「ほっ」と。キャンペーン

下ネタでございます。

ずいぶん前に、元生徒さんから、こんな言葉を教えてもらいました。

「さんじゅうさせごろ、しじゅうしごろ」

・・・。

「元生徒」さんに聞いた訳ですが、ま、年も近いし、最近では教えてもらうことばかりの人なんですが。

彼が、仕事で一緒になったおじさんに
「やっぱり、若い子が、いいですよね〜」と、言うと。

「何いうとるんじゃ。さんじゅうさせごろ、しじゅうしごろちゅうての、その頃が一番ええんじゃ」
と、言われたそうです。

で、その頃40代になりたての私に、余計な御世話的に「ま、おばちゃんも、自信持って、頑張って」と、言うてくれはりました。


昨晩、お風呂に入っている時に、なんかこの言葉を思い出し、そう言うたら、50になったら、どう言うんやろ?と、いろいろと考えていました。


そしたら、今夜、この彼から偶然電話があり、いろいろとアホな話をしていたのですが「あ、そや」と思い出し、訊いてみました。

「なぁ、さんじゅうさせごろ、しじゅうしごろて、覚えてる?」
「おう。あれは、俺がおばちゃんに教えたんやんか」
「ほなな、50になったら、なんて言うん?」
「え?50?ん〜ん、知らんなぁ・・・」
「やっぱり、さんじゅうさせごろ、しじゅうしごろ、ごじゅうごめん、やろか?」
「・・・そやなぁ・・・おばちゃんには悪いけど、やっぱり、50はごめんやろ」
「まぁ、別にええけどな」
「何?まだそんな色気出してんの?」
「いや、お風呂入る時とかにな、己の身体が鏡にうつってな、つい見たらな、もう好きな人程、見せられへんねん」

そう言うと、彼は大笑いです。

「あんなに、おばちゃんのファンがたくさんいてたのになぁ」
「うっさい」
「やっぱり、おばちゃんも、年取るんやな」
「私は妖怪ちゃうもん」
「そろそろ50やろ?」
「うん」
「もうな、たかしくんを育てることだけに、頑張り」
「別に、もういらんもん」

彼は、まだ笑ってます。

・・・悔しい。


「私、脱ぐと、すごいんです」

ま、違う意味ですけどね。











[PR]
# by marurin373 | 2016-11-09 01:14 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

丑三つ時

夜中の、2時か3時頃。

私は、もう既に寝ていました。

たかしが、ごそごそとし出し、台所へ行く気配で、なんとなく目が覚めました。

たかしは、どうも、小腹が減ったらしく、インスタントの何かを食べる様子。

ポットの「ジャー」という音がして、暫し、沈黙。


どうやら出来上がったらしく、フタをめくって。

「いただきます」

たかしは、夜中に、独りで何かを食べる時でも、ちゃんと「いただきます」と言うてるらしいことがわかり、なんか面白いというか、かわいいとさえ思いました。


そして、食べ終わった時。

私の期待通り「ごちそうさまでした」と言うています。

ま、そんな人です。













[PR]
# by marurin373 | 2016-11-04 01:03 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(2)

扇風機

私、お風呂上がり。

バスタオル一枚まいて。

扇風機の風で、心地よくて。

時々、扇風機に向かって「あ゛〜〜〜〜」とか言うて。


ふと、横を見ると、たかしがいてる。

あ、と気が付いた、私。

「思春期の男の人の横で、このカッコはあかんな」
「何言うてんねん、今更。
オレが中学の時から、かあちゃん、ずっとそんなカッコやん。
しかも、オレ、もう高校生になってるし」

呆れられました。

そやかて、お風呂上がりは、扇風機で涼むのって、気持ちいいんやもん。

「あー、広い家に住みたいなぁ〜」と、たかしのため息。











[PR]
# by marurin373 | 2016-10-24 12:40 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(3)

お風呂

たかしの「ライナスのブランケット」である「くたくたスヌーピー」なんですが、どーにも、こーにも、汚れてます。

特に、たかしが顔をすり寄せて寝ているスヌーピーのおでこ部分は、なんか、黒っぽくなってます。

これは、いけない。

ニキビの元ともなるし、ダニとか、う〜む、考えただけでも気色悪い・・・。

なので、意を決して、たかしからスヌーピーを取り上げ、洗うことにしました。


朝の8時頃。

むくっと起きた私は、たかしが、ぎゅーっと抱き締めているスヌーピーを、ぬ〜〜と抜き取り、洗濯。

案の定、たかしは「何するねんな〜」と、寝ぼけてますが、怒ってます。

「こんなな、汚いスヌーピーちゃん、もうイヤやろ? お天気も続くみたいやさかい、今日は洗う!」
「・・・かあちゃん、できるん?」
「もう、調べた」
「変にならへん?」
「ならへん!」


スヌーピーが入るほどのバケツに、お湯と「毛布用洗剤」を入れて、ぎゅう、ぎゅう、と押し洗いしていくと、もうお湯は真っ黒。

「な? 見とうみ? こんなけ汚れてはったんえ」
「・・・ほんまや・・・」

ぎゅう、ぎゅう、と押し洗いと、特に汚れているところは、ブラシで洗います。

一度、お湯を流して、またお湯を溜めて、洗剤も入れて、押し洗い。

なんとなく、お湯の色が薄くなったような気がします。

黒い耳、顔、腕、足、お腹、と、部分ごとに洗い、かれこれ30分。

「もうええやろ」と思い、またお湯を捨てて、お湯の中で押し洗い。

何度もお湯を変えて、すすいでいきます。

最後は、タオルでスヌーピーを包み、洗濯ネットに入れて、20秒程、洗濯機で脱水。

また別の角度で包んで、ネットに入れて、20秒、脱水。

そして、ぶら下げるのではなく、平らなところにタオルを敷いて、スヌーピーを大の字に寝かせて、干しました。

「今晩は、きれいなスヌーピーちゃんと、寝られるんやな」
「何言うてんの、奥の方まで乾くまで、そやなぁ、5日はかかるな」
「えぇ〜〜〜っ!」
「中途半端やったら、虫わくえ」
「オレ、寝られへんやん〜〜」
「ちょっとくらい、我慢しよし」
「オレに、寝不足になれっちゅうことか?」
「ほな、かあちゃんのスヌーピーちゃん貸したげるさかいに」
「あかんねん、あのスヌーピーちゃんでないと、あかんねん!」
「明日、学校やさかい、かあちゃん、もう寝るえ」
「うううぅぅぅぅ〜〜〜〜〜」

「夜やさかい、ちょっとだけやったらええわ」
私、根性負けです。

たかしは、嬉々としてスヌーピーちゃんを取り行き、すぐに寝てしまいました。


朝になって。

「かあちゃん、今日の天気、どうや?」
「暑いくらいらしいえ」
「ちゃうやん、スヌーピーちゃん干すねん」
「ああ、お日さん出るさかい、ちょうどええんちゃうか?」
「ほな、干しとくわ!」

たかしは、スヌーピーを、また大の字にして干し、お弁当にケチをつけ、学校に行きました。

と、思ったら、戻ってきました。

「どしたん?」
「風でな、落ちひんようにしといてや」
「・・・スヌーピーちゃんか?」
「当たり前や」
「ほいほい、わかったわかった」
「ほな、行くさかい」
「あ、鍵持ってるか?」
「それより、ちゃんと鍵閉めて、お仕事行ってや」
「・・・はい」
「ほな、いってきまーす」
「気ぃつけて、いっといないや」
・・・たかし、無言で「バイバイ」をしています。

毎週の、朝の景色です。

私も、ちゃんと鍵を閉めて、お仕事に行かないと。

こないだは、閉めるの忘れてしもて、えらい怒られたんやったな。

ほんまに、ええお天気で、スヌーピーちゃんも、ぬくぬくしたはります。

ブラシかけて、ほわほわにしよ。


















[PR]
# by marurin373 | 2016-10-20 10:12 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

2016年、10月13日で「和解」というかたちではありましたが、私が1年半かけて、やっと「離婚」が成立して、ちょうど10年経った日でした。

別居して、調停して、裁判して・・・と、実に1年半かかってしまいました。

元オットは、何故そんなにまで執着して「離婚」したくなかったのか、今ならなんとなくわかります。

「自分よりも弱い立場の者を失いたくなかった」のではないかと思います。

たかしが産まれて、一番大変な時は、全て私任せ。

私は元々慢性腎炎で、ひどい「妊娠中毒症」になり、腎臓を少しでも治す為に、薬を飲まなければならず、母乳をあげることは禁止されました。

なので、たかしは「ずっとミルク、紙おむつ」で育てることになりました。

元オットは、たかしの「うんちの処理」も、できない人でした。

もちろん、3時間置きのミルクなんて、以ての外。

一度だけ、私が38℃程の熱を出し、本当に「仕方なく」仕事を休み、たかしの面倒を見ないといけない日がありました。

今でも忘れませんが、たかしが、3時間程経ったので、泣き出しました。

私は、うつうつとしながらも「あ、ミルクの時間やな」と起きましたが、たかしに風邪をうつしてはいけないし、でも気になるし・・・と思って、元オットがミルクを作るのを待っていましたが、一向にその気配はありません。

たかしは、まだ泣いています。

堪りかねて、元オットに「なんでミルク、あげへんの?」と訊くと、元オットは寝ぼけた顔で「起きたらまず、タバコやろが!」と叫んでいたのを鮮明に覚えています。

あの日から「たかしは私1人で育てていかなあかんのやな」と、決意しました。

そろそろ首や腰が座り出し、少しづつ話し出して「面白く」なってきた頃から、元オットは、まるで「新しいオモチャ」を手に入れたかの如く、面白がっていました。

突然、大声で「たかし!」と、怒鳴り、たかしが怯えて振り向く、その顔を見ては、げらげらと笑う、ということを幾度となく繰り返していました。

だから、今でも「大人の男の人の大声」は、たかしにとっては「恐い」対象となり、トラウマになっています。

今でも、その名残があるのですが、たかしは「大人の顔色を見る子供」でした。

たかしが剣道を続けることができなかったのも「大人の男の先生」が、大声で気合いを入れて試合をしはる姿を見て「なんで、怒ったはんの?」と怯えて、いくら私が「怒ってはるんとちゃうえ」と言い聞かせても、やはり「やっぱり、恐い」と言って、辞めてしまいました。

そんな出来事がいろいろと続き、私が足の手術で入院している間にも、実に様々なことがあったようなのですが、口止めされているらしく、たかしは決して私には何も話しませんでした。

しかし、別居して「もう、とうちゃんと離れてのんびり暮らしていけるのだ」ということを理解した頃に、ポツポツと、私に「こんなことがあった」とか「あんなことがあって、イヤやった」と、話し出しました。

「児童虐待」です。


私が庇うと、余計に、たかしに辛くあたるので、庇うこともできず、私は「このままやったら、たかしは殺される」とまで思うことが何度もありました。

私のことは「足の悪いお手伝いさん」と呼び、障害者基礎年金が支払わられるとの決定通知書が届くと、あっさり仕事も辞めてしまいました。

元オットからは「自分で障害者になったんだから、俺は何にも手伝いたくない」と、きっぱりと言われ、そこには理解や援助が全くないということがわかり、たかしに対する態度も含めて、別居を決意しました。


始めは、どうせすぐ戻ってくるだろうなどと思っていたようですが、私の怒りはただならぬものがあったので、たかしを護る為にも、決して「元のサヤに収まる」などとは思いませんでした。


何故「和解」ということになったのかというと、裁判官曰く「このまま裁判を続け、慰謝料などの取り決めなどをし、裁判を長引かせることは、原告の身体の為にも、精神的なものの為にも良くないと思われるので、和解離婚とする」というものでした。

私は、たかしが22才になるまで、月に2万円の養育費を被告が支払うということが決まっただけでも、有り難く、本当に1日でも早く離婚したかったので、この判決に異論はありませんでした。


そして、たかしの人生に於ける成長の中で、最も辛く、しんどい思春期や、いじめや、登校拒否や、そして病気、高校への進路など、全て私1人が受け止めなければならず、たまには私も夜中に泣いたこともありましたが、なんとか10年という歳月が、知らぬ間に過ぎていたのです。


たかしに「あのな、今日でな、とうちゃんとかあちゃんが離婚して、ちょうど10年やねん」と言うと、たかしは、白けた顔をして「あんな人、別にいらんわ」とだけ言い、隣の部屋に行ってしまいました。

私は、もしたかしが「とうちゃんに会いたい」と言い出せば、勿論会うことに異論はありませんが、たかしは「オレ、本当に、真剣に、ああ、この人には死んでほしいて思たん、とうちゃんだけやわ」と言います。

「どうせ、いろんなとこから借金してるんやろし、相続放棄だけは、かあちゃん、頼むで」とまで言います。


元オットは、来年で60才。

きちんと働いているのなら、定年退職です。

もう、養育費も一度も支払ったこともないんやし、九州に帰って、ママと2人で暮らせばいいのに、と、私は思っています。


けど「結婚」は、して良かったと、後悔はしていません。

たかしという、宝物を授かることができたから。

ただ、私の「男を見る目」が腐ってただけやと、思っています。


・・・ほんまに、いろんなことを経験する人生です。

って、自分で言うのも、なんやけど。




















[PR]
# by marurin373 | 2016-10-15 01:24 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

「体育の日」

10月10日は、私の両親の結婚記念日でした。

1965年に結婚したのですが、1964年に「東京オリンピック」の開会式があったということで、この年から祝日となった、と聞いています。

でも、亡父は「ワシらが結婚したさかい、祝日になったんや」と、いっつも言うてました。


両親は、高校の同級生で、3年間、同じクラスでした。

しかし、亡母と亡父は、グループが違うというか、高校時代はあんまり接触はなかったそうです。

亡母に至っては、亡父のことを、あまりよく思ってなかった、と、後々こっそりと語っていました。


そして、卒業後、四条河原町で、2人は再会するのです。

亡母の父、つまり私の祖父の代から行き付けの喫茶店に行き、いろいろと話したらしいのですが、亡母は、どーしても、どーしても、亡父の名前が思い出せないのです。

そこで、亡母は、妙案を思い付き「お名刺、ちょうだい?」と言って、亡父の名前を確認し「あー、そやそや、そやった、そやった」と思い出したそうです。

当時、亡父は、五条河原町の実家に住んでいて、離れの2階を好きなように使っていました。

ホームバーを作って、友達を集め、呑んだり食べたりしていたそうです。

亡父は、婦人服に興味を持ち、服飾科卒業の亡母とまた連絡を取る約束をします。

そして、亡父は、亡母に会いたいが為に、クリスマスパーティーを開催する予定を立てます。

もちろん、離れの2階の、自慢のホームバーもある広い部屋で、他にも友達を呼んで。


しかし、亡母の父、つまり私の祖父が、12月の末に脳梗塞で倒れ、いつ亡くなってもおかしくない状態になってしまいました。

それで、亡父が、亡母に会いたいが為に、開催しようとしたクリスマスパーティーに行けなくなり、後に「別にどーでもええやつばっかり来よってん」という状況になってしまいました。

で、年を越して、1月の3日に、祖父は亡くなってしまいます。

マメな亡父は、ちょうど、49日が済んだ頃に、亡母に連絡をとり、会って慰めます。

弱っている精神状態の亡母は、京都弁で優しく慰めてくれる亡父に、いつしか頼るようになります。


そして、忌明けした後で、2人は北大路堀川にある、教会で結婚式を挙げます。

ウェディングドレスは、同じ服飾科だった友達と亡父がデザインし、製作します。

式を挙げる前には、幾度か日曜礼拝に行かなければいけません。

神父さん、と言っていたので、プロテスタントではなかったようです。

この教会で、結婚式を挙げられるのは、亡母がここの幼稚園に通っていたから。

それだけの理由なので、亡父は、日曜礼拝が退屈で仕方がない。

で、亡父は「キリストさんを、またいでん」とか「またぐらのマリア」とか、非常にくだらないことを思いながら、神父さんの、ありがたーいお話を拝聴していたそうです。


私の夢は、亡母のウエディングドレスを着て結婚式をしたい、というものでしたが、友達に貸したりしている間に、無くなってしまったそうです。

それなら、せめて、その亡父と一緒にデザインして縫製までした、亡母の同級生の方にデザインしていただいて「私だけの」ウエディングドレスを着て、バージン・ロードを歩きたい。

そう思っていました。

しかし、時の流れというのでしょうか、お願いしたのですが、その同級生の方は「私、もう、よう作れへんわ」と、あっさり断られ、知り合いのご親戚の方のドレスをリメイクして、それを着せていただいて、結婚式を挙げました。


「ハッピー・マンデー」という制度が導入され、10月10日は、必ずしも祝日ではなくなりました。

「お父さん、離婚するとか、そんなことばっかり言うてるさかいに、もう祝日やなくなったんちゃうん?」
と、私が言うと、亡父は「けっ」と、一言。

亡母にも言うてみましたが、亡母も「ふんっ」と、一言。

なんやかんやと「離婚する」とか「別居する」とか、そんなことばかり言うてた夫婦でしたが、このリアクションで、私は「やっぱり、夫婦は夫婦やねんな」と、納得しました。

彼岸でも、ケンカしてるんちゃうかなぁ。


















[PR]
# by marurin373 | 2016-10-12 11:35 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

苦言

Facebookで「過去の出来事」みたいなのがあって、それを見ていたら、私が真っ赤なメッシュを入れてる写真が出てきました。

たかしと「こんなこともあったなぁ」と言うと、たかしが突然「かあちゃんに言いたいことがあるんやけど」と、言い出しました。

「オレな、かあちゃんが、どんどん派手になっていくのが、イヤやねん」
「なんでぇな」
「ピアスやら、髪型やら、なんで親指にまで指輪してんのかわからんし、もう50のくせに、ええ加減にいてほしいねん」と。

「あのな、かあちゃんがすることにな、いちいち文句言う人は、もうみぃんな死んでしもてな、やっと解放されてん。50才がなんやねんな。これからは、好きな服着て、好きな髪型して、好きなアクセサリーつけて、したいこと全部して、生きていくことにしてん。ま、あんまりお金は使えへんけどな」

たかしは、黙っています。

やっと、口をひらきました。

「そんだけ言うんやったら、もう好きにし」

「あんたが受験落ちたら、笑われるのは私らなんえ、とか、言われたことないやろ?」
「もう、わかった。好きにして」
「それとな『〜なくせに』ていう言葉は、差別用語え。気ぃつけよし」
「もう、わかったから」

私は、両親や祖母の呪縛から、漸く解き放たれたのです。

だから、節約しながら、好きなことをして、生きていくことに決めました。













[PR]
# by marurin373 | 2016-09-26 01:06 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(3)

んもう、眠くて眠くて。

とにかく、眠いのです。

何故かといとうと、たかしの前期末の試験があったからなのです。

たかしが睡眠不足なのはわかりますが、何故に、私まで眠いのか。

たかしは、病気で中学に殆ど行っていません。

だから、基礎の数学や、英語が、まるっきりわからないのです。

なので、私が教えることになるのです。

ただでさえ、ベテランの教師をされていた先生方も、口を揃えて「自分の子供には教えられへん」と仰います。

もう25年くらい前にしていた経験など、役に立ちません。

しかし、やらなければ、高校は「留年」という、こわーいこわーい制度があるのです。


まず1日目。

倫理と、英語を教えました。

「この人は、他人さんの中学生」やと思いつつ、丁寧に教えました。

数学は「平方根」とかありましたが、ま、倫理は大学で専攻していた哲学が役に立ったのですが、たかしも眠いし私も眠い。

集中力もなくなります。

それでも、呪文のように「ルソーはフランス、ユングはスイス」と、何度も唱えたはりました。


2日目は、政治経済と、英語と、そして数学。

私は、中学生までは、どの教科も「4」か「5」でしたが、高校に入ってからの数学は、ずっと「2」でした。

幸い、たかしは、高校に入ってから新しく習った数学は、なんとかわかるらしく、難を逃れました。

政治経済も、教えたことがあるので、これもなんとかやり切りました。


3日目は、数学と生物と音楽。

私は、京都市立の、美術科の高校に行っていたので、午前中は勉強、そして午後からは実習、という3年間を過ごしてきました。

なので、私は中学以来、全く「音楽」など習ったことはありません。

生物は、何とか親子で力を合わせて、そしてウイキペディアさんにも助けてもらって、なんとかしました。

たかしの高校は、前期・後期の2学期制なので、またあともう一度、1年生を終わる頃に、この親子の地獄があるのです。

いや、2年生でも3年生でも、そして受験もあります。


取り敢えずは、前期末試験が終わったので、2人でピザを食べて「お疲れさん会」をしました。

あ、結果はまだ知りません。

たかしによると、回答は、マークシートで、一段ずれたり、二段ずれたりして、書き直している内に、制限時間の30分が過ぎてしまった教科がいくつかあったそうです。

ま、後期末試験で挽回してもらうことにします。

お疲れ様でした。















[PR]
# by marurin373 | 2016-09-14 15:44 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

46

8月21日は、亡弟の誕生日でした。

何故か、この日は忘れることができずにいます。

26年間、姉弟やったからかもしれません。

「もしも、生きてたら、何才になってるんやろう?」

そんな不毛な考えが、頭から離れません。

私の年齢マイナス4、です。

だから、すぐにわかるのですが、だからといって何もありません。

「何年前に亡くなったか」は、考えないとわからない時もありますが「もし、今もいてくれてたら、何才か?」は、すぐにわかってしまう・・・だから、また悲しみが新たになるので「もう考えるのはやめよう」と決めた筈やのに、毎年この日になると、思い出してしまいます。

あと、10年で、たかしが亡弟の年齢になります。


たかしが、お線香を立てるところに、爪楊枝を立てて遊んでいたので「ちょっと、そんなんしたらあかん」と叱ったら。

「かあちゃんあのな、ここに入ってはる人らはな、勝手に死んでいって、遺されたかあちゃんに、ものすっごい迷惑かけはったんやろ?そやのに、なんで毎日お水あげて、お線香立てて、チーンて鳴らさなあかんねんな」

と、言われました。

確かにそうです。そうなんです。

でも、やっぱり、私にとっては「大事な家族」なんです。

「ばぁばなんてな、あんだけ、かあちゃんにガミガミ言うてて、そやのに○ちゃんの面倒もちゃんと見んと、病気にしてしもて、死なしてしもたやん。かあちゃんが小さい頃は、ネグレクトしてたんやろ?ほんで、たくさんの借金だけ遺して、勝手に死んで、全部かあちゃんに押し付けはったやん。そやのに、なんでお水あげなあかんねん」

・・・確かに、全てたかしの言う通りです。

今も、私は亡母のしたことを許してはいません。

「うん、でもな、死なはったら、みぃんな、仏さんにならはるねん」

「そんなん、理由にならへん」

少しづつ和らいでいた私の心は、またざわざわとし出しました。

「かあちゃんかってな、いろいろ思うことはたくさんあるねん」

それしか、言い返せませんでした。

思春期のたかしは、時に優しく、時に暴力的なことを言います。

たかしも、もう少し大人になると、また変わるかもしれませんが・・・。


そして、私は今朝もお水をお供えし、お線香を3本立て、チーンと鳴らすのでした。
















[PR]
# by marurin373 | 2016-08-21 22:49 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

jfc118

「かあちゃん、もう見んとき」

毎日垂れ流される、SMAPに関する、ネットニュース。

何が真実なのか、ちっともわかりません。

で、載ってると、つい見てしまうのです。

その度に、哀しい気持ちになるので、たかしに止められました。


今日、最後の会報が送られてきました。

こんな哀しい気持ちで受け取ったのは、初めてです。

9月には、予定されてた「25周年記念品」も、予定通り送られてくるそうです。

なんか・・・なぁ、と、溜め息ばかりの夏となりました。











[PR]
# by marurin373 | 2016-08-20 19:31 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

昨日、スマステーションを見てたら、なんか慎吾くんの目が赤くて、今までと感じが違ってて。

「全部終わった」て感じで、笑顔やって。

スマステが終わって、NHKでテニス見てたら。

そしたら、速報が。

「2016年12月31日で解散」

やっぱり、そんな結末になってしもたんか・・・。

いろんな人が、いろんなことを言うさかい、何も読みたくない。

本人達にしか、わからへんことが、きっとあるんやろな。

コンサートには、ちゃんと行ってたし、この間、ファンクラブの更新もしたのに。

「返金します」て、ちっとも嬉しくない。

9月には、会報が届いて、それで終わりらしい。

憶測で、いろんなことを言う人達がいてるけど、所詮は他人事。

好きなこと言うてはるし。

昨日は、全く眠れなかった。

たかしが、なんか優しい。

「・・・泣きそう?」て、訊いてきはる。

不思議と、泣けない。

呆然としてる感じ。

「かあちゃん、しんどかったら、晩ご飯、オレが作るけど」

いやいや、あの5人よりも、たかしの方が大事。

当たり前か。

ちゃんと晩ご飯作ったら、いつもは言わへんのに「おいしいなぁ、おいしいなぁ、」と言って、食べたはる。

気ぃ使ってくれたはる。

ま、いつの間にか、誰も何にも言わなくなるんかな。

年末、何があるんかな。

これで、ホッとしはったんかな。

やっばり、哀しいなぁ・・・。

「一時代」が、終わったんやな。














[PR]
# by marurin373 | 2016-08-14 20:39 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

彼の地より

「かあちゃん、お盆やさかい、お墓まいり行かなあかんな」
「何言うてんねんな。お盆いうたらな、地獄の釜のフタが開いてな、みんな還ってきはるねん。そやし、お墓行っても、からっぽえ」
「そうなん?ほな、じぃじやら、どこにいてはるん?」
「ここにお位牌あるさかい、ここちゃうか?」
「間違うて、京都で道迷ったりしてはらへんやろか」
「わーくんやったら、ありがちやな」

みんな、還ってきたはります。

夢に亡父や亡弟が頻繁に出てきます。

たかしが、心配そうに言います。
「かあちゃん、寝ながら泣いてるけど・・・」

今朝は、亡弟のお葬式をしている夢を見ました。

それで、かなり泣いてたらしいので、たかしが心配して
「かあちゃん、かあちゃん、」と、起こしてくれました。

また、あんな悲しい思いをしてしまいました。


お盆の時は、何日目にはこれ、何日目にはこれ、と、お供えものの決まりがありました。

でも、何にも教えてもらえませんでした。

「お迎え団子」を、祖母や母と、こねこねと作り、作りすぎたお団子は、あんこの缶を開けて、こっそりと食べていたのを思い出します。

せめて、白玉だんごの粉を買ってきて、お団子を作って、お供えすることにします。


「かあちゃん、還ってきはったじぃじやらは、いつまでいたはるん?」
「五山の送り火て、あるやろ?あれを目指して、またあっちに行かはるねん」
「ここからやったら、遠いなぁ」
「そやなぁ。そういうたら、ここいらのおしょらいさんは、何目指していかはるんやろなぁ」
「・・・大文字ちゃうん?」
「・・・今まで、考えたことなかったけど、大文字かなぁ?やっぱり」
「遠いのになぁ」
「まぁ、私らがここにいてるんやさかい、頑張ってもらお」

いつまでも「ここ」にいてくれはったら、ええのになぁ。














[PR]
# by marurin373 | 2016-08-12 13:07 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

寝顔

私は、たかしの「寝顔」を見るのが、大好きです。

ほっんとーに、小さい時のまんま。

起きてる時は、偉そうで、私の言うことは全く聞かなくて、なんか喋ったと思ったら「腹減った」と「お小遣い、いつくれる?」です。

でも、寝ている時のたかしは、保育園の頃と全然変わってなくて、16才になったばかりでなんなんですが、かわいいまんまなのです。

そのかわいい寝顔を眺めつつ、いろんなことを思い出したりしています。

どうか、たかしの病気が治りますように。

どうか、単位を落として留年しませんように。

どうか、これ以上たかしが苦しむことのありませんように。

そして、ちゃんと私の言うことも少しは聞きますように。

すやすやと、スヌーピーを抱いて眠るたかし。

次、起きてきた時は、絶対に「腹減った」と言って、起きてくると思います。
[PR]
# by marurin373 | 2016-07-30 19:54 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(0)

望んではいないけれども

たかしの誕生日に、毎年思うことがあります。

元オットは、どう思っているのか、と。

調停をしている時から、元オットは、たかしには全く何もせず、ここまできました。

誕生日だけではなく、小学校に入学した時や、中学を卒業した時、そして高校に入学した時、など。

もう、たかしが何才かなんて、わかってないのかもしれませんが、たかしは2000年生まれなので、すぐに年齢はわかります。

でも「誕生日」がいつなのか、忘れているのでしょう。

「自分の子供」という感覚が、もうないのかもしれません。

だから、余計にたかしがかわいそうに思えるのです。

祖父、祖母、叔父なども、いません。

敢えて話題にも出ませんが、一体、たかしはどう思っているのでしょう。

先日は、小さな声で「もう死んだらええのに」と、呟いていました。

たかしも私も、何も望んではいませんが、非情な父親やなぁと、私は思っています。
[PR]
# by marurin373 | 2016-07-27 00:55 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

今日は、たかしの16才の誕生日です。

毎年そうなんですが、妊娠がわかった時のこと、妊娠中のこと、出産、新生児、保育園、小学校、中学校、そして高校。

たかしが5才の時から、私独りで育てていますが、正直大変な時もありました。

そんなたかしも、高校1年生。

早かったような、長かったような。

たかしの成長を見続けることができて、本当に嬉しいです。

もうありきたりの言葉になりましたが、やはり、この言葉しかありません。

「産まれてきてくれて、ありがとう」

これからも、たかしらしい所を残したまま、年を重ねていってほしいです。
[PR]
# by marurin373 | 2016-07-26 22:16 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)