埋め込まれました。

次の右足の時は反対を向いているし、壁に映ることもなくて、しかもぐーすか寝てしまったので、どんな話をしながら手術が行われたのかは、わかりません。

ただ、回復が早かったのは、「見ていた」左足でした。
やっぱり、「納得」しながらの手術だったせいでしょうか?

ちなみに、右足にも「Mの44」が入っているそうです。
主治医は、「片足づつ、サイズ違ってたりして」と冗談を言い、部長先生に「そんなはずないやろう」と、怒られたそうです。

リハビリをして、車椅子から両松葉杖、片松葉杖、杖と、回復しました。
気がつくと、約半年も入院してしまいました。

今、息子が「どこにも行かんといてな」とか「ずっとそばにいてや」とか、真面目に言うのは、昨年長く入院していた影響かもしれません。

「身体障害者手帳1級」も、もらいました。
受けられるサービスはいろいろありますが、正直、あんまり嬉しくないのです。
一生、まだ残る痛みと、それに膝にも壊死している部分がみつかったので、その痛みと、走れないことや、しゃがみこめないこと、「普通」の生活ができなくなったこととの引き換えなら、そんなサービスは欲しくないなぁ、と思います。
元気な時に、どこにでも行ける時に、バスをタダにしてくれぃ、って。

チタンエノキは、接着剤を使わずに埋め込んであるので、次第に緩んでくるそうです。
そしたら、また入れ替え手術をしないといけません。
そして、あの日々を、また過ごさないといけないんです。

その頃、息子はいくつになっているのだろうか・・・。
病院に来て、オットと帰る時、毎日泣いていたけど、次はもう理解できる年齢になっているだろうか・・・。

でも、本人は、いたって暢気に、気楽に暮らしています。
できないことはいっぱいあるし、悔しく思うこともあるけれど、現状を受け入れないで、泣いてばかりいては、なんか人生がもったいないような気がするんです。

「上見てもキリがない、下見てもキリがない」のでしょうね。
「笑ってても1日、泣いてても1日」といったところでしょうか。

今日は、ずいぶん長く書いてしまいました。
読んでくださった方、ありがとうございました。              ・・・つづく。





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# by marurin373 | 2004-11-03 03:09 | 病気のこと | Trackback | Comments(2)

週末の朝には

立て続けに、「ヒーローもの」の番組がありますね。
ウチでは、すべて録画しておいて、こちらの都合のよい時に見せることにしています。

しかし!
「デカ・・・」は面白いかも。
私自身、「ゴレンジャー」を最初からしっかり見ていた世代なので、「懐かしさ」と「新鮮さ」があって、なかなか楽しんで見ています。
「これ、子供に理解できるんやろか・・・?」て思うこともありますが、たぶん、大人も楽しめるように創ってあるんでしょうね。

実際、私が「面白い」と思うポイントと、息子のポイントはずれているし。
変身前の「イケメン俳優」に夢中のお母様達、て言われてますが、私はあんまり興味ありません。
「このロボは、あんまりかっこよくない」とか「歌」とか「ネーミング」とか、気になります。
明日の朝にあるので、楽しみです〜〜〜。
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# by marurin373 | 2004-10-31 04:21 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(0)

七五三

夏頃に、「七五三」の衣装のパンフレットが送られて来て、「ああ、もうこんなになったのか・・・・」と、しみじみしました。
でも、そのパンフの殆どが女の子用で、男の子のは見開き1ページだけでした。

やっぱり、こういう時に、「女の子甲斐」があるように思います。
数えで3才の時なんて、だーれもなんにも言ってくれなかったし、3才になった時に、「あ」と思ったものです。

しかし、数えで5才の今年は、やっぱり、チガウ。
「どうすんの?」とか「いくらかかんの?」なんて言葉が、こっそり(こういうところが男の子)と、飛び交っております。

実家もオットの実家も、なーんにも言ってきません・・・。
警戒してるんやろか?
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# by marurin373 | 2004-10-29 21:10 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(0)

このところ急に・・・!

寒くなりましたね・・・。毎朝、何を着ていいか、迷います。
特に、子供には何を着せていいか、かなり迷います。

しかし、新潟の方々、本当に気の毒です。
ニュースを見るだけでいいのか、て、ふと思うんやけど、実際どうすることもできないし・・・。
兵庫でも、豊岡の方々も大変そうです。
せめて、雨は、もう降らないでほしい・・・と思います。
そして、あたたかい日であってほしい、と。

募金とか、手段はあると思うんですが、実際に行動に起こしている人達には、頭が下がります。
みんな自分の生活とか、あると思うんです。
でも、そんな垣根を飛び越えて、「何かできないか」と動ける方々、素晴らしいと思います。

私の旧友も、以前ボランティアをしていました。
「自己満足だ」とか、ヒドいことを言ってしまったことを、今更ながら後悔しています。
ごめんなさい。

今、私も「助けてもらっている」立場に立ちました。
ヘルパーさんは、本当に大変なお仕事だと思います。
未だに制度が充実していなかったり、理解不足や誤解なんかもあるかと思います。
でも、なかなかできないお仕事だと、いつも思います。
トラブルも多いだろうし、行政はどこまで現状を理解しているのか、疑問です。
もっと、「ヘルパー」さんのお仕事を、知ることが必要ではないかな、と思います。

私は、若くして、実際にヘルパーさんのお仕事を見ることができました。
ややこしい申請もしました。
経験してみないとわからないことが、まだまだたくさんあるんだなぁ、と実感しました。

今日は、ちょっと真面目に書いてみました。
ちょっと本筋から離れてしまいましたが・・・。
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# by marurin373 | 2004-10-28 20:34 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(1)

愛犬○ちゃんのこと

愛犬の名前は、○といいます。
いや、別に匿名にしているのではなくて、そのまんま、「○」です。
今、9才の女の子・・・というか、おばあちゃんです。

彼女は、生後50日の日に、独り暮らしの私のウチにやってきました。
ま、「柴犬専門店」で買ったんですけど。

ホントーにちっこくて、手のひらに乗るくらいでした。
それからは、すくすくと、というか、どんどんと大きくなりましたが、でも今も所謂「豆柴」くらいの大きさです。

ずーっと一緒にいて、ツライ時も、ずいぶんと慰めてもらいました。
年越しも、年明けも、誕生日も、ずっと一緒でした。

そして、何度か引っ越しをしましたが、いつも彼女と一緒でした。
遅い結婚をした時も、一緒に嫁入りしました。

でも。
一昨年、私の足が悪くなってしまい、半年の入院を強いられ、そして退院後も、杖をついてよたよたと歩ける程度にしか回復しない、ということで、泣く泣く、本当に泣く泣く、実家に預けることにしました。

実家には「しづか」という柴犬がいたのですが、クリスマスの日に亡くなって、ちょうどその後に、○が実家に暮らすことになったのです。

いつもそばにいた○がいないことに慣れるまで、ずいぶんと時間がかかりました。
いや、まだ慣れていないのかもしれません。

確かに、犬は手がかかるし、サンポは毎日、ご飯代もかかるし、注射、フィラリア・・・と、本当に面倒です。
でも、それをしても、まだまだ有り余る「何か」が、犬にはあるのです。

○の耳の中のにおい。
私には、たまらなく落ち着く、まるでトランキライザーのようなにおいです。

・・・・また会いたくなってきた。そろそろ禁断症状が。まぁるぅ〜〜〜〜!
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# by marurin373 | 2004-10-26 21:30 | ○わんわん | Trackback | Comments(0)