彼岸

「かあちゃん、かあちゃん、どした?」

たかしに、起こされました。

「かあちゃん、寝ながら泣いてたで」

確かに、涙が。

亡弟の夢を、見ていました。

弟が、すぐそこに立ってるから、近づこうとすると、遠ざかって行って、その距離が全然縮まらなくて、だんだん顔が見えなくなってしまう・・・そんな夢でした。

そういや、そろそろお彼岸。

「墓参りに来い」と、告げに現れたのでしょうか?

お天気が悪そうやし、休日を避けて、お墓参りに帰洛しようかなぁ。
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# by marurin373 | 2016-03-18 02:33 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

校長室

10日、たかしが、無事、中学校を卒業しました。

たかしは、持病の為、午前中は、5分以上立ってること、立ったり座ったりを繰り返すことなどが禁止されていて、めまいがしたり、ひどい時には失神するので、全校生徒の集まる卒業式に参加することができませんでした。

私も諦めて、せめて最後の詰め襟姿を庭で写真を撮っておこうと思っていたら、前の日の夕方に、担任の先生がウチに来られて「明日、2時から卒業式をするので、お母さんも来て下さい」と言いに来てくれはりました。

私もたかしも驚いたのですが、もう一人、午後から参加する生徒さんがいらっしゃるとのことで、2人してお昼ご飯を食べてから、そわそわしていました。

1時半くらいに、担任の先生から電話があり「今日、来れますか?」と確認の電話がありました。

「もちろん、寄せていただきますので、よろしくお願いいたします」と答え、私もジャケットにチェックのパンツの、割とラフな格好で用意をしていました。

たかしは「なんかお腹痛い」と、何度もトイレに行っています。

珍しく「痛み止め、ちょうだい」と言うので、胃腸薬を飲ませて、学校に行きました。


門には、まだ「卒業証書授与式」の看板が出ています。

先生は、もう片付けたって言うたはって、仕方ないなぁと思っていたのに・・・と思いつつ、職員室に。

たかしに、先生が「名札を外して、これ付けて」と、花のブローチを渡してくれはりました。


そして、私とたかしは、校長室に通されました。

もうひとりの生徒さんは、卒業式にギリギリで間に合ったそうでした。


椅子が2つ並べてあって、たかしと私が座るようにと促されました。

見ると、もう卒業式は何時間も前に終わっているのにもかかわらず、どの先生も正装のまんま、胸には花のブローチを付けたはります。

私達2人を囲むように、すべての先生方が立っていらっしゃいます。

そして、教頭先生が
「第67回卒業証書授与式を始めます」とおっしゃいました。

本来ならば、立って礼をしなければいけないのですが、先生方が「座ったままでいいよ」とおっしゃって、私達は座ったまま、たかしだけの「卒業式」を迎えました。

そして、校長先生が、たかしに卒業証書を渡してくださり、たかしだけにお言葉をいただきました。

「君は、他の生徒達とは、全く違う、3年間を過ごしてきました。でも、無駄な時間は、一秒もなかったと信じています。思うこと、考えること、そのすべてが、きっと、君を立派な大人にしてくれることと、私は信じています」と。

私は、もう、ずっと泣きっぱなしです。

思春期と、病気と、共に戦って、漸くこの日を迎えることができました。

病気だとわからなかった頃は、ずいぶんひどいことも言いました。

でも、本当に、よくここまで大きく育ってくれました。

誰にも頼れず、私1人で悩んでいたこともたくさんあります。

相談に乗っていただいても、なんか違うと感じたり、正直にお金がなかったり、たかしは病気で修学旅行にも行けませんでした。

でも、他の生徒さん達が思わなかったこと、自分の病気のことや将来への不安、そしてたった1人の親である私が障害者であるということ、身寄りもないこと、その様々なことに対して、思春期のたかしは、何かを感じ、何かを考えていたと思います。

そして、校歌。

クラスの生徒さん達が「一緒に歌えるように」と、テープに録音しておいてくれはったのです。

「たかしくんも、一緒に歌ってください!」という、生徒さんの言葉の後で、生徒さんもテープで、校長室にいらっしゃる先生方も、大きな声で校歌を歌ってくださいました。

私は、もう恥ずかしいくらいに泣いていました。

そのあと、担任の先生が
「私のクラスで、自分の将来を考え、一番最初に進路が決まった、誇らしい生徒です」とおっしゃってくださいました。

もう、私は耐え切れず、声をあげて泣いていました。

最後に教頭先生が
「これで第67回卒業証書授与式を終わります」とおっしゃって、たかしの「卒業式」は、終わりました。

校長室の先生方が、皆さん、拍手と「おめでとう」と大きな声で、たかしを祝福してくださいました。

私は、もう立って、ぐるぐる回りながら「ありがとうございました、ありがとうございました」と、お礼を述べていました。

2年生の時の担任の先生が、たかしを呼び止めて「本当に、おめでとう」とおっしゃってくださいました。

「正直、僕はなんの力にもなれなかったと反省してて、だから、たかしくんのことは、もし僕が先生を辞めたとしても、忘れないと思うよ」と言ってくださいました。

この26才の若い男の先生は、毎日家に来てくださって、たかしはしんどくて寝ていて、なんとか起きてくるのを待っている間、私といろんな話をして、反対に相談に乗ったり、私の進路で悩んだことや、先生のことも、たくさんお話した先生でした。

「絶対に、写真は撮らへん」と言っていたのに、門のところに来ると
「かあちゃん、写真、撮るんやろ?」と言い出しました。

担任の先生が、わざわざ看板を出しておいてくださったということを聞いて、たかしも考えが変わったようでした。

お腹が痛くて、変な顔をしていますが、ちゃんと写真を撮ることができました。

担任の先生に「お母さんも一緒に撮らなあきませんやん」と言われ、たかしとのツーショット写真を撮っていただきました。

「3月の31日までは、まだ本校の生徒やから、またなんかあったらいつでも言いに来てください」と言ってもらい、帰ってきました。

こんな「卒業式」は、もう絶対に忘れることはないと思います。

たかしも、きっと忘れないと思います。

卒業アルバムを2人で見てたら、ちゃんとたかしも写っていました。

そして、紅いのが3つと白いのが2つ入った紅白まんじゅうを2つづつ食べて、一息ついて、そのあとは私だけ、たかしの病院に行って、これからのことを相談に行きました。

玄関で靴を履いていたら、たかしが「これ、先生に渡しといて」と、1つ残っていた白いおまんじゅうを渡されました。

「こんなん、どこにいれるん」
「ポケット」
「つぶれるやん」

とかいうてる間に、約束の時間が迫ってきたので、急いで六甲アイランドまで行きました。

先生に「たかしが、先生に渡しといてと言って、持たされました」と、少しつぶれたおまんじゅうを渡すと、先生も涙ぐんで「いやぁ、嬉しいわぁ、大事においときたいけど・・・後で、ゆっくり、いただきます」と言うたはりました。

他の病院に移るのではなく、当分は小児科と循環器科で連携して、診ていただくことになりました。


私も少し疲れて、帰ってきて、いつも行く駅ナカの喫茶店に行ったのですが、タバコケースがないのです。

あの中には、大事な亡父の形見のライターが入っているのです。

落ち込んで家に帰り、いろいろと電話をして問い合わせましたが見つからず、その晩は眠れませんでした。

次の朝、また立ち寄ったところに電話をして、落ち込んでいたら「ありました」という電話がかかってきました。

たかしに「喜んで取りに行って、自転車で転けたりせんように、気ぃ付けて行きや〜」と言われ、住吉まで取りに行きました。

昨日は卒業式のことやら、中学生活のことやら考えてて、忘れたんやもん。

長かったような、短かったような、3年間でした。


4月からは、たかしも高校生です。

私は本当に白髪が増えました。
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# by marurin373 | 2016-03-12 03:32 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(4)

おとうさん

昨日の19日は、父の祥月命日でした。

父と母は、高校の同級生で、23才で結婚し24才で私が産まれました。

なので、父は、結婚してからが「遊び盛り」だったと、自分で笑っていました。

本当に秒毎に気分が変わるし、自分の立てた旅行の計画が3分もずれたら怒鳴るし、殴るし、私は父が大嫌いでした。

中学に入り、通知簿の評価が「1」下がると一発、殴られるのです。

でも、上がった時は、何にもありません。

「2」下がって「3」上がった時、私は「上がったことには変わりはないし」と喜んでいましたが、父は「下がったことに変わりはない」と、やはり2発殴るのです。

母も祖母も助けてはくれず、中学生の頃から「一人暮らしをしたい」と、家を出ることばかり考えていました。

大学生になって、お昼は9時から5時まで働いて、夜は大学に行き、一回生の時に貯金をして、19才になった私は、2回生になって、やっと一人暮らしを始めるのですが、本当に解放された気分で、それはそれは嬉しかったのでした。

事実、生活は厳しくて、学費も生活費も家賃も自分で賄わなければいけないので、しんどい時期でしたが、それでも、辛いとは思いませんでした。

暫く、父とは離れた生活をしていたのですが、私が腎炎になってしまい、実家に呼び戻されてしまいました。

父は家で仕事をしているので、私は「1人になる」場所を失ってしまいました。

怒鳴られても、逃げられない。

しかし、その頃一人暮らしをしていた弟が職を失い、どうしようもなくなったので、父に「あいつの面倒を見てやらなあかんさかい、お前は出て行け」と言われ、私は喜んでまた一人暮らしを始めました。

しかし、弟が自死し、父は家で1人でいることができない精神状態になってしまい、朝からお酒を呑んで、絶えず身体の中にアルコールが入っているようになり、とうとう半年後に入院してしまいました。

お見舞いに行くと、手振りで「何かつまむものを持って来てくれ」と頼んだり、病院の玄関の近くにある自動販売機でこっそり飲む「いちご牛乳がおいしい」とか、今までの父とは思えない人になっていました。

しかし、人工透析をするようになり、摂取する水分を極端に制限され、父は非常につらい思いをしていました。

何度か危篤状態になり、隣のベットのおじさんが看護師さんを呼んでくれはる、ということが2度ほどあり、父は個室に入ることになりました。

そして、父は、いつも誰かがいるようにしていたのにも関わらず、母も私も伯父も、誰もいない時に、1人で亡くなり、巡回の看護師さんに変わり果てた姿で発見されました。

すぐに連絡が来て病院に駆けつけましたが、院長先生が心臓マッサージをしてはり、直接心臓に長い長い針で直接注射をしたり、電気ショックをしたり、手を尽くしてくれはりましたが、父は、もう戻ってはきませんでした。

その時の父は、まだ55才でした。

父の晩年は、穏やかな性格になり、私のことを名前で、しかも「ちゃん」付けで呼んだり、人工透析をすることが決まった時は、身体障害者1級になったので「あのな、ワシ、1級やさかい、これ以上悪うなったら、初段になるねん」と冗談を言っていました。

 
私は、この世の中で、父のことが一番大嫌いで、一番大好きでした。

殴られても、それでもグレたりできなかったのは、多分「お父さんに好かれたい」と思っていたからだと思います。

父が亡くなった日のお昼、院長先生に
「ワシの夢は、孫抱くことですねん」と言っていたと、聞きました。

私が腎炎のために「妊娠・出産は諦めてください」とお医者さんに言われていたのにも関わらず、たかしを妊娠し、ひどい妊娠中毒になりながらも産んだのは、そんな父の言葉を聞いていたからです。

産まれたばかりのたかしを見て、祖母は、父の名前を呼びました。

それほどまでに、体格や大きさや顔つきが、父に似ていたそうです。

私は、また、父に会うことができたのかもしれません。


両親は同じ誕生月で、同じ月に亡くなっています。

2人共、絶えず「離婚する」と言い続けていましたが、結局、離婚することなく、一緒のお墓に入っています。

どうしても途切れない「縁」があったのかもしれません。

父が亡くなって、もう18年。

私も同じく、年をとりました。

たかしが、笑う時に片方の頬だけで「にやり」とする顔は、まるで父です。

こんなところに、お父さんがいてました。
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# by marurin373 | 2016-02-20 23:43 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

てがみ

何か探し物をしていて、引き出しを整理していた時のこと。

たかしの、私への「てがみ」が出てきました。

もう、すっかり忘れていた「てがみ」です。


ぼくの悪かったとこ

「1.かあちゃんにかまってほしいから わるいことや つめたいことを かあちゃんをこまらせた
だから おこられた
かあちゃんと遊んでいたらうれしくて やってたら負けたりして かあちゃんをがっかりさした。
この書いていることも かまってほしくて書いた。」


たかしは、漢字を使っているので、小学校の中学年くらいの時やろうか?

思うに、たぶん、この頃は離婚調停や裁判、金銭的なことも含めて、生活をしていくことに余裕がなかったのかもしれません。

しかし、たかしに、こんなに悲しい手紙を書かせてしまうなんて、母として本当に落ち込みました。

私は、いつもそうです。

たかしを守る為に頑張ると、肝腎のたかしを放ったらかしてしまいます。

今も、高校の学費の為に区役所に通ったり仕事をしたりしていて、たかしの晩ご飯が夜遅くになってしまったり。

本当にかわいそうなことをしていました。

大いに反省しきりです。

私は「1人で、かあちゃんもとうちゃんもしないといけない」と言った時、高校の時の同級生が「息子くんが、息子と旦那をしてるんちゃう?」と指摘され、ハッとしました。

しんどいのは、私だけやなかったんや。

たかしも、同じように、しんどい重荷を背負っているのかもしれへん。

私に、ただ「かまってほしい」と書かれた「てがみ」は、大事に財布に入れておいて、絶えず目に付くようにして、気を付けたいと思います。

ごめんな、たかし。
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# by marurin373 | 2016-02-13 06:38 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(0)

「母」

2月8日は、亡母の祥月命日です。

もう9年が経ちました。

全く悲しくなく、むしろ怒りが消えません。

いろんな方々の恩義を忘れ、その高い高いプライドで自死することを選んだ亡母。

その後始末が、如何に大変やったことか。

たかしは、本当に楽しみにしていたYMCAの「ゆきあそびキャンプ」にお葬式が重なってしまい、行けなくなるし、私は債権者の方々と弁護士さんの間で、とてもしんどい思いをするし。

一番最悪の逃げ方をした亡母を、私は未だ許すことはできません。

私は、一体何年経ったら、許すことができるのかわかりませんが、当分は無理です。

「死んだ」息子のところに行きたくて「生きてる」娘には、全て押し付けて逃げた亡母。

この怒りを忘れる日は来るんやろか?
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# by marurin373 | 2016-02-08 00:53 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(2)

たかしの「言葉」

昨年の12月19日の、高校受験の面接の時。

事前に練習していたそうですが、何を訊かれるのか、全くわかりません。

だから余計に緊張しました。

面接官の先生が
「いろんなことは、事前に出してもらった作文に書いてあるから、今日は君のいいところを、たくさん教えてください」やと。

えっ?

「なんで中学に行けなかったのか」とか、訊かーらへんの?

たかしも動揺しています。

そして、何分か経った頃に「あなたは、お母さんをどう思っていますか?」と訊かはりました。

たかしは、暫し考えた後、
「お母さんは、障害があるのに、ぼくを虐待していた父親と離婚し、ここまで大きく育ててくれたことに、とても感謝しています」と言うではありませんか!

私は、この言葉にうろたえてしまい、びっくりしました。

この後、私に「お母さんは、たかしくんをどう思っていますか?」と訊かはったのですが、たかしの言葉にうろたえていたので、うまく話せません。

「命にかえても、大事な存在です。この子が、したいことを見つけたら、出来うる限り、バックアップしていくつもりです」とかなんとか答えましたが、実はあんまり覚えていません。
たかしの言葉に、あまりにも驚いていたので。

ま、面接やから「いつも寝てます」とか「晩ご飯は手抜きです」とか言えへんもんなぁ。

でも、いくら面接の場だとはいえ、こんな言葉をたかしの口から聞けたことで、今までの苦労が全て吹っ飛びました。

合格はしましたが、今は私が学費の工面など、大変です。

仕事もしないといけないし。

でも、いつも「あの言葉」を思い出しては、自分に喝を入れて、頑張っています。
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# by marurin373 | 2016-01-24 05:28 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(4)

ブログの画像

何年か前から、我が家の年賀状のデザインは、たかしが担当しています。

私は「テキスト・エデッット」で住所と名前を打ち込み、プリントアウトします。

で、その紙の下にハガキを置いて、水平・垂直を見定めて、トンボを付けて、ハガキを外してトンボを繋げて、台紙を作ります。

これを、何枚か、作成。

その紙に、たかしが絵を描き、色を塗り、私はカラー印刷と住所を印刷して、出来上がりです。


しかし、今年は、ちょっと違いました。

「かあちゃん、豊臣秀吉の画像を検索してくれ」と言うのです。

なので、検索し、たかしが「これ」というのをプリントアウトし、予め作っておいた台紙に貼り付け、吹き出しの部分を切り取り、出来上がりました。

もちろん、吹き出しの部分の言葉も、指定されました。

「わかる人には、わかってもろたらええねん。わからへん人には、わざわざ説明する必要はない」と言うので、何の説明もなしです。


ブログのトップページに貼っている画像は、その年のたかしが描いた年賀状の絵なんです。

なので、今年は、1年中「豊臣秀吉」の絵が貼り付けられる予定です。

昨年は「未」で、一昨年は「午」でした。

だから、今年は「申」です。

・・・と、いう訳です。

あ、こんなこと書いたら、また「いらんこと書くな」て叱られる・・・。
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# by marurin373 | 2016-01-22 00:02 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

ことば

最近、年を経るにつれて、私の使う言葉がだんだんと「古い京都弁」になってきました。

以前はそんなことはなかったのですが、気付いたら、たかしに通じない言葉を使う頻度が高くなってきたのです。

昨年の秋に、わざわざこちらまで訪ねてきてくれはった元生徒さんに「なんどきでもええさかいに、またおいないや」とか言うてるし。

たかしにも「そこの、いかき取って」と言ってしまい、たかしがポカンとしたり。

気を付けないと、相槌に「へぇ」とか言うてしまうので、危険です。

「お元気ですか?」との問いかけには「へぇ、なむなむと」と答える。

「よりによって、そんな時にこそ、そうなるものだ」という意味で「えんばんと、なぁ、そうなるねんなぁ」と言う。

話しかける時に「なぁなぁ、あんなぁ、へぇ」という接頭語が付いてしまう。

この間は「まぁ、きこんかいにしとぅおくれやす」という言葉が、するっと出てきたから、これは「おばあちゃんが使う言葉」です。

こちらのよく話すようになった靴屋さんのお姉さんに
「よく、京都弁が出とうなぁて思って、聞いてます」と、言われました。

そやなぁ。

私も、今年で半世紀生きてきたんやしなぁ。

特に、幼稚園から高校まで、碁盤の目の中に住んでて、おばあちゃんに厳しくしつけられたし、それが出てきてきたのかも知れません。

「で、て言うたらあかんのえ。え、てお言い。せやないと、げさくな」と、よく言われました。

よくよく考えると、亡父が24才で私の父になったんやし、小学校に通っていた私が10才とすると、おばあちゃんは、まだ60代半ばあたりやったのかもしれないので、案外元気で、現役バリバリやったのかも知れません。

「女は、灰になるまで、女やさかいに」と、よく言うてました。

「今日の野菜炒め、ちょっとしんめりになってしもたなぁ」
とか独り言を言ってると、たかしが不思議そうな顔をしています。

まだ息子は15才で、私は49才やのに、私の使こてる言葉は、もう「おばあちゃん」です。

あかんあかん。

せやけど、しやぁおまへんねん。

なるべく、出ないようにはしているのですが・・・。

通じひんのやもん・・・。
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# by marurin373 | 2016-01-14 03:26 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

タイムワープはしない

先日、何十年振りかに「レイトショー」に行ってきました。

1人で、です。

今回観る「レイトショー」では、お米を投げたりクラッカー鳴らしたり掛け声かけたり歌ったり踊ったりも、一切しません。

おとなしく、観ました。

前売り券を買っていたのですが、ネットで座席の予約ができます。

当日は映画館に行って、ちゃんとした「当日券」を機械から発券してもらいます。

ちゃんと事前にトイレを済ませ、ポップコーンとコーラのMセット650円とパンフレット700円を購入。

喫煙室で一休み。

そして、20分前に、座席に着きました。


この映画は、私が行ける範囲の中で、3つの映画館で上映されていました。
しかも、3Dなのは、ここだけ。

一番行きやすいところだったので、ちゃんとたかしの晩ご飯を作って、早めに出掛けて、たかしの服を買ったりしていました。

今年は暖冬と値段設定を高くしたためか、ユニクロはいつもセールです。
でも、全然人が入っていません。
ヒートテックもフリースもダウンも、たくさんたくさんあります。

私は、たかしのシャツとチノパンを買って、出ました。

その代わり、GUは、若い子達がたくさんいてはります。

ここでも、たかしのシャツと靴下とパーカーを買いました。

何故か自分のものは「節約」として買わないのに、たかしの高校への通学服ばかりは、買っています。

で、なんとなく、そのビルの上にある、楽器店に行ってみました。

たくさんのギター。ベース。

私は高校1年の夏に、映画館の「もぎり」のバイトをして、ショートスケールのベースを4万円で買いました。

で、うろうろ見ていて、ピックをひとつ、買いました。
一番ハードなのを選びました。

別にまたベースを弾くわけではないのですが、なんか、欲しくて。

そして、わくわくする心を押し殺して、そろそろ映画館に行き、一連の行動を率なくこなし、いよいよ始まりました。


ウッドストックが、すぐそこを飛んでいます。

シュローダーが目の前でピアノを弾いています。

吹き替えなので、チャーリー・ブラウンは、鈴木福くんでしたが、私が見ていた頃は、チャーリー・ブラウンは谷啓、ルーシーはうつみ宮土理でした。

「ピーナッツ」では、ずっと描かれていなかった「赤毛の女の子」が描かれていて、それもなんだか「見てはいけない人を見てしまった」という感じというか、個々のイメージをぶち壊したというか、描いたら終わりというか、往年のファンとしては、描いてほしくなかったです。

スヌーピーは、もふもふしているのかと思って、期待していたのですが、う〜ん、ふわふわとかもふもふというよりも、化繊の「フエルト」で作られたお人形のようでした。

夜の21時20分から始まって、23時に終わるという時間帯だったので、観ていたのは、6人くらいでした。

子供の姿は、もちろんなし。

カップルがいたくらいです。

幼稚園の頃からの、大のスヌーピー好きとして、果たすべきことは果たしました。

・・・見ーひんかったらよかった・・・。

私の中の「ピーナッツ」は、こんなんじゃなかったんやもん。

期待し過ぎていたのかもしれません。

もっとシュールなコミックでした。

初めて覚えた英単語は「sigh」で「ためいき」でした。

あれは、谷川俊太郎さんの和訳が素晴らしかったのだと思います。

マーシーが、ペパーミント・パティに呼びかける時の「sir」も、なんて訳すべきか、かなり悩まれて「先輩」と訳されたと聞きます。

私は、やっぱり2次元の古い人間だったようです。

帰ってから、私のスヌーピーのぬいぐるみを抱いて、寝ました。
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# by marurin373 | 2016-01-12 00:48 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(2)

成長した筈のオレ

「あのなぁ、かあちゃん、」

どこかでたかしが話しかけています。

「オレなぁ〜、」

・・・声はすれども姿は見えず。

「1人でなぁ〜」

どこにいてるん?

「初詣行くしなぁ〜」

どこを探しても、たかしはいません。

おこたの下にも、潜っていません。

「どこにいてるん?」

「あー、んこさんしてるねんー」

トイレを見に行くと、ドアを思いっ切り開け放たれたところに、たかしの姿が。

「戸、閉めんと、してるん?」
「あー、ほんまやっなっ」

しゃべりながら、力むな、息子よ。

私がトイレの戸を閉めないと言って、散々罵った筈のたかしも、戸を開けたまんま、したはります。

ここは、おとなしく、私が戸を閉め、その場を離れました。


お一日に、1人で初詣に行かはったようです。
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# by marurin373 | 2016-01-05 04:48 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(0)

マイナス5キロ

先日、たかしの受験の面接がありました。

「保護者同伴」なので、私も一緒です。

髪の毛は、濃紺に染め直して挑みました。

たかしに対してではなく、私が主に答えなければいけない面接でした。

あれでよかったのかどうか、よくわかりませんが、取り敢えず、受験は終わりました。


そして、次の週の火曜日。

我が家に簡易書留が届きました。

たかし、高校に合格です。

私は思わず泣いてしまいました。

たかしは「これって、ごうかくて漢字やんなぁ?」と言っています。

2人して、気が抜けたようになり、暫し呆然としました。

学校にも届いている筈ですが、とにかく電話して報告をしようとしたのですが、教頭先生に「合格しました」という一言が泣けてしまって言えず、担任の先生とも泣いてしまってちゃんと話すことができなかったので、たかしに代わってもらいました。

クラスで一番最初に進路が決まったそうです。

たかしは、その後「なんかな、胸につっかえてたもんがとれたし、ちょっと寝るわ」と言って、寝てしまいました。

たかしに、サクラが咲きました。

私は、もうずっと食べ物が喉を通らず、5キロ痩せましたが、嬉しさでまたリバウンドしそうです。

嬉しいクリスマスを迎えることができます。
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# by marurin373 | 2015-12-24 13:07 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(6)

我が家は、たかしが通う中学校に比較的近いので、登下校する生徒さんをよく見かけます。

家の中にいても、はしゃぐ声や、ふざける声が聞こえてきます。

確かに、あの「輪」の中に、たかしもいました。

同じようにふざけ、はしゃぎ、そして「お前んち、家近こうてええねぇ」と毎日言われて、帰ってきていました。

いつから、あの「輪」の中からいなくなってしまったのか?

お医者さんが、たかしに
「病気が治ったら、一番に何がしたい?」と訊かはると、たかしは「学校に行きたい」と、即答していました。

だから、いつも言います。

「オレは、不登校とちゃう」と。

「病気で、行けへんだけや」と。

「元気で、健康やったら、毎日行って、勉強して、部活もしたい」と、言います。


始業式から学校に行き始め、3・4週間経った頃になると、たかしは「かあちゃん、しんどいし、今日は休む」と、言い出します。

そしてそのまま、長期欠席となってしまうという繰り返しでした。

その度にたかしは挫折感を味わってきたのです。

お医者さんとも話したのですが、私も「これ以上、挫折感を味わってほしくない」ということで、意見が一致しました。

それで、選んだ高校です。

その受験日が、近付いてきました。

今、漸く、たかしの寝息が聞こえてきました。

夜は寝られず、食欲もなく、胃腸の具合も悪くて、本当に緊張したはります。

それだけ、自分の人生の分岐点に対して、真剣に向き合っているんだと思います。

私は、ただ見守るだけです。

それが如何に難しいことか。

私にとっても、試練です。
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# by marurin373 | 2015-12-14 10:04 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

胃腸

現在、我が家には、胃腸の調子を崩している者が2人、眠れない者が2人います。

受験の日が近付いてくるにつれて、その「不安」は、どんどんと大きくなってきています。

たかしは毎日「胃をな、誰かがつまんでる感じがしてな、そのつまんでる手があるから、気色悪いねん」と訴えます。

「果たして、来年の春、自分の居場所はどこになるのか」ということに、やっと不安を感じ始めたようです。

「そやしな、今できることをな、精一杯したら、不安も消えていくねんて」
「そやけど、面接なんか、何聞かれるか、さっぱりわからへんのやもん」
「そらそやけど、わからへんことやら知らんことを聞かはっても、それをどう答えるか、とか、対策はあるやん」
「んもう、どんどん日が近付いてくるし、胃腸はぼろぼろやし、もう、どないしょ!」

毎日、同じ会話をしています。

実は、私も、夜は眠れません。

来年の春、たかしは一体どうしているのか?

「入学式に着ていくジャケット、これでええなぁ」
「いや、受かってから」

「かあちゃん、学校行く時のカバン、これでええかなぁ」
「いや、合格したらな」

「室内履きのスリッパ、クロックスでええかなぁ」
「いや、受かってから」

「いままで制服やったから、通学の服も買わなあかんなぁ」
「いや、合格したら、考えよ」

お互い「受かったら」の話をしますが、どちらかが、それを制止します。

安心して「入学式に着ていく服」や「通学のカバン」や「室内履き」について、話し合って、買いに行きたいです。

私も整腸剤を飲んで、でも普段通りの顔をして、過ごすことにしています。

内心は、もう、ひやひやもんなんですが。

いっそのこと、もう早く済ましてほしいとさえ思います。

受験前というのは、自分の時でもそうでしたが、本当に胃腸に悪いです。
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# by marurin373 | 2015-12-11 03:24 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(0)

第2段階

今、たかしが「願書」を持って、高校に提出に行きました。

朝一番に中学校に行き、担任の先生に清書した作文を見せ、調査票を受け取り、そして「忘れもんはないか、忘れもんはないか、」と言いつつ、ひとつひとつ確認して、出掛けました。

たかしがひとりで行くのは、これが初めてです。

「もしな、道に迷たらな、どしたらええ?」とか「忘れもんあったら、持って来てな」とか「しんどなったら、迎えに来てな」などと、弱気な発言ばかりしていました。

「かあちゃん、メモ帳、ない?」と訊くので、本当は合格したら渡すつもりだった手帳とペンを渡しました。

「うわ、こんなんもろてええん?」と言うので「合格したら渡すつもりやってんけどな」と答えると「その一言が、んもうすっごいプレッシャー!」と叫び、でもメモ帳は嬉しかったらしく、制服のポケットに入れていました。

「ほな、行ってくる」
「はい、行っといで」
「かあちゃぁ〜ん」
「なんやいな」

ここで、何故か握手。

「気ぃ付けて行っといで」
「いってきまーす」

たかしは、今朝からずっと頭痛がするらしく、よれよれと出掛けはりました。

試験日まで、あと・・・。

2週間と少しとなりました。

8日には、2人揃ってサンパツにも行きます。

私のピンクのメッシュも、一時封印。

さて、どうなることやら・・・。

なんか私まで胃が痛くなってきました・・・。
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# by marurin373 | 2015-12-03 10:51 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

願書

つい先程、たかしが受験する高校の「願書」を書きました。

書きながら「本来は、たかし本人が書くべき書類だったのでは?」とも思いましたが、もう書き出してしまっていたので、そのまんま私が書くことにしました。

貼り付ける為の写真は、中学で、みんな一斉に順番に撮ったらしく、しかもシールになっています。

裏には、たかしの名前と生年月日を書かないといけないのですが、シールなので、油性の細いペンでも書きにくかったです。

端っこを少しづつハサミで切り、調節しながら、漸く写真の完成。

それだけで、なんか一気に疲れました。

間違えないように、ボールペンで書かないといけません。

注意書きには、フリクションのような「消えるペンでは書かないでください」と書かれていたので、とにかく、間違えないように、丁寧に書いていきます。

緊張すると、たかしの名前を書かないといけないところに、自分の名前を書きそうになり、何度も失敗した経験があるので、要注意です。

来月の17日までに、郵送ではなく、たかしが持参しないといけないのですが、提出日は空欄のままです。

課題の作文も、もう清書してもいいと、中学の担任の先生が言わはったらしいのですが、たかしは、その清書した作文を先生に見せてから、提出するつもりなのです。

まぁ、なんにせよ、念には念を入れるつもりらしいので、たかしも受験のことを真剣に受け止め、本当に緊張していることがわかります。

口内炎や、ひどい胸焼け、口唇ヘルペスを親子で作り、2人して、なんとも言えない緊張感漂う雰囲気になっています。

12月も、もう始まります。

笑ってクリスマスを迎えたいと、心の底から願います。
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# by marurin373 | 2015-11-30 01:26 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)