手術の日

来週の、月曜日。

13日のおやつの時間に、手術をすることに決まりました。

やっぱり痺れが取れず、どうやら神経も切れたようで。

運動をする腱は、幸い切れてないので、キーボードも打てます。

ま、ちゃっちゃっとやってもろて、日帰りで帰らせてもらいまひょか。
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# by marurin373 | 2016-06-09 09:38 | 病気のこと | Trackback | Comments(0)

発熱

3日の金曜日。

指の手術の「筈」でした。

ところが、前日から酷くお腹を壊し、殆ど眠れず、朝、熱っぽいなぁと思っていたら、熱が37.7度ありました。

病院に電話して、症状を告げると「取り敢えず今日は手術はしないで、月曜日にまた外来に来てください。11時30分に予約を取っておきます」とのことでした。

月曜日は、14時から呼吸器内科に行く予定です。

どうやら1日中、病院にいてることになりそうです。

痛みはないのですが、まだ痺れています。

やっぱり、神経も切れたんやろか?
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# by marurin373 | 2016-06-05 02:28 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

昭和の香り

「かあちゃん、その寝巻き、涼しそうやなぁ」

え?

たかし、今「寝巻き」て言うた?

我が家では、今でも「パスタ」ではなく「スパゲッティ」です。

絶対に、たかしは亡父の生まれ変わりやと、確信した夜でした。
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# by marurin373 | 2016-05-31 02:42 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(0)

神経

右手の薬指と小指の間を、ざっくりと切ってから、1週間が経ち、診察に行ってきました。

2人の先生が診てくれはったのですが。

薬指の、外側を触らはる感触と、内側を触らはる感触が、違うのです。

外側は、しっかりと「触られている」と、わかります。

でも、内側は、ぼんやりとしてて、痺れた感じがしているまんまなのです。

2人の先生の所見では「多分、神経も切れている」でした。

もう一度、縫ったところをほどいて、もっと切って、神経の様子を診て、途切れた神経を繋ぎ直すそうです。

動かすような箇所ではないので、キーボードを打つことはできますが、今も薬指は痺れたまんまです。

また1週間後の金曜日の昼から、手術です。

そして次の6日の月曜日に、また術後の経過を診はるそうです。

今度の30日も病院なので、もうキャンセルして、同じ6日に変えてもらうことにします。

病院の日は、1日かかることが多いので、仕事もできません。

たかしのコップを洗う時に、ゴム手袋越しに傷口があたります。

ちょっと恐いので、たかしのコップは、たかしに洗ってもらうように言っているのですが、なかなか洗ってはくれません。

ま、ご飯の後片付けは全部してくれるので、助かっています。


お医者さんが、傷口を診て「かなり動かしたんやな」と言わはりました。

縫い目から糸が引っ張られて抜けていたそうです。

自分でも見てみましたが、確かに、糸が宙に浮いて、小指の傷のところには穴だけ空いています。

いろんなところに麻酔を打ってきたので、手の甲の麻酔も大したことはないだろう、とタカをくくっています。
そんなこと言うて、やっぱり痛かったりするのですが。

手術の前の日は、湯船に浸かるのはダメですが、暫くシャワーもダメなので、ちゃんと頭も洗ってくるように、と言われました。

もう早くしてほしいです。

もっと暑い日が続くと、膿んだりするかもしれんので・・・。

たかしは、傷口を絶対に見ようとはしません。

「ほれ」と見せると「きゃー!」と言って、逃げはります。

お尻の辺りが、ぞわぞわとするそうで。

私のおばあちゃんも、痛い話をすると「おいどのあたりがぞわぞわするさかい、やめて」と言うてました。

こんなところにまで遺伝してるとは。

おもしろいものです。
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# by marurin373 | 2016-05-28 20:02 | 病気のこと | Trackback | Comments(2)

ライナスのブランケット

たかしが生まれた時、従姉妹からスヌーピーのぬいぐるみをもらいました。

そのスヌーピーは、くたくたで、ふにゃふにゃしてます。

当時幼稚園の先生をしていた従姉妹は「そのスヌーピー抱いた子は、絶対に離さへんねん」とのことでした。

たかしも物心ついた頃から、このスヌーピーを、もう大変気に入り、ベビーベットで一緒に寝ていました。


それから、2〜3年経って、たかしの「ブランケット」が変わりました。

プーさんの絵の描いた毛布の「おふとんぷーちゃん」と、赤ちゃんのプーさんのぬいぐるみの「あかちゃんぷーちゃん」がセットになって、たかしは片時も離さないようになりました。

保育園に行っている時は、もちろん持って行きませんが、帰ってくると真っ先に、この「おふとんぷーちゃん」と「あかちゃんぷーちゃん」を探し、抱きしめていました。

「おふとんぷーちゃん」が汚れてきたので、洗濯をしようものなら、たかしは激怒し「もう、ぜったいにおせんたく、せんといて!」と言っていました。

まぁ、独特の匂いとか、肌触りが違ってくるのかもしれません。

無理やり取り上げることはよくないので、そのまま、たかしは「おふとんぷーちゃん」と「あかちゃんぷーちゃん」を、毎日抱きしめて、一緒に寝ていました。

元オットが、たかしを「布団蒸し」をして、大泣きした後は、必ずこの2つを抱いて、泣いていました。


暫くして、小学校に入学する頃になると、だんだんと離れていきましたが、寝る時は一緒でした。

風邪をひいたり、悲しいことがあったり、いじめられたりした時は、この2つを抱きしめていました。


そして、今なんですが、なんと再びたかしは「くたくたスヌーピー」と寝たはります。

なんでも、抱きしめると、ものすごく癒されるそうで。

なんでもない時に抱きしめると「ほわっと」癒され、眠くなるそうです。

中学1年生の時に、EBウィルスに感染し、入院した時は、本当に困りました。

まさか、スヌーピーは、持っていけない。
恥ずかしいから。

で、ぬいぐるみのような生地でできた、サッカーボールの絵柄のクッションを代わりに持って行っていたのですが、熟睡はできなかったそうです。


高校受験の日。

私よりも先に靴を履いて、外で待っていたのに、急に「ちょっと待ってて」と言い、再び家の中に入っていくので、私も靴を履いて待っていたら、あまりにも緊張しているので、スヌーピーを抱きしめてきたそうです。


今夜も、スヌーピーを抱きしめて、寝たはります。
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# by marurin373 | 2016-05-26 03:53 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(0)

6

金曜日の夜中、コップを洗っていました。

そしたら「ぐりっ」としたところで、右手の薬指と小指の間が切れました。

取り敢えず止血をしたのですが、ぴゅーっと出た血が、なかなか止まらなくて、めまいと吐き気がしてきました。

傷口を見てみたら、絆創膏のレベルではない。

で、立てなくなってきたので、たかしを呼んで、救急車をお願いしました。

たかしは、なんか着替えたはります。

私は部屋着のまんま。

着替えている余裕などなく、とにかく血が止まらないので、たかしが電話した時に「清潔なタオルで傷口を圧迫しておいてください」と言われたので、とにかく、綺麗なタオルで押さえて救急車を待ちました。

その時には、もう立てなくなっていたので、たかしと救急の方に支えられ、ストレッチャーで運んでもらいました。

熱を計ってもらったら、37.3℃ありました。

で、行きつけの総合病院をお願いしたら、受け入れてもらえるとのことで、救急車でピーポーピーポーと、病院へ。

たかしは私の足元に座っていたのですが、ずっと足をさすってくれていました。

とんでもない速さで病院に着き、私は、治療室に運ばれ、たかしは待合室で待機です。

看護師さんが「もう血は止まってる」と言わはったので、トイレに行きたい旨を告げると「いいよー」とのことだったので、トイレに行ったのですが、また血が出てきて、トイレの床が血だらけになってしまいました。

漸くお医者さんが現れ、一目見て「縫わなあかんな」ということで、縫ってもらうことになりました。

たぶん、たかしが心配していると思ったので、看護師さんに「待合室にいる、息子にどんな処置をするかの説明はお願いできませんか?」と言ってみましたが「後で一緒に説明するから」と言われて、傷口に麻酔が打たれました。

先生は「痛いよ〜」と言わはったのですが、看護師さんが「こんだけピアスあけてるんやし、痛いのには平気やんな」と言われました。

麻酔はよく効き、感触はありますが、痛みはありません。

かなり、ちくちくと縫うたはりました。

なんか血を拭き取りつつなので、大変やったそうです。


で、やっと縫合手術はおしまい。

私はベットの上に座る時、くらくらしていました。

たかしと2人で説明してもらったのですが、6針縫ったそうです。

で、月曜日の午前中に来てくださいと言われたのですが、麻酔が切れてきて、痛みがじんじんしてきて、眠れません。

痛み止めの薬と、眠剤を1錠増やして、やっと寝ることができました。


そして、肝心の月曜日。

起きたのが、お昼の2時半でした。

病院に電話したのですが、午後は手術だそうで、取り合ってもらえず「また明日、午前中に来てください」と言われました。

今も疼いて痛いし、痛み止めを飲んだらお腹を壊すし、ちっとも眠れません。

今夜はこのまま起きてて、病院に行くことにします。

頭も洗えないし、困っています。

ま、明日、いや今日、とにかく病院に行ってきます。
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# by marurin373 | 2016-05-24 04:14 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

74

今日は、亡母の誕生日でした。

祥月命日よりも、誕生日の方が、何故か思い出してしまいます。

あのまま生きていたら、母は74才になっていました。

「死んだ親の年を数える」なんて、ちょっとアホらしいなぁと思いつつ、おロウソクとお線香と、お茶をお供えして「たかしを守ってください」と唱えました。

守ってやってや、ほんまに。
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# by marurin373 | 2016-05-17 08:00 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

お寿司

先日、たかしの高校の保護者会・茶話会があり、1年生の保護者としては、やはり参加すべきかと思い、行ってきました。

まず、受け付けをして名札をもらったところで、ペットボトルのお茶をいただきました。

この高校は、説明会の時も面接の時も、ペットボトルのお茶を配らはります。


で、まず1年生だけの保護者会があり、その後全体での保護者会があり、その後「茶話会」が。

人見知りの私は、できたら行きたくなかったのですが、それよりも「茶話会」というものがどんなものかという興味もあり、参加しました。

まず、コーヒー・紅茶・ジュースが、飲み放題。

机の上には、大皿に盛られたお菓子。

そして、何種類かの1ピースのケーキ。

並んで紙のお皿にもらい、席につきます。

たかしが「LINEの交換した」と言っていたお友達のお母さんと話すことができ、よかったです。

で、喋っているのを遮られ、クイズ大会。

商品は5等まであります。

そしてそして、最後に出てきたのは、桶に入った握寿司!

1人あたり三巻は食べることができました。

私も無難な鉄火巻きと、残ってた甘エビの握りと、サーモンの握りをよばれました。

う〜ん、流石は私立・・・。

出てくる「もの」が違います。

この、茶話会の経費を抑えて、学費を安くしてもらいたいと思ったのは、私だけでしょうか。

親御さん達の服装は、シフォンのブラウスに膝丈のツイードのスカート、て感じの人が多かったです。

私はダンガリーのシャツに、黒のパンツで行ったのですが、行く前から、たかしの「服装チェック」が厳しく、メガネまでいろいろ言われたので、大変でした。

その後は「遅刻するから、早よ行って」と言われ、受け付けの40分も前に着いてしまいました。

「キャンパス長」なる先生に、しっかりと覚えられていて、たかしは最近、顔色が良くなってきていると聞きました。

少しづつではありますが、学校にも家での勉強にも慣れてきて、いいことです。

私は、まだ早起きしてのお弁当作りには慣れていません。

ま、私も週に1日のお弁当作りを頑張るので、たかしには、なんとか頑張ってもらいたいものです。
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# by marurin373 | 2016-05-16 18:48 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

SNS

日常の、ほんのひとかけらを写真に撮って、投稿。

でも、他の人たちには、それが「ほんのひとかけら」だとは思わずに「日常全部」と受け取られてしまうようです。

「見えない部分」まで、あたかも「見える」部分のようにしていると、思われてしまう。

とっても、恐いことです。

確かに、誕生日や、たかしが中学を卒業したり、高校に合格して「おめでとうコメント」をもらうと、嬉しいものです。

が、しかし。



こんなことを、たかしに言うてたら
「そらな、見えへんことまで、そうやろうと思う人もたくさんいてはると思うよ。でもな、それを承知でやってるんちゃうの?」
と、言われました。

「中途半端に投稿するから、誤解されるねん。いくら、20年前の服着てても、かあちゃんは選ぶもんが、いちいち派手やから、そら節約してますていうても、信じてもらえへんわ。その指輪、ピアス、髪型、メガネ、帽子、それに服。そら派手な生活してるて思われても、しゃーないわ」

・・・たかしの言う通りです。

「しかも、かあちゃん、タバコ吸うやろ?いくらお酒止めたていうても、タバコ吸うてるやんて突っ込まれたら、何も言えへんな」

・・・痛いとこ突いてくる、たかし。

「せめて、タバコくらいは、吸わせてーな。本数も、かなり減らしてるし」
「ま、わかるけど、それ言われた時の言い訳でも考えとき」

あんたは、世帯主さんですか?

「誤解してる人に、ひとりひとりに生活の実態、メッセージでも送ったら?」
「そんなん、大変やん」
「ちゃんとして、生活してますって、言いたいんやろ?」
「うん」
「ほら、やっぱり、説明せなあかんわ」
「・・・かあちゃん、もうインスタもFacebookも、辞める」
「そんなことしたら、余計に心配してくれたはる人らに、心配かけるだけやで」
「そうやなぁ・・・仕事でも使こてるしなぁ」
「もう、投稿せーへんかったらええねん」
「ん、そうする」


SNSは、恐い。
やっと、気付くことができました。

そうやん。
私には、このブログがあるんやし。
ここに書いていったらええんやん。

と、いうことで、もうインスタもFacebookにも、投稿はしません。
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# by marurin373 | 2016-05-11 12:13 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(2)

ひとむかし

今日、○ちゃんが虹の橋のたもとに行ってから、10年が経ちます。

もうそんなに経つのか、というのが正直な気持ちです。

○ちゃんの耳の匂い、ふかふかの背中、そして私が泣いている時には肩に手をかけて、涙をなめて慰めてくれた、○ちゃん。

今も私の愛犬は、○ちゃんです。

あれほどの癒しを、私はまだ知りません。


先日、引き出しを整理していたら、○ちゃんの写真がいっぱい出てきました。

暫し手を止めて、懐かしい・・・というよりは、悲しく、淋しい思いで、写真を見ていました。

私が、いつか虹の橋を渡る時、きっとまた出会えると信じています。

○ちゃんに対しては「ありがとう」という言葉しか、ありません。


○ちゃん、ありがとう。

私は、たかしを一人前にするまで、精一杯頑張るしな。

どうか、見守っていてください。

今も、○ちゃんのこと、大好きです。
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# by marurin373 | 2016-05-02 08:44 | ○わんわん | Trackback | Comments(0)

34人

たかしが、無事入学式を迎えました。

本当は、前日にリハーサルがあったのですが、警報が出ていた為、中止になり、入学式の当日の朝、お弁当を持って登校することに。

まさか入学式からお弁当を作ることになるとは思いもよりませんでした。

たかしはスーツ姿でお弁当を持って、登校。

詰め襟の卒業式から、まだ1ヶ月も経ってないのに、スーツを着て私の亡父が締めていたネクタイを締めて出かける姿を見ると、急に少年から青年になったようです。

私は午前中は仕事に行き、午後からは入学式です。

受け付けをしていると、すっと横にたかしが。

「どしたん?」
「写真、撮るねんて」
「ふ〜ん」

と、並んでいると、たかしの胸に赤いリボンが付けられました。

「今日は、写真は撮らへん」などと言っていましたが、学校側から強制的にツーショットの写真を撮ってもらえました。


30分前くらいに着いたのですが、いつまで経っても親御さんが来られない生徒さんは、不安そうに後ろを見て、親御さんを待ってはります。

なかなかいらっしゃらない親御さんもいてらして、そんな生徒さんを見ていると、なんだか切なくなりました。


漸く、入学式が始まりました。

司会・進行は、在校生の生徒さんが進めていかはります。

一通り、入学式が進んでいって、もうそろそろ終わりかな、と思ったところで、新入生に一輪のカーネーションが配られました。

「今まで育てていただいた保護者の方々へ、お礼のお花とお手紙をお渡しします」と、お花と手紙を持った、たかしが近付いてきます。

「ん」
「ありがとう」

そんなやりとりがあり、手紙をこっそり見てみましたが、流石たかしさん、ろくなことは書いたはりません。

でも、これでまたひとつ、宝物が増えました。

なんかあったら「こんな手紙書いたん、誰?」と脅すことができます。

新入生は、34人。

小さな高校です。

ここで、たかしの高校生活が始まります。

身体を治して、なんとか3年で卒業してほしいと、切に願うばかりです。

かあちゃんも頑張るさかいにな。
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# by marurin373 | 2016-04-11 07:33 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

「ぬ」

「かあちゃんぬ」

どうやら、たかしが私を呼んでいるようです。

でも、少し違和感が。

「かあちゃんぬってば」

「何?」
「あのな、かあちゃんぬって言うたらな、なんかフランス語みたいで、かっこいいやろ?」
「そうか?」

たかしは、その「フランス語みたいな呼び方」が、いたく気に入ったそうで、暫く「かあちゃんぬ」と呼んでいました。

しかし、どうも飽きたのか、いつしか普通に「かあちゃん」と呼ぶようになりました。


「かあちゃんぬ」

・・・またです。

「何? フランス語っぽい呼び方か?」
「違うねん。なんかな、かあちゃんぬって言うたらな、イタリア語みたいやなって、気付いてん」
「こないだはフランス語っぽいて言うてたやん」
「ちゃうねん、イタリア語やねん」

そして、また暫く「かあちゃんぬ」と呼ばれていました。

「かあちゃんぬ」
「たかしぬ」
「それ、気色悪いなぁ」
「そやろ?」
「全然イタリア語っぽくないし」
「ずっとそう思ててん」
「かあちゃんぬは、イタリア語っぽいと思うねんけどなぁ」
「そうかなあ」
「ま、ええわ」

「イタリア語問題」は、あえなく終わり、また暫く「かあちゃんぬ」と呼ばれていましたが、また飽きたようで。

「最近、かあちゃんぬって呼ばへんようになったな」
「あ、忘れてた」

フランス語もイタリア語でもない、かあちゃんぬという呼び方は、全くしなくなりました。

飽きたのか、忘れてたのか。

そんなもんです。
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# by marurin373 | 2016-03-29 02:39 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(0)

彼岸

「かあちゃん、かあちゃん、どした?」

たかしに、起こされました。

「かあちゃん、寝ながら泣いてたで」

確かに、涙が。

亡弟の夢を、見ていました。

弟が、すぐそこに立ってるから、近づこうとすると、遠ざかって行って、その距離が全然縮まらなくて、だんだん顔が見えなくなってしまう・・・そんな夢でした。

そういや、そろそろお彼岸。

「墓参りに来い」と、告げに現れたのでしょうか?

お天気が悪そうやし、休日を避けて、お墓参りに帰洛しようかなぁ。
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# by marurin373 | 2016-03-18 02:33 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

校長室

10日、たかしが、無事、中学校を卒業しました。

たかしは、持病の為、午前中は、5分以上立ってること、立ったり座ったりを繰り返すことなどが禁止されていて、めまいがしたり、ひどい時には失神するので、全校生徒の集まる卒業式に参加することができませんでした。

私も諦めて、せめて最後の詰め襟姿を庭で写真を撮っておこうと思っていたら、前の日の夕方に、担任の先生がウチに来られて「明日、2時から卒業式をするので、お母さんも来て下さい」と言いに来てくれはりました。

私もたかしも驚いたのですが、もう一人、午後から参加する生徒さんがいらっしゃるとのことで、2人してお昼ご飯を食べてから、そわそわしていました。

1時半くらいに、担任の先生から電話があり「今日、来れますか?」と確認の電話がありました。

「もちろん、寄せていただきますので、よろしくお願いいたします」と答え、私もジャケットにチェックのパンツの、割とラフな格好で用意をしていました。

たかしは「なんかお腹痛い」と、何度もトイレに行っています。

珍しく「痛み止め、ちょうだい」と言うので、胃腸薬を飲ませて、学校に行きました。


門には、まだ「卒業証書授与式」の看板が出ています。

先生は、もう片付けたって言うたはって、仕方ないなぁと思っていたのに・・・と思いつつ、職員室に。

たかしに、先生が「名札を外して、これ付けて」と、花のブローチを渡してくれはりました。


そして、私とたかしは、校長室に通されました。

もうひとりの生徒さんは、卒業式にギリギリで間に合ったそうでした。


椅子が2つ並べてあって、たかしと私が座るようにと促されました。

見ると、もう卒業式は何時間も前に終わっているのにもかかわらず、どの先生も正装のまんま、胸には花のブローチを付けたはります。

私達2人を囲むように、すべての先生方が立っていらっしゃいます。

そして、教頭先生が
「第67回卒業証書授与式を始めます」とおっしゃいました。

本来ならば、立って礼をしなければいけないのですが、先生方が「座ったままでいいよ」とおっしゃって、私達は座ったまま、たかしだけの「卒業式」を迎えました。

そして、校長先生が、たかしに卒業証書を渡してくださり、たかしだけにお言葉をいただきました。

「君は、他の生徒達とは、全く違う、3年間を過ごしてきました。でも、無駄な時間は、一秒もなかったと信じています。思うこと、考えること、そのすべてが、きっと、君を立派な大人にしてくれることと、私は信じています」と。

私は、もう、ずっと泣きっぱなしです。

思春期と、病気と、共に戦って、漸くこの日を迎えることができました。

病気だとわからなかった頃は、ずいぶんひどいことも言いました。

でも、本当に、よくここまで大きく育ってくれました。

誰にも頼れず、私1人で悩んでいたこともたくさんあります。

相談に乗っていただいても、なんか違うと感じたり、正直にお金がなかったり、たかしは病気で修学旅行にも行けませんでした。

でも、他の生徒さん達が思わなかったこと、自分の病気のことや将来への不安、そしてたった1人の親である私が障害者であるということ、身寄りもないこと、その様々なことに対して、思春期のたかしは、何かを感じ、何かを考えていたと思います。

そして、校歌。

クラスの生徒さん達が「一緒に歌えるように」と、テープに録音しておいてくれはったのです。

「たかしくんも、一緒に歌ってください!」という、生徒さんの言葉の後で、生徒さんもテープで、校長室にいらっしゃる先生方も、大きな声で校歌を歌ってくださいました。

私は、もう恥ずかしいくらいに泣いていました。

そのあと、担任の先生が
「私のクラスで、自分の将来を考え、一番最初に進路が決まった、誇らしい生徒です」とおっしゃってくださいました。

もう、私は耐え切れず、声をあげて泣いていました。

最後に教頭先生が
「これで第67回卒業証書授与式を終わります」とおっしゃって、たかしの「卒業式」は、終わりました。

校長室の先生方が、皆さん、拍手と「おめでとう」と大きな声で、たかしを祝福してくださいました。

私は、もう立って、ぐるぐる回りながら「ありがとうございました、ありがとうございました」と、お礼を述べていました。

2年生の時の担任の先生が、たかしを呼び止めて「本当に、おめでとう」とおっしゃってくださいました。

「正直、僕はなんの力にもなれなかったと反省してて、だから、たかしくんのことは、もし僕が先生を辞めたとしても、忘れないと思うよ」と言ってくださいました。

この26才の若い男の先生は、毎日家に来てくださって、たかしはしんどくて寝ていて、なんとか起きてくるのを待っている間、私といろんな話をして、反対に相談に乗ったり、私の進路で悩んだことや、先生のことも、たくさんお話した先生でした。

「絶対に、写真は撮らへん」と言っていたのに、門のところに来ると
「かあちゃん、写真、撮るんやろ?」と言い出しました。

担任の先生が、わざわざ看板を出しておいてくださったということを聞いて、たかしも考えが変わったようでした。

お腹が痛くて、変な顔をしていますが、ちゃんと写真を撮ることができました。

担任の先生に「お母さんも一緒に撮らなあきませんやん」と言われ、たかしとのツーショット写真を撮っていただきました。

「3月の31日までは、まだ本校の生徒やから、またなんかあったらいつでも言いに来てください」と言ってもらい、帰ってきました。

こんな「卒業式」は、もう絶対に忘れることはないと思います。

たかしも、きっと忘れないと思います。

卒業アルバムを2人で見てたら、ちゃんとたかしも写っていました。

そして、紅いのが3つと白いのが2つ入った紅白まんじゅうを2つづつ食べて、一息ついて、そのあとは私だけ、たかしの病院に行って、これからのことを相談に行きました。

玄関で靴を履いていたら、たかしが「これ、先生に渡しといて」と、1つ残っていた白いおまんじゅうを渡されました。

「こんなん、どこにいれるん」
「ポケット」
「つぶれるやん」

とかいうてる間に、約束の時間が迫ってきたので、急いで六甲アイランドまで行きました。

先生に「たかしが、先生に渡しといてと言って、持たされました」と、少しつぶれたおまんじゅうを渡すと、先生も涙ぐんで「いやぁ、嬉しいわぁ、大事においときたいけど・・・後で、ゆっくり、いただきます」と言うたはりました。

他の病院に移るのではなく、当分は小児科と循環器科で連携して、診ていただくことになりました。


私も少し疲れて、帰ってきて、いつも行く駅ナカの喫茶店に行ったのですが、タバコケースがないのです。

あの中には、大事な亡父の形見のライターが入っているのです。

落ち込んで家に帰り、いろいろと電話をして問い合わせましたが見つからず、その晩は眠れませんでした。

次の朝、また立ち寄ったところに電話をして、落ち込んでいたら「ありました」という電話がかかってきました。

たかしに「喜んで取りに行って、自転車で転けたりせんように、気ぃ付けて行きや〜」と言われ、住吉まで取りに行きました。

昨日は卒業式のことやら、中学生活のことやら考えてて、忘れたんやもん。

長かったような、短かったような、3年間でした。


4月からは、たかしも高校生です。

私は本当に白髪が増えました。
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# by marurin373 | 2016-03-12 03:32 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(4)

おとうさん

昨日の19日は、父の祥月命日でした。

父と母は、高校の同級生で、23才で結婚し24才で私が産まれました。

なので、父は、結婚してからが「遊び盛り」だったと、自分で笑っていました。

本当に秒毎に気分が変わるし、自分の立てた旅行の計画が3分もずれたら怒鳴るし、殴るし、私は父が大嫌いでした。

中学に入り、通知簿の評価が「1」下がると一発、殴られるのです。

でも、上がった時は、何にもありません。

「2」下がって「3」上がった時、私は「上がったことには変わりはないし」と喜んでいましたが、父は「下がったことに変わりはない」と、やはり2発殴るのです。

母も祖母も助けてはくれず、中学生の頃から「一人暮らしをしたい」と、家を出ることばかり考えていました。

大学生になって、お昼は9時から5時まで働いて、夜は大学に行き、一回生の時に貯金をして、19才になった私は、2回生になって、やっと一人暮らしを始めるのですが、本当に解放された気分で、それはそれは嬉しかったのでした。

事実、生活は厳しくて、学費も生活費も家賃も自分で賄わなければいけないので、しんどい時期でしたが、それでも、辛いとは思いませんでした。

暫く、父とは離れた生活をしていたのですが、私が腎炎になってしまい、実家に呼び戻されてしまいました。

父は家で仕事をしているので、私は「1人になる」場所を失ってしまいました。

怒鳴られても、逃げられない。

しかし、その頃一人暮らしをしていた弟が職を失い、どうしようもなくなったので、父に「あいつの面倒を見てやらなあかんさかい、お前は出て行け」と言われ、私は喜んでまた一人暮らしを始めました。

しかし、弟が自死し、父は家で1人でいることができない精神状態になってしまい、朝からお酒を呑んで、絶えず身体の中にアルコールが入っているようになり、とうとう半年後に入院してしまいました。

お見舞いに行くと、手振りで「何かつまむものを持って来てくれ」と頼んだり、病院の玄関の近くにある自動販売機でこっそり飲む「いちご牛乳がおいしい」とか、今までの父とは思えない人になっていました。

しかし、人工透析をするようになり、摂取する水分を極端に制限され、父は非常につらい思いをしていました。

何度か危篤状態になり、隣のベットのおじさんが看護師さんを呼んでくれはる、ということが2度ほどあり、父は個室に入ることになりました。

そして、父は、いつも誰かがいるようにしていたのにも関わらず、母も私も伯父も、誰もいない時に、1人で亡くなり、巡回の看護師さんに変わり果てた姿で発見されました。

すぐに連絡が来て病院に駆けつけましたが、院長先生が心臓マッサージをしてはり、直接心臓に長い長い針で直接注射をしたり、電気ショックをしたり、手を尽くしてくれはりましたが、父は、もう戻ってはきませんでした。

その時の父は、まだ55才でした。

父の晩年は、穏やかな性格になり、私のことを名前で、しかも「ちゃん」付けで呼んだり、人工透析をすることが決まった時は、身体障害者1級になったので「あのな、ワシ、1級やさかい、これ以上悪うなったら、初段になるねん」と冗談を言っていました。

 
私は、この世の中で、父のことが一番大嫌いで、一番大好きでした。

殴られても、それでもグレたりできなかったのは、多分「お父さんに好かれたい」と思っていたからだと思います。

父が亡くなった日のお昼、院長先生に
「ワシの夢は、孫抱くことですねん」と言っていたと、聞きました。

私が腎炎のために「妊娠・出産は諦めてください」とお医者さんに言われていたのにも関わらず、たかしを妊娠し、ひどい妊娠中毒になりながらも産んだのは、そんな父の言葉を聞いていたからです。

産まれたばかりのたかしを見て、祖母は、父の名前を呼びました。

それほどまでに、体格や大きさや顔つきが、父に似ていたそうです。

私は、また、父に会うことができたのかもしれません。


両親は同じ誕生月で、同じ月に亡くなっています。

2人共、絶えず「離婚する」と言い続けていましたが、結局、離婚することなく、一緒のお墓に入っています。

どうしても途切れない「縁」があったのかもしれません。

父が亡くなって、もう18年。

私も同じく、年をとりました。

たかしが、笑う時に片方の頬だけで「にやり」とする顔は、まるで父です。

こんなところに、お父さんがいてました。
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# by marurin373 | 2016-02-20 23:43 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)