取り敢えず

毎年、年賀状のデザインはたかしがしているのですが、諸般の事情により、年賀状が送れなくなりました。

で、このブログのトップの画像は、その年の年賀状の絵を載せているのですが、たかしが「酉年」のデザインをしていないので、取り敢えず、以前たかしが落書きをしていた「鶏」の絵を載せることにしました。

また、改めて、たかしに「酉年」の絵を描いてもらったら、それを載せることにいたします。










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# by marurin373 | 2016-12-31 03:03 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

ロス

この1年は、とても辛い1年でした。

いろんな報道に振り回され、本人たちから何も語られることなく、2016年は終わります。


それと、毎週YouTubeで2話づつ配信されていた「仮面ライダー龍騎」が、30日に終わりました。

たかしにネタバレされていたのに、やっぱり泣いてしまいました。

「毎週楽しみにしていたもの」がなくなり、いろんな「ロス」に陥っています。

来週からは「555」が配信されるので、ま、そっちはいいのですが。


「ブルーマンデー」の夜の重い気持ちを吹き飛ばしてくれる、あの番組も終わりました。

どこか信じられずにいて、けどやっぱり元の鞘に収まるんちゃうのん?なんて、自分をごまかしていましたが、やっぱり、最終回がやってきました。

来年は、どうなるのか、全くわかりません。

取り敢えず、金曜の夜のラジオを楽しみに聴いて、なんとか自分をごまかしたいと思います。









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# by marurin373 | 2016-12-31 00:41 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

カエル

最近、たかしの様子が変わってきました。

今迄は、1人で部屋を暗くして、スマホで動画やなんかを観てにやにやして、私がいる部屋にはご飯を食べる時くらいしか一緒にいませんでした。

それが、また私がいる部屋に、ご飯以外の時でも一緒に座ってる時間が増えてきました。


先日のこと。

「かあちゃんて、ニコニコとかって、観ることある?」
「ないなぁ・・・。流れてくるコメントばっかりに目がいって、肝腎の画像が見られへんねん」
「ま、ありがちやけどな」
「そやさかい、観ることは、まずないな」
「・・・かあちゃんに、観てほしい動画があるんやけど・・・」

と、言って、私のMacで検索して。

「・・・これなんやけど。コメントも、消すし、取り敢えず、観てみてほしいねん」

そこまで言うなら、と、観たのです。

シャイダーやらシャリバンやらギャバン。
ウルトラマンがたくさん。
技の1号、力の2号。
V3に、ライダーマン。
それに、戦隊モノ。
平成ライダーが、たくさん。

「あれやなぁ、何年かに一度は、忍者ものが出てくるな」
「ええし、観てて」

ゴジラ、ミニラ。

うーん。

「かあちゃん、懐かしい?」
「そやなぁ、懐かしいけどなぁ、戦隊モノは、ゴレンジャーぐらいしか観てへんねん」
「なんで?」
「なーんか、ん〜ん、仮面ライダー派やったし、戦隊モノの頃は、もう大きなってたんちゃうか?」
「そっか・・・」
「かあちゃんは、ウルトラマンと同い年でな、5才くらいから仮面ライダーが始まってん」
「ふ〜ん」
「今みたいに、1年毎と違たし、ずーっと仮面ライダー観てた気がする」
「そっか・・・」

どうやら、たかしは「この動画は、かあちゃん向きや」と思い、私が喜ぶと思って、勧めてくれたのです。

でも。

なんで、ライオン丸が出てない?
アースが生んだ正義のマグマ大使は?

そして、私の初恋の赤影さんは?
最終回で、青影が赤影さんのアイマスクをしてたから、やっとご尊顔を拝めると思ったら、金色のアイマスクをしてはって、がっかりした覚えもあります。

仮面ライダーも、Xライダーや、ストロンガーが出てない!

平成ライダーなんて、響鬼くらいからしか観てないし。

この動画は、古すぎて、新しすぎて、私の心の琴線に触れることはなかったのでした。

けど、たかしが「かあちゃんが喜ぶかも」と思って、観た動画。

貶すことはできません。

それに、名前がすぐに出てこなくて「えーと、あれあれ」とか言うてる間に、もう違うヒーローが出てくるし。

それが、約1時間。

堪能いたしました。

お陰様で、また頭の中で、デュラン効果で同じ歌がぐるぐるしています。

「ウルトラのヒキガエル
 ウルトラのアマガエル
 そしてタロウが ウシガエル」



あ、ブログの背景ですが、解散のショックで変えることにしました。








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# by marurin373 | 2016-12-23 04:59 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(0)

「ツボ」

 ここ何年か、たかしとマトモに面と向かって話し合う、ということはありません。

私が起きている時は、たかしが寝てたり、たかしがニヤニヤしながら動画を観ている時は、私が寝ていたり。


先日、たかしが寝ていたので、私も早いけど寝てしまおう、と、パジャマに着替えて・・・と、寝る用意をしていたちょうどその時、たかしが「おはよぉ〜」と起きてしまいました。

「かあちゃん、寝るけど」
「オレ、腹減って仕方ないさかい、起きてしもてん」
「なんかあるさかい、食べときぃな」
「オレは、愛の込もった手料理が食いたいねん」
「・・・んもう、しゃあないな、」
と、パジャマのまんま、上にパーカーを引っ掛けて、毎度お馴染みの「野菜炒め」を作りました。

たかしが食べている間、やっぱり、放ったらかして私だけ先に寝てしまうこともできずにいて、そのまま、たかしが「んまいわぁ、ほんっまに、かあちゃんが作ったご飯は、んまいわ」と、嬉しいことを言って・・・いや、これは、たかしのイヤミか?てなことを聞きつつ、おこたに座って、食べているたかしを見ていました。

で、そのまま、ぐだぐだと、あることないことをお互い話していたら、いつしか、丑三つ時も過ぎ、もう「何を言うても、笑ってしまう時間」になってしまいました。

いつもなら、食べたら「ごっそさん」と言い、台所にお茶碗とお皿を持って行って、お湯に浸けて、もうあっちに行ってしまうのですが、起きたのも遅いし、それからキャベツを半分、ピーマンを4つ、それと豚コマの野菜炒めと、ご飯をお茶碗にいっぱいの晩ご飯というか、もう夜食を食べたので、たかしの目はぱっちりと覚めてしまいました。

私は、寝たい。

パジャマも着ている。

ちゃんと、腹巻もしている。

最近は、引力に勝てないので、密かに「寝ている時のブラ」も、している。

それに、むくみ防止のソックスまで履いてるし。

この、パーカーさえ脱いだら、あの、ベットの上のお布団に入りさえすれば。

いつもは、なーんにも話さなくなったのに、こんな時に限って、たかしは饒舌。

私も、たかしと、こんなに普通に、別になんでもない話をするのは、本当に久し振りなので、まぁ、嬉しい。

眠剤まで飲んでしまっているので、私は、本当に眠くなってきている。

最近、不眠気味なので、眠剤が増量されているのです。

なーんか、だらだらと2人で話していた時。

私が、自分のiMacが、Bluetoothで、キーボードとマウスを繋ぐのがどうも上手くいかないので、もういちいち設定するのが面倒になったさかいに、古いUSBで紐付きのキーボードを使こてるねん、とか、話していた時。


ふと、たかしが。

「かあちゃん、」
「ん?」

「春日が、青かったら、ブルートゥースやな」

と、ぽそっと言ったのです。

私は、そのたかしの、くっだらないシャレが自分の「ツボ」にはまってしまい、ひーひー笑い転げてしまいました。

寝る前に、たったひとつ忘れていた、喘息の吸入。

これをしなかったせいで、私は大声で笑う時間ではないので「忍笑い」をしようとすればするほど、喉から「ひゅ〜ひゅ〜」と言ってきました。

「かあちゃん、どしてん」
「ちゃうねん、ちゃうねん、」と言いつつ、喉からは「ひゅ〜ひゅ〜」という声が漏れるのです。

「どうもないか? また、喘息か? 吸入、してへんの?」
「まだ(ひゅ〜)して(ひゅ〜)へん(ひゅ〜)ねん(ひゅ〜)」

たかしが、真面目な顔になって、心配して背中をさすってくれています。

「どうもないか?」
「うん、うん、」と言いつつ、まだ、ひゅ〜ひゅ〜と言っています。

「ほなかかいない」
「え?」
「ほやさははい、ほなかかしない」
「どしたん、かあちゃん」
「ほやさははい、」

もう、お腹が痛くなってきています。

「ひゅ〜、ひゅ〜」と、まだ言います。

自分でも、もう抑えられないのです。

そんなに面白くないのに。

と、いうか、ぜっんぜん、面白くないのに。

なんでこんなに笑ってしまうのか。

ちょっと悔しい。

でも笑いが止まらないのです。

そのうち、涙が出てきました。

たかしが、ぽそっと呟いたシャレのくだらなさと、時間が、私をこんなにも笑わすのです。

お腹が痛いくらい笑うことなんて、本当に久し振りです。

心配して、私の背中をさすってくれていた、たかしまでもが、私につられて笑い出しました。

しかし、時間が。

もう、某公営放送が、国旗をひらひらと翻し出すような時間です。


2人で暮らしだして、11年。

母子で、お腹を抱えて、2人して「忍び笑い」をして、朝を迎えました。


この日は、結局寝てないので、とってもしんどい日でしたが、不思議と機嫌よく過ごすことができた1日でした。















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# by marurin373 | 2016-12-08 23:51 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(0)

「友達」

小学校の時に通っていた学童の時の友達と、会うことになった、たかし。

「高校になったら、友達を作りたい」と言うてたけど、全然できない。

そやし、久し振りに、私がお母さんに連絡をとって、たかしの携帯の番号を伝えて、相手の息子さんの携帯の番号も聞いて。

そしたら、たかしに電話がかかってきて、たかしはかなり嬉しそうやった。

で、土曜日に会うことになったらしいのですが、何時、とか何する、とか、全く決めてないらしいのです。

男の子って、こんなもんなん?

結局、金曜日に連絡があって、お昼にウチに来はると決まったけれど、いつまで経っても、来はーらへん。

「一回、連絡してみたら?」
「もう、いいねん」
「そんなん言うてんと」
「忘れられてるんやわ、きっと」

なんとも言えない、私。

そしたら「寝過ぎた」という連絡があって、無事会うことができました。


でも、私がちょっと何か訊いても「別に」とかしか答えてくれません。

そやけど、楽しかったらしく、また会う約束をしたそうで。

彼は、たかしのひとつ年上で、いろんなことを教えてもらった「お兄ちゃん」的な、存在。

たかしにとっては、大事な、存在。

なーんにも教えてくれへんけど、嬉しそうな、たかし。

やっぱり、楽しかったんやん。

よかった、よかった。













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# by marurin373 | 2016-11-28 05:30 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(0)

先日は、たかしの病院に行く日でした。

待っている間に、血液を取られ、尿も提出。

「オレ、やっぱり、注射はイヤやわ〜」と、たかしが泣き言を言うてる時に、隣から「いや〜! おちゅうしゃ、いや〜!」という、小さな女の子の声が聞こえてきて、たかしは「オレ、全然成長してへん、てことか?」と、苦笑い。

検査結果が出るまで、時間がかかります。

行く途中で買ったジュースも飲んだし、スマホは厳禁。

「あ、そや、久し振りに、身長、測ってみよ」と、身長計の前に立ち「かあちゃん、見て」と言うので、見てみたら、なんと身長が伸びてる!

「ちょっと、背ぇ伸びてるえ」
「ほんま?」
「ちょっと、見てみよし」
「ほんまや〜」

かなり嬉しそうな、たかし。

ま、168.4センチから169.5センチになってるだけなのですが、それでも、嬉しい、母子。

産まれたばかりのたかしは、55センチあり、産着が七分袖で「夏やさかい、ええか〜」と、思っていたことを思い出し、私としては、175センチくらいにはなるかなぁと思っていましたが、170の壁は高かったのです。

でも、高校生になっても、伸びるということがわかり、私もたかしも「これから」に大いに期待して、帰ってきました。

「セノビック、飲むか?」
「いらんわ」
「牛乳、飲みよし」
「かあちゃんは、そんなにオレの背が伸びてほしいんか?」
「うん」
「自然のままに、いさせてくれ」


あともうちょっとで、170。

どこを頑張ったらいいのかわからへんけど、頑張れ、たかし!















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# by marurin373 | 2016-11-26 06:34 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(0)

50

私も、遂に50才になりました。

ちょうど半世紀です。

正直、ここまで、自分が「生きている」とは、思いませんでした。

20代半ばで患った「慢性腎炎」は、お医者さんに
「このままでいくと、透析は避けられへんなぁ。その為にも、塩分制限と、妊娠・出産は諦めてください」
と、言われていました。

そして、何度も自殺を試みて、全て「未遂」に終わりました。

亡弟が、自死した後も、後追い自殺もしました。

その度に、一週間ほど、入院させられました。

その半年後、今度は父が入院し、人工透析をしなければならなくなり、水分制限をして、ツラい思いをしていました。

入院して、たった一週間で、父はあっけなく亡くなりました。

1人で、院長先生と、眠っている父を見つめていたら、
「あのね、いっつもは、否定的なことばかり言ってね、もう生きて行く気力がないんかなと思っていたけどね、今日のお昼、透析しながら、私に、笑顔で「ワシの夢は、孫抱くことですねん」て言わはってね、初めて明るい顔して言わはったしね、生きる気力を取り戻さはったんか、て、私も安心してたんですよ」
と、私に言わはりました。

私は、妊娠も出産も禁止されてるけど、でも、亡弟と、この父の命をもらって、もしかしたら、出産できるかもしれない。

そんな思いが、むくむくと湧いてきて、次にお付き合いした人と、結婚して、命を授かることができたのです。

東京に転勤する前に、お医者さんに
「とにかく、大きな病院を探して、腎臓を診てもらいなさい」
と、言われていました。

幸い、転居先のすぐ近くに、産婦人科があったので、取り敢えず受診しました。

「来週、また来なさい」と言われたので、次の週に行くと、妊娠していました。

けど、血尿もタンパクも、ひどい結果なので、日本医科大学病院を紹介してもらい、産科と腎臓内科を受診していました。

「切迫流産」「ひどい貧血」「切迫早産」「酸素の血中濃度が低すぎる」と、いろいろ言われ、東京では、殆ど出掛けることもなく、○ちゃんと過ごしていました。

で、8ヶ月で今いるところに引っ越し、臨月になって、帰洛し、結婚前に通っていた病院の産婦人科と、腎臓内科を受診することになりました。

ひどい妊娠中毒症になり、このままでは、どちらかが危ないと言われ、陣痛促進剤で産むこととなりました。

酸素マスクを付けて、独りで待機している時「私、このまま死ぬんかな」と思い、ぽろぽろと泣いていました。

あんなに、自殺未遂を何度もしてきたのに、やっぱり死ぬことが恐くなったのです。

看護師さんに
「私は、もうどうでもいいので、赤ちゃんだけでも、生きて取り上げてください」と言うと、看護師さんに、めちゃくちゃ怒られました。

「赤ちゃんの幸せは、お母さんがちゃんと生きてること。今からそんなこと言うて、どうするん! 赤ちゃんは、このお母さんならと思って、このお腹の中で産まれる準備してはるんえ!」って。

「こんな私でもいいんですか?」と訊くと、
「当たり前やん! 今まで、しんどい思いしてきたやろ? それが、全部報われる時なんえ!」って、言われました。

なんとか、無事、私でもたかしを産むことができて、現在、16才になった、たかしと2人で暮らしています。

でも、やっぱり、私の腎臓には負担が大きかったらしくて「身体障害者3級」になってしまいました。

両股関節の骨頭も壊死するし、人工骨頭も入ってます。

これで「身体障害者2級」に。

膝にも壊死が見つかり、これで「身体障害者1級」となりました。

この「人工骨頭」も、いつ何時交換しないといけないのか、わかりません。

痛みもひどくなってきました。


でも、まだ私は「生きている」のです。

いや、たかしに「生かせてもらっている」のかもしれません。

たかしがいないなら、私も、もうこの世にはいてないと、いつも思います。

家族は2人、貧乏で、たかしも病気で、ほそぼそと生きています。

本当に、この年まで生きているとは、思ってもいませんでした。

両親や、弟の命を、たかしに繋ぐことができました。


















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# by marurin373 | 2016-11-17 03:43 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(2)

下ネタでございます。

ずいぶん前に、元生徒さんから、こんな言葉を教えてもらいました。

「さんじゅうさせごろ、しじゅうしごろ」

・・・。

「元生徒」さんに聞いた訳ですが、ま、年も近いし、最近では教えてもらうことばかりの人なんですが。

彼が、仕事で一緒になったおじさんに
「やっぱり、若い子が、いいですよね〜」と、言うと。

「何いうとるんじゃ。さんじゅうさせごろ、しじゅうしごろちゅうての、その頃が一番ええんじゃ」
と、言われたそうです。

で、その頃40代になりたての私に、余計な御世話的に「ま、おばちゃんも、自信持って、頑張って」と、言うてくれはりました。


昨晩、お風呂に入っている時に、なんかこの言葉を思い出し、そう言うたら、50になったら、どう言うんやろ?と、いろいろと考えていました。


そしたら、今夜、この彼から偶然電話があり、いろいろとアホな話をしていたのですが「あ、そや」と思い出し、訊いてみました。

「なぁ、さんじゅうさせごろ、しじゅうしごろて、覚えてる?」
「おう。あれは、俺がおばちゃんに教えたんやんか」
「ほなな、50になったら、なんて言うん?」
「え?50?ん〜ん、知らんなぁ・・・」
「やっぱり、さんじゅうさせごろ、しじゅうしごろ、ごじゅうごめん、やろか?」
「・・・そやなぁ・・・おばちゃんには悪いけど、やっぱり、50はごめんやろ」
「まぁ、別にええけどな」
「何?まだそんな色気出してんの?」
「いや、お風呂入る時とかにな、己の身体が鏡にうつってな、つい見たらな、もう好きな人程、見せられへんねん」

そう言うと、彼は大笑いです。

「あんなに、おばちゃんのファンがたくさんいてたのになぁ」
「うっさい」
「やっぱり、おばちゃんも、年取るんやな」
「私は妖怪ちゃうもん」
「そろそろ50やろ?」
「うん」
「もうな、たかしくんを育てることだけに、頑張り」
「別に、もういらんもん」

彼は、まだ笑ってます。

・・・悔しい。


「私、脱ぐと、すごいんです」

ま、違う意味ですけどね。











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# by marurin373 | 2016-11-09 01:14 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

丑三つ時

夜中の、2時か3時頃。

私は、もう既に寝ていました。

たかしが、ごそごそとし出し、台所へ行く気配で、なんとなく目が覚めました。

たかしは、どうも、小腹が減ったらしく、インスタントの何かを食べる様子。

ポットの「ジャー」という音がして、暫し、沈黙。


どうやら出来上がったらしく、フタをめくって。

「いただきます」

たかしは、夜中に、独りで何かを食べる時でも、ちゃんと「いただきます」と言うてるらしいことがわかり、なんか面白いというか、かわいいとさえ思いました。


そして、食べ終わった時。

私の期待通り「ごちそうさまでした」と言うています。

ま、そんな人です。













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# by marurin373 | 2016-11-04 01:03 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(2)

扇風機

私、お風呂上がり。

バスタオル一枚まいて。

扇風機の風で、心地よくて。

時々、扇風機に向かって「あ゛〜〜〜〜」とか言うて。


ふと、横を見ると、たかしがいてる。

あ、と気が付いた、私。

「思春期の男の人の横で、このカッコはあかんな」
「何言うてんねん、今更。
オレが中学の時から、かあちゃん、ずっとそんなカッコやん。
しかも、オレ、もう高校生になってるし」

呆れられました。

そやかて、お風呂上がりは、扇風機で涼むのって、気持ちいいんやもん。

「あー、広い家に住みたいなぁ〜」と、たかしのため息。











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# by marurin373 | 2016-10-24 12:40 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(3)

お風呂

たかしの「ライナスのブランケット」である「くたくたスヌーピー」なんですが、どーにも、こーにも、汚れてます。

特に、たかしが顔をすり寄せて寝ているスヌーピーのおでこ部分は、なんか、黒っぽくなってます。

これは、いけない。

ニキビの元ともなるし、ダニとか、う〜む、考えただけでも気色悪い・・・。

なので、意を決して、たかしからスヌーピーを取り上げ、洗うことにしました。


朝の8時頃。

むくっと起きた私は、たかしが、ぎゅーっと抱き締めているスヌーピーを、ぬ〜〜と抜き取り、洗濯。

案の定、たかしは「何するねんな〜」と、寝ぼけてますが、怒ってます。

「こんなな、汚いスヌーピーちゃん、もうイヤやろ? お天気も続くみたいやさかい、今日は洗う!」
「・・・かあちゃん、できるん?」
「もう、調べた」
「変にならへん?」
「ならへん!」


スヌーピーが入るほどのバケツに、お湯と「毛布用洗剤」を入れて、ぎゅう、ぎゅう、と押し洗いしていくと、もうお湯は真っ黒。

「な? 見とうみ? こんなけ汚れてはったんえ」
「・・・ほんまや・・・」

ぎゅう、ぎゅう、と押し洗いと、特に汚れているところは、ブラシで洗います。

一度、お湯を流して、またお湯を溜めて、洗剤も入れて、押し洗い。

なんとなく、お湯の色が薄くなったような気がします。

黒い耳、顔、腕、足、お腹、と、部分ごとに洗い、かれこれ30分。

「もうええやろ」と思い、またお湯を捨てて、お湯の中で押し洗い。

何度もお湯を変えて、すすいでいきます。

最後は、タオルでスヌーピーを包み、洗濯ネットに入れて、20秒程、洗濯機で脱水。

また別の角度で包んで、ネットに入れて、20秒、脱水。

そして、ぶら下げるのではなく、平らなところにタオルを敷いて、スヌーピーを大の字に寝かせて、干しました。

「今晩は、きれいなスヌーピーちゃんと、寝られるんやな」
「何言うてんの、奥の方まで乾くまで、そやなぁ、5日はかかるな」
「えぇ〜〜〜っ!」
「中途半端やったら、虫わくえ」
「オレ、寝られへんやん〜〜」
「ちょっとくらい、我慢しよし」
「オレに、寝不足になれっちゅうことか?」
「ほな、かあちゃんのスヌーピーちゃん貸したげるさかいに」
「あかんねん、あのスヌーピーちゃんでないと、あかんねん!」
「明日、学校やさかい、かあちゃん、もう寝るえ」
「うううぅぅぅぅ〜〜〜〜〜」

「夜やさかい、ちょっとだけやったらええわ」
私、根性負けです。

たかしは、嬉々としてスヌーピーちゃんを取り行き、すぐに寝てしまいました。


朝になって。

「かあちゃん、今日の天気、どうや?」
「暑いくらいらしいえ」
「ちゃうやん、スヌーピーちゃん干すねん」
「ああ、お日さん出るさかい、ちょうどええんちゃうか?」
「ほな、干しとくわ!」

たかしは、スヌーピーを、また大の字にして干し、お弁当にケチをつけ、学校に行きました。

と、思ったら、戻ってきました。

「どしたん?」
「風でな、落ちひんようにしといてや」
「・・・スヌーピーちゃんか?」
「当たり前や」
「ほいほい、わかったわかった」
「ほな、行くさかい」
「あ、鍵持ってるか?」
「それより、ちゃんと鍵閉めて、お仕事行ってや」
「・・・はい」
「ほな、いってきまーす」
「気ぃつけて、いっといないや」
・・・たかし、無言で「バイバイ」をしています。

毎週の、朝の景色です。

私も、ちゃんと鍵を閉めて、お仕事に行かないと。

こないだは、閉めるの忘れてしもて、えらい怒られたんやったな。

ほんまに、ええお天気で、スヌーピーちゃんも、ぬくぬくしたはります。

ブラシかけて、ほわほわにしよ。


















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# by marurin373 | 2016-10-20 10:12 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

2016年、10月13日で「和解」というかたちではありましたが、私が1年半かけて、やっと「離婚」が成立して、ちょうど10年経った日でした。

別居して、調停して、裁判して・・・と、実に1年半かかってしまいました。

元オットは、何故そんなにまで執着して「離婚」したくなかったのか、今ならなんとなくわかります。

「自分よりも弱い立場の者を失いたくなかった」のではないかと思います。

たかしが産まれて、一番大変な時は、全て私任せ。

私は元々慢性腎炎で、ひどい「妊娠中毒症」になり、腎臓を少しでも治す為に、薬を飲まなければならず、母乳をあげることは禁止されました。

なので、たかしは「ずっとミルク、紙おむつ」で育てることになりました。

元オットは、たかしの「うんちの処理」も、できない人でした。

もちろん、3時間置きのミルクなんて、以ての外。

一度だけ、私が38℃程の熱を出し、本当に「仕方なく」仕事を休み、たかしの面倒を見ないといけない日がありました。

今でも忘れませんが、たかしが、3時間程経ったので、泣き出しました。

私は、うつうつとしながらも「あ、ミルクの時間やな」と起きましたが、たかしに風邪をうつしてはいけないし、でも気になるし・・・と思って、元オットがミルクを作るのを待っていましたが、一向にその気配はありません。

たかしは、まだ泣いています。

堪りかねて、元オットに「なんでミルク、あげへんの?」と訊くと、元オットは寝ぼけた顔で「起きたらまず、タバコやろが!」と叫んでいたのを鮮明に覚えています。

あの日から「たかしは私1人で育てていかなあかんのやな」と、決意しました。

そろそろ首や腰が座り出し、少しづつ話し出して「面白く」なってきた頃から、元オットは、まるで「新しいオモチャ」を手に入れたかの如く、面白がっていました。

突然、大声で「たかし!」と、怒鳴り、たかしが怯えて振り向く、その顔を見ては、げらげらと笑う、ということを幾度となく繰り返していました。

だから、今でも「大人の男の人の大声」は、たかしにとっては「恐い」対象となり、トラウマになっています。

今でも、その名残があるのですが、たかしは「大人の顔色を見る子供」でした。

たかしが剣道を続けることができなかったのも「大人の男の先生」が、大声で気合いを入れて試合をしはる姿を見て「なんで、怒ったはんの?」と怯えて、いくら私が「怒ってはるんとちゃうえ」と言い聞かせても、やはり「やっぱり、恐い」と言って、辞めてしまいました。

そんな出来事がいろいろと続き、私が足の手術で入院している間にも、実に様々なことがあったようなのですが、口止めされているらしく、たかしは決して私には何も話しませんでした。

しかし、別居して「もう、とうちゃんと離れてのんびり暮らしていけるのだ」ということを理解した頃に、ポツポツと、私に「こんなことがあった」とか「あんなことがあって、イヤやった」と、話し出しました。

「児童虐待」です。


私が庇うと、余計に、たかしに辛くあたるので、庇うこともできず、私は「このままやったら、たかしは殺される」とまで思うことが何度もありました。

私のことは「足の悪いお手伝いさん」と呼び、障害者基礎年金が支払わられるとの決定通知書が届くと、あっさり仕事も辞めてしまいました。

元オットからは「自分で障害者になったんだから、俺は何にも手伝いたくない」と、きっぱりと言われ、そこには理解や援助が全くないということがわかり、たかしに対する態度も含めて、別居を決意しました。


始めは、どうせすぐ戻ってくるだろうなどと思っていたようですが、私の怒りはただならぬものがあったので、たかしを護る為にも、決して「元のサヤに収まる」などとは思いませんでした。


何故「和解」ということになったのかというと、裁判官曰く「このまま裁判を続け、慰謝料などの取り決めなどをし、裁判を長引かせることは、原告の身体の為にも、精神的なものの為にも良くないと思われるので、和解離婚とする」というものでした。

私は、たかしが22才になるまで、月に2万円の養育費を被告が支払うということが決まっただけでも、有り難く、本当に1日でも早く離婚したかったので、この判決に異論はありませんでした。


そして、たかしの人生に於ける成長の中で、最も辛く、しんどい思春期や、いじめや、登校拒否や、そして病気、高校への進路など、全て私1人が受け止めなければならず、たまには私も夜中に泣いたこともありましたが、なんとか10年という歳月が、知らぬ間に過ぎていたのです。


たかしに「あのな、今日でな、とうちゃんとかあちゃんが離婚して、ちょうど10年やねん」と言うと、たかしは、白けた顔をして「あんな人、別にいらんわ」とだけ言い、隣の部屋に行ってしまいました。

私は、もしたかしが「とうちゃんに会いたい」と言い出せば、勿論会うことに異論はありませんが、たかしは「オレ、本当に、真剣に、ああ、この人には死んでほしいて思たん、とうちゃんだけやわ」と言います。

「どうせ、いろんなとこから借金してるんやろし、相続放棄だけは、かあちゃん、頼むで」とまで言います。


元オットは、来年で60才。

きちんと働いているのなら、定年退職です。

もう、養育費も一度も支払ったこともないんやし、九州に帰って、ママと2人で暮らせばいいのに、と、私は思っています。


けど「結婚」は、して良かったと、後悔はしていません。

たかしという、宝物を授かることができたから。

ただ、私の「男を見る目」が腐ってただけやと、思っています。


・・・ほんまに、いろんなことを経験する人生です。

って、自分で言うのも、なんやけど。




















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# by marurin373 | 2016-10-15 01:24 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

「体育の日」

10月10日は、私の両親の結婚記念日でした。

1965年に結婚したのですが、1964年に「東京オリンピック」の開会式があったということで、この年から祝日となった、と聞いています。

でも、亡父は「ワシらが結婚したさかい、祝日になったんや」と、いっつも言うてました。


両親は、高校の同級生で、3年間、同じクラスでした。

しかし、亡母と亡父は、グループが違うというか、高校時代はあんまり接触はなかったそうです。

亡母に至っては、亡父のことを、あまりよく思ってなかった、と、後々こっそりと語っていました。


そして、卒業後、四条河原町で、2人は再会するのです。

亡母の父、つまり私の祖父の代から行き付けの喫茶店に行き、いろいろと話したらしいのですが、亡母は、どーしても、どーしても、亡父の名前が思い出せないのです。

そこで、亡母は、妙案を思い付き「お名刺、ちょうだい?」と言って、亡父の名前を確認し「あー、そやそや、そやった、そやった」と思い出したそうです。

当時、亡父は、五条河原町の実家に住んでいて、離れの2階を好きなように使っていました。

ホームバーを作って、友達を集め、呑んだり食べたりしていたそうです。

亡父は、婦人服に興味を持ち、服飾科卒業の亡母とまた連絡を取る約束をします。

そして、亡父は、亡母に会いたいが為に、クリスマスパーティーを開催する予定を立てます。

もちろん、離れの2階の、自慢のホームバーもある広い部屋で、他にも友達を呼んで。


しかし、亡母の父、つまり私の祖父が、12月の末に脳梗塞で倒れ、いつ亡くなってもおかしくない状態になってしまいました。

それで、亡父が、亡母に会いたいが為に、開催しようとしたクリスマスパーティーに行けなくなり、後に「別にどーでもええやつばっかり来よってん」という状況になってしまいました。

で、年を越して、1月の3日に、祖父は亡くなってしまいます。

マメな亡父は、ちょうど、49日が済んだ頃に、亡母に連絡をとり、会って慰めます。

弱っている精神状態の亡母は、京都弁で優しく慰めてくれる亡父に、いつしか頼るようになります。


そして、忌明けした後で、2人は北大路堀川にある、教会で結婚式を挙げます。

ウェディングドレスは、同じ服飾科だった友達と亡父がデザインし、製作します。

式を挙げる前には、幾度か日曜礼拝に行かなければいけません。

神父さん、と言っていたので、プロテスタントではなかったようです。

この教会で、結婚式を挙げられるのは、亡母がここの幼稚園に通っていたから。

それだけの理由なので、亡父は、日曜礼拝が退屈で仕方がない。

で、亡父は「キリストさんを、またいでん」とか「またぐらのマリア」とか、非常にくだらないことを思いながら、神父さんの、ありがたーいお話を拝聴していたそうです。


私の夢は、亡母のウエディングドレスを着て結婚式をしたい、というものでしたが、友達に貸したりしている間に、無くなってしまったそうです。

それなら、せめて、その亡父と一緒にデザインして縫製までした、亡母の同級生の方にデザインしていただいて「私だけの」ウエディングドレスを着て、バージン・ロードを歩きたい。

そう思っていました。

しかし、時の流れというのでしょうか、お願いしたのですが、その同級生の方は「私、もう、よう作れへんわ」と、あっさり断られ、知り合いのご親戚の方のドレスをリメイクして、それを着せていただいて、結婚式を挙げました。


「ハッピー・マンデー」という制度が導入され、10月10日は、必ずしも祝日ではなくなりました。

「お父さん、離婚するとか、そんなことばっかり言うてるさかいに、もう祝日やなくなったんちゃうん?」
と、私が言うと、亡父は「けっ」と、一言。

亡母にも言うてみましたが、亡母も「ふんっ」と、一言。

なんやかんやと「離婚する」とか「別居する」とか、そんなことばかり言うてた夫婦でしたが、このリアクションで、私は「やっぱり、夫婦は夫婦やねんな」と、納得しました。

彼岸でも、ケンカしてるんちゃうかなぁ。


















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# by marurin373 | 2016-10-12 11:35 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

苦言

Facebookで「過去の出来事」みたいなのがあって、それを見ていたら、私が真っ赤なメッシュを入れてる写真が出てきました。

たかしと「こんなこともあったなぁ」と言うと、たかしが突然「かあちゃんに言いたいことがあるんやけど」と、言い出しました。

「オレな、かあちゃんが、どんどん派手になっていくのが、イヤやねん」
「なんでぇな」
「ピアスやら、髪型やら、なんで親指にまで指輪してんのかわからんし、もう50のくせに、ええ加減にいてほしいねん」と。

「あのな、かあちゃんがすることにな、いちいち文句言う人は、もうみぃんな死んでしもてな、やっと解放されてん。50才がなんやねんな。これからは、好きな服着て、好きな髪型して、好きなアクセサリーつけて、したいこと全部して、生きていくことにしてん。ま、あんまりお金は使えへんけどな」

たかしは、黙っています。

やっと、口をひらきました。

「そんだけ言うんやったら、もう好きにし」

「あんたが受験落ちたら、笑われるのは私らなんえ、とか、言われたことないやろ?」
「もう、わかった。好きにして」
「それとな『〜なくせに』ていう言葉は、差別用語え。気ぃつけよし」
「もう、わかったから」

私は、両親や祖母の呪縛から、漸く解き放たれたのです。

だから、節約しながら、好きなことをして、生きていくことに決めました。













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# by marurin373 | 2016-09-26 01:06 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(3)

んもう、眠くて眠くて。

とにかく、眠いのです。

何故かといとうと、たかしの前期末の試験があったからなのです。

たかしが睡眠不足なのはわかりますが、何故に、私まで眠いのか。

たかしは、病気で中学に殆ど行っていません。

だから、基礎の数学や、英語が、まるっきりわからないのです。

なので、私が教えることになるのです。

ただでさえ、ベテランの教師をされていた先生方も、口を揃えて「自分の子供には教えられへん」と仰います。

もう25年くらい前にしていた経験など、役に立ちません。

しかし、やらなければ、高校は「留年」という、こわーいこわーい制度があるのです。


まず1日目。

倫理と、英語を教えました。

「この人は、他人さんの中学生」やと思いつつ、丁寧に教えました。

数学は「平方根」とかありましたが、ま、倫理は大学で専攻していた哲学が役に立ったのですが、たかしも眠いし私も眠い。

集中力もなくなります。

それでも、呪文のように「ルソーはフランス、ユングはスイス」と、何度も唱えたはりました。


2日目は、政治経済と、英語と、そして数学。

私は、中学生までは、どの教科も「4」か「5」でしたが、高校に入ってからの数学は、ずっと「2」でした。

幸い、たかしは、高校に入ってから新しく習った数学は、なんとかわかるらしく、難を逃れました。

政治経済も、教えたことがあるので、これもなんとかやり切りました。


3日目は、数学と生物と音楽。

私は、京都市立の、美術科の高校に行っていたので、午前中は勉強、そして午後からは実習、という3年間を過ごしてきました。

なので、私は中学以来、全く「音楽」など習ったことはありません。

生物は、何とか親子で力を合わせて、そしてウイキペディアさんにも助けてもらって、なんとかしました。

たかしの高校は、前期・後期の2学期制なので、またあともう一度、1年生を終わる頃に、この親子の地獄があるのです。

いや、2年生でも3年生でも、そして受験もあります。


取り敢えずは、前期末試験が終わったので、2人でピザを食べて「お疲れさん会」をしました。

あ、結果はまだ知りません。

たかしによると、回答は、マークシートで、一段ずれたり、二段ずれたりして、書き直している内に、制限時間の30分が過ぎてしまった教科がいくつかあったそうです。

ま、後期末試験で挽回してもらうことにします。

お疲れ様でした。















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# by marurin373 | 2016-09-14 15:44 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)