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誘発

「何故、私は両親から厳しすぎる(虐待とも充分言えるような)育て方をしたのか?」

カウンセリングの先生、何気ない友達の一言、精神科の先生の話しなど、いろいろな方々の意見を聞いて、私なりに頭の中で整理が漸くできました。

そして「文字」にすることができるようになりました。

まず、カウンセリングの先生が仰ったことは、
「あなたは、小さい時、親のプライドが保てなくなるくらい論理的で、IQも高くて、頭も良い子供だったのでしょうね」でした。


小学校の時に学校でIQの検査があり、後で母が呼び出されました。

内容は、IQが、他の子よりもずっと高いので、育て方に気を付けた方がいい。もしかしたら、頭脳犯の詐欺師になるか、博士号をとるような子に育つか、両親の育て方次第なのだから、充分気を付けないといけない、ということを担任の教師に言われたそうです。


私の母は、腹が立つと、すぐに舌打ちをし、頰を叩く人でした。

幼稚園に通っていた頃のことなのですが、原因は私が母の言うことに逆らったということで、母はいつものように「ちっ」と舌打ちをし、私の頰を叩こうとしたのですが、その時、私が
「ちょっと待って。おんなじ叩くんやったら、指輪はめてない方の手で叩いて。指輪が当たって、余計に痛いし」と、叩こうとする母の手を止めました。
それで、母は、余計に腹が立ち、指輪を外してまで、私の頰を叩くのでした。

あと少しで小学校、という時に暮らした家は、父方の祖母と一緒でした。

その家は所謂「うなぎの寝床」で、間口は狭いのですが、奥行きはずーっと部屋や庭、離れ、物置き、納屋と続いて行くような古い古い家でした。

時々、母は、私を「物置きにいれる」という罰を与えました。

しかし、物置きは、最初は暗くてよく見えないのですが、目が慣れてくると、天窓から差す光でそんなに「恐いところ」ではありませんでした。
それより、古い京人形や、アルバム、雛人形、五月人形、それに甲冑などもあって、子供心をくすぐるくらい、宝がたくさん納まっている「楽しい」ところでした。

それで、せっかく楽しく探検をしているのに、祖母が私を助けに来るのです。

「また納屋に入れられてたんか? かわいそうに、早よ出といで」と、出されてしまうのです。

その時の私は「また、おばあちゃんとお母さんとの仲が悪うなって、いややなぁ」と、思うのでした。

母がいない時は、祖母が「あんたのお母さん、怒ってばっかりやさかい、嫌いやわ」と、私に言い、母は私に祖母の悪口を言うので、小学生の低学年の頃から、うんざりしていました。

その前、話しが前後しますが、両親が結婚して、私が産まれて暫くは、3人で暮らしていました。

私の一番古い記憶は、夜になり、部屋に布団を敷かれて寝かされるのですが、毎晩、なかなか眠れず、隣の部屋での両親が話しているのをずっと聞いていました。
布団の中にいるのもイヤな時は、こっそり抜け出して、暗い部屋の隅でぬいぐるみで遊んだりしていました。
母がそれに気付いて「いや、まだ寝てへんわ」と言うと、父が「もう、放っとけ」とか話しているのを聞きながら、眠くなるのを待っていました。
2・3才の頃から、不眠症だったようです。

時々、母が父に「もう、車で寝かし付けてきて」と言い「プアーマン・ミニクーパー」と言われる、N360に私を乗せて、京都のいろんなところを父とドライブしていました。
いつもはお酒を呑んで、気分屋で、恐い父でしたが、2人でドライブをしている時は、いろんな話しをしてくれて「この話しは、お母さんには内緒やで」という約束で、本当にいろいろな話しをしてくれました。
その時の私は、まだ3才くらいだと思うのですが、父はあまり「子供扱い」せずにいてくれたように思います。

その3才の時、N360で天橋立まで行ったのですが、京都市からずっと北の方に行くと、山間部に入ります。道もカーブが続き、私は面白くて「ぐわーん、ぐわーん」とか言いながら楽しんでいたのですが、母がやたらと「ちょっと、止めて」と言い、吐いていました。
母は真っ青な顔をして「もう帰りたい」と身勝手なことをいいますが、父に「今からやったら、帰るよりあっち行く方が早いさかい」と宥められられ、ということを何度もして、私もなんかだんだんと楽しくなくなっていって、天橋立まで行きました。

「天橋立ではな、後ろ向いて、股の間から覗いて観るんや」と、父に教わり、後ろを向いて股の間から覗くのですが、うまくできずに、父が笑っていました。

そんな楽しいひと時を過ごすことが悪いことのように、母は青い顔をして、口にハンカチをあててずっとベンチに座っていました。

後でわかったのですが、その時、母は弟を身籠っていて、まだ気付いてなかったのでした。

私は大きくなっていく母のお腹をさわってみたいのですが、母はいつも機嫌が悪く、トイレでは吐いてるし、話し掛けても無視されるし、そのうちに私は大好きな母方のおばあちゃんのところに預けられるようになりました。

「この子が言うことが、いちいち癇に障って、しゃあないねん。しんどいのに腹立つし、そやさかい、暫く、もうずっと預かっといて」と、祖母に手を繋がれている私の目の前で母が言い、帰っていきました。

で、私の4つ下の弟が産まれ、とにかく「お姉ちゃんなんやさかい、我慢しよし」という言葉を、毎日、何度も聞かされて幼稚園に入園して、その後、父方の祖母と暮らすようになりました。

私が95点を取ると、母は「なんであと5点が取れへん!」と怒ります。

けれど、弟が80点を取ると、すっごい褒めるのです。

「この差は、一体何やろう?」という疑問を抱いたまま、大学まで進学しました。

小学校4年生の時に、全国統一のテストがありました。

1人は、京都では老舗で有名で入塾試験があるような塾に通う男の子。

1人は、家で宿題をすると弟がやかましいし、何かと用事を言いつけられるので、放課後に宿題をすませて、晩ご飯の手伝いを言いつけられる私。

この2人だけが、100点をとったらしいのです。

担任の先生がとにかく褒めてくださって「ちゃんと、家に帰ったらおうちの人に言うように」と仰るので、私は帰ってから、どんなテストで、どんな結果だったのか、を報告しました。

次の日。

先生が「昨日、家帰って報告したら、なんて言わはった?」と聴かはりました。

男の子は「よく頑張ったね。次も、頑張って勉強して、100点を目指そうね、と言われました」と、照れ臭そうに言うてはりました。

次に先生が私に「お前んとこは、なんて言うてくれはった?」と言わはったので、ありのまま答えました。

「毎日、予習・復習して、先生の話し聴いてたら、100点は当たり前や、と言われました」

先生は何も仰らず、教室全体がざわざわして「・・鬼ババや」とか「恐いなぁ」とか、そんな声が聞こえてきました。


ある日、学校から帰る頃、雨が降ってきました。

私はどうしようかなぁと、校門の方へ行ったら、なんと母が傘を持って迎えに来てくれました。

私は嬉しくて、思わず「傘、持って来てくれたん?」と言うと、母は「いや、これはあの子のや」と、弟の傘だけ、持って来ていました。

私は悲しくて、いつもなら友達の傘に入れてもらうとか、用務員室で傘を借りたりして帰るのですが、その日は濡れたまま帰りました。

母は「あんたは、傘借りたりして、うまいこと濡れへんように帰ってくるけど、あの子はずぶ濡れになって、帰ってくるねん。そやのに、そんなに濡れて帰ってきたんは、当て付けか?」と、怒られてしまいました。

小学校の6年生の時、京都では一番難しいといわれていた私立の中学を受験してみぃひんか?と、担任に言われたのですが、母に言うと「お金がかからへん中学があるんやさかい、そっちに行かせます」と、わざわざ先生に言いに学校に来ていました。


何故、母が「あと5点」とか、全国統一テストで100点とっても、私立の中学にしても、振り返ってみると、母なりに迷っていたのがわかります。

「頭はいい」と、思ってくれていたとは思うのですが、けれど「それ以上」のレベルになると、私はどこまでいくのかがわからない。
とにかく、私は「できるだけ、普通のレベルのところで、トップを取る」というふうに育てたかったのかもしれません。


大学になっても、両親は、申し合わせたように同じことを言うてました。

「子供には、親が手をかけなくても、自分でなんとかやっていける子供と、親が手をかけないとあかん子供がいてるんや。お前はなんとか1人でも生きていくようになる。けど、あいつは、わしらが手を貸したらんと、生きていけへんのや」


私は、朝から夕方まで働いて、自分で学費を捻出し、2回生から独り暮らしをするように言われました。
だから、いつもお金がありませんでした。

弟は、志望校に落ちたので、定時制高校に行き、3年間だけバイトして、4年生は絵の塾に通わせてもらい、年間何百万もする美大に進学しました。

両親は、私のことを、本当はどう思っていたのでしょうか?

信用していたのでしょうか?

それとも、恐がりつつ、毎日顔を合わせていたのでしょうか?
まるで化け物のように。

私も、受験の時や、定期テストの時は、必死で夜中まで勉強してました。

何も勉強しないから、弟はテストの点数も悪いのです。

けれど、弟には、私にはない「絵」の才能がありました。

両親は、大事に大事に弟を育て、お金をかけていました。

しかし、26才で、自らの人生を終えました。

「なんであんたが残ったんやろな。あんだけ大事にしてたのに、死んでしもて」と、母が呟いたのを、聞いてしまい、改めて、私は「自分」について深く考えるようになり、後追いもしましたが、生き残ってしまいました。

今、弟、父、母と亡くなって、私1人が残りました。

「天才も20才越えたらただの人」です。

今は、誰に相談することもできず、手探りでたかしを育てています。

「言われて悲しかったことは、言わない」と「余程のことがない限り、叩かない」

この2つだけ、決めています。
それでも、たかしを傷付けてしまうことを言うてしまっています。

「親としてのプライドを保つ為に、厳しく(虐待とも言えることも多くあるが)育てた」

これが、私の両親の本当のところだったのでしょう。

許すとか許さないとか、もうそんなことはどうでもいいことですが、私がこんな年になり、たかしという息子と暮らしているからこそ、わかったことかもしれません。

ただ、その「親としてのプライドを保つ」ということと、殴るということ、私が「知らなかった」といくら言っても「いや、お前は知ってた」と言って、信じてもらえないことなどが、その「親としてのプライドを保つ」ことと同じだ、とは、私は違うと思います。

両親は、IQなどというテスト結果や、定期テストや、通知簿の数字というフィルター越しに私を見ていたのかもしれません。

弟が亡くなった時、私が父の胸に顔を埋めようとしたら、突き飛ばされました。

両親にとって「子供」は、弟だけだったのかもしれません。

母は、30前になった私に「ちょっと勉強できるから、て、こずらにくいことばっかり言うあんたのこと、大嫌いやったわ」と言うし。

私は、ただ単に「テストでいい点とって、褒めてもらいたい、好かれたい」と思い、頑張って、友達とも遊ばずに勉強してたのに。

それが、気に入らなかったとは。

独り暮らしの家に帰り、ビールを呑みながら、久し振りに、泣きました。


けれど、もう全てすんだ事。

いつまでも引きずることではありません。

今は、私が「親」世代です。

それに、あの人達も、もういません。

時折、父に殴られる寸前の「・・・来る!」というびくっとした感覚が、現れます。
フラッシュバックというものです。

もう、文字にすることで、この問題については、私の中では終わりました。

今は「親」としてたかしを育てなければいけません。

私の人生の中での疑問が、ひとつ、クリアになりました。

あとは、たかしと前へ進むだけです。









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by marurin373 | 2017-10-19 14:09 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

混乱

いろんなことを、ずーっと考え続けているのですが、うまく言葉にできないでいます。

ちょっと頭の中を整理整頓して、文字にできるようになったら、また綴ってみたいと思っています。

短期間の間に、いろんな考え方や、助言や、叱責や、いろいろなことを受け止めきれずにいて、その上に、しないといけない事がたくさんあり、心身共に疲れています。

文字にすることができたら、頭の中も整理できたということなので、暫くは考えつつ、文字にできるようにしていきます。










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by marurin373 | 2017-09-03 21:36 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

弟が「お姉ちゃん、お姉ちゃん、いつまで寝てるねん」と、いつもの鼻声で、私を起こしました。

それで起きたのですが、今は2017年の7月9日になったばかりの深夜。

たかしが私のベットの下で寝ています。

弟の声を、確かに聞いたのに、あれは「夢」やったんか・・・。

そう思うと、堰を切ったように、涙が溢れてきて、泣いて泣いて止まらなくなりました。

寝ていたのに、たかしも「どうしたんや?」と起きてきて、私が泣きながら「お姉ちゃん、て、呼ぶから、起きたのに、いてへんかった」と言うと、眠たいのと、毎年のことなので、たかしも、だんだんとそんな私に嫌気がさしてきたようで。

「もうな、そんなに毎年毎年泣いてたらな、天国で、困ってはるからな、もう、そろそろ乗り越えなあかんのちゃうか?」と、たかしが言いました。

「乗り越えられるて、思うか?」
「生きたはった時よりも、亡くならはってからのほうが、もう長いんちゃうのん」
「ちがう! 26年、生きてはって、亡くなってから、20年やもん!」
「もうな、乗り越えな、仕方ないんちゃうのん」

ここで、私は、決してたかしに言ってはいけないことを言ってしまいました。

「そやかて、たかしは、一人っ子やん。兄弟無くす、悲しみはわからへんやん」と。

たかしは「そやな、確かに、オレは一人っ子やしな、あんたの悲しみはわからへんわな」と言って、あっちに行ってしまいました。

今の私の言葉は、決して言ってはいけないことです。

私が、たかし以外の子供を産まなかったんやから。

「親」が「子供」に対して、言うべき言葉ではありませんでした。

でも、簡単に「乗り越えな、仕方ないんちゃうのん」と言うので、つい、口から出てしまいました。

私は、弟を、あんなかたちで亡くした悲しみを、分かち合う家族も、もういません。

父も、母も、もうとっくに、あっちに逝っています。

独りで、堪え、耐え偲んで、泣き、やり過ごすしかない、淋しさもあります。

7月1日の、弟の祥月命日の日に書いたブログは、今読むと、ウソばっかりです。

「そういう風に思うことにしよう」という、内容です。

そして、たかしが望んでいることを、書いただけでした。

弟が亡くなったことと、たかしがいてることは、決して「同じ」になることは、ないのでした。

ただ、毎年、私が号泣する姿を見て、たかしが困り果て、どうしたらいいのかわからない、という姿を見てきているので、私は「姉として」よりも「母として」の立場で、書いたものでした。

けど、やはりそんな簡単に、すっきりとできる訳もなくて。

ちゃんと泣いてなかったから、ずっとずっと、ツラい気持ちが心の中で暴れていて、抑えるのに必死でした。

私は、深夜に号泣し、たかしにひどいことを言い、でも「かあちゃんも、落ち着いたら、ちゃんと寝ぇな」と声をかけてくれて、たかしは寝てしまったようです。

たかしにしたら「乗り越えんと、仕方が無い」と言うしか、なかったのだと思います。

毎年、泣いてる母親にかける言葉など、16才の男の子に思いつく筈もありません。

それでも、たかしなりに、私の為に、考えて言ってくれた言葉やったんやと思います。

その言葉に、逆らうような態度をとってしまい、言ってはいけないことまで言って。

「姉」としても「母」としても、失格です。

悲しい時には、ちゃんと、でもこっそりと、泣かないと、こじれてしまうということがわかりました。

朝になって、たかしが起きてきたら、ちゃんと謝ろうと思います。

それまで、私も、少し寝ることにします。

「ええかっこしい」な内容のブログは、後でしっぺ返しをくらうということも、身を以て知りました。

今は、いろいろな思い出や、弟の声や、顔や、歌っている声、話し合っていた言葉、初めて赤ちゃんの弟を見た時のことやなんかと、それと、たかしがお腹にいてる時のことや、赤ちゃんの時のこと、そして悲しい思いをさせてしまっていたことやなんかが、頭の中をぐるぐるしていて、文章もきちんと書けていません。

頭の中を整理して、ちょっとでも落ち着く為に、そして、本音のブログを残す為に、ただ心のうちを文字にしています。

後で読んだら、また変な内容になっているかもしれません。

素直に「悲しくて仕方が無い」という自分も、認めないとダメですね。

それと、たかしは私の「息子」であって、決して私から甘えてはいけないということも、肝に命じました。

たかし、ごめんなさい。

かあちゃんは、言い過ぎました。

・・・練習です。

そろそろ、寝ます。






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by marurin373 | 2017-07-09 03:07 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

20年

今日は、弟の祥月命日です。

今年で、20年。

弟が遺したバンドのカセットを、CDにおこしてもらい、それをMacに取り込んで、最近、ずっと、それを聴いていました。

書類を探さないといけなくて、いろいろと探していたら、小さなアルバムが出てきました。

それをぱらぱらと見ていたのですが、その中で「あれ? 私、たかしとツーショットの写真なんて、撮ったっけ」と思い、よく見ると、たかしではなく、弟でした。

今のたかしくらいの年齢の弟が、そこに私と写っていて、かなり驚きました。

立ってる佇まい、醸し出す雰囲気。

よく見ると、顔は違うのに、あ、鼻と口はよく似ていますが、髪質や、顔色が、あまりにも似ていることに、驚きました。

いなくなって、20年が経ち、今日の私の心境が、少し変わっていることに気が付きました。

弟の26年間の思い出は、とてもとても大事。

私の宝物です。

けれど、これから本当に大事なのは「たかしのこれから」です。

あと9年で、たかしは弟と同い年になり、やがて越えていきます。

「姉として」の役目よりも「母として」の役目の方が大事です。

そう思うと、なんとなく、心が軽くなりました。

弟に会いたくて会いたくて、仕方が無い時があるのですが、それは、26年、お姉ちゃんをしていたから。

もっと大事なことは「母である私」です。


こう言う風に思えるようになるまで、20年、かかりました。

毎年、この日は、たかしにも、つらい思いをさせていました。

泣いて泣いて、苦しんでいました。

その度に、たかしが、私を慰めてくれていました。

そうや。

私には、たかしがいてる。

何故、こんな大事な、大切なことに、気が付かなかったのでしょうか?

悲しみのあまり、母であることを忘れていたのかも知れません。

弟の歌声を聴きながら「たかしのこれから」について、考えていました。


やっと、「呪縛」から、解き放たれたような、そんな気分です。

弟も、喜んでいるかもしれません。

「お姉ちゃん」だったことには、変わりはありませんが、同時に、私は「母親」。

「たかしのこれから」を、1人ではなく、本人のたかしと、学校の先生と、お医者さんと、相談しながら、考えていきます。

で、弟には、見守ってもらうことにします。


いっつも、ありがとさん。

これからも、よろしゅうに。

ちゃんと、叔父さんとして、たかしを守ってや。









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by marurin373 | 2017-07-01 21:50 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

私は、なんでこんなにもアクセサリーを身につけてるんやろう?

ピアスは、両耳で合計16個。

ネックレスは3本首にぶら下げて。

手首には、両手にブレスレットと、大きなG-SHOCK。

指輪は、左手に9つ、右手に6つ。
あ、重ね付けをしているので、5個以上になるのです。

左の親指にも、リングがあります。

たかしに
「オレが、初めて、親指に指輪してはるのを見たんは、堂本剛くんやってん。あの人は、男の人で、しかも芸能人やん。あんたが親指に指輪して、何が嬉しいん?」とか言われますが、別に構いません。

体重がかなり落ちて来て、サイズも大きく変わりました。

「今では指輪も回る程 痩せてやつれた お前の姿」
というのは本当で、今まで左手の薬指にしかはまらなかったのに、右手の人差し指にはまったりするようになりました。

ピアスは、今はかなり地味にしていますが、ホールが大きくなってきて、右の耳の耳たぶの穴の大きさは、5ミリになりました。

「これ以上、ピアスは開けない」と、たかしと約束をしたので、穴は開けてはいませんが、拡がってきています。

ま、29才の時に、初めてピアスを開けて、大きなループピアスをぶら下げたりしていたので、もともと拡がっていたようです。


帽子。

メガネ。

ピアスは、ボディピアスなので、付けっ放しです。

1日おきに外して、消毒して、またつけて。

老眼鏡も、あんまり誰もがかけてはるようなフレームではありません。

この私の様子に、たかしは冷静に非難します。

自分でも、何故こんなにいろいろとつけているのか、わかりません。

「何か」が、私には足りないのです。

その「何か」がわかれば、こんなにも自分をデコレーションすることもないと思います。

なんなんやろう?

確かに、ストレスが溜まってくると、指輪を変えたり、ピアスを変えたりしているようです。

けど「何か」が、足りないのです。

別に、私が付けているものは、1万円以下のものばかりで、高級品が欲しいのではありません。

ま、一番大事な指には、指輪は、つけていません。

「ここ」に指輪をはめることになったら、他の指輪は外すんかなぁ・・・。

いや、キッチリと、はめてたな、確か。

私の好みは、ゴツゴツとしてて、メンズのアクセサリーみたいなものなので、いくら「ええなぁ、この指輪」と思っていても、ぶかぶかで、サイズ直しもできないものが好みだったりするので、重ねてボリューム感を出している・・・と、思います。

ええねん。

もう、誰がなんと言おうと、このまんまで年とって、派手なお婆さんになるねん。

たかしも、その内に慣れるやろし、諦めるやろし。

また、ええのん見つけたら、貯金して、買うねんもん。

・・・たかしが、高校を卒業したら、やけど。

たかしが私立の高校に入学してから、なーんにもアクセサリーは買っていません。

それでストレスが溜まるんかなぁ・・・。

亡弟が造った指輪も、時々はめています。

いろいろな指輪を出して、磨いたりして、小さなジップロックに入れて、メンテナンスもしています。

「いろんなデザインのもんがあるやろうに、なんでそれを選ぶねん?ていうもんばっかり、持ってるねんな」
たかしの小言なんか、右から左です。

けど、お化粧は、全くしません。

たまに、顔色があまりにも悪い時に、色が付くリップクリームを塗るくらいです。

ま、派手なおっさん、ですね。

しかし、私は、どんなお婆さんになるんかなぁ。









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by marurin373 | 2017-04-17 07:10 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

沈んだり、潜ったり

逆ギレした自分が情けなくて、ずずーっんと落ち込んでいました。

毎朝、起きる度に「あれは、現実やったん?」て、いちいち確認して。

そして「現実」やとわかったら、ずずずーーーーっんと。

そんな毎日を過ごし、落ち込む日々を送っていたら。

落ち込むだけ落ち込んだら、なんか、もう、どーでもよくなりました。


そして、体重が3キロ減り、何故か便秘が治りました。

自分の思考と、身体の関係性は、どんな構造になっているのか、かなり不思議です。








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by marurin373 | 2017-03-27 00:03 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

何年も前に、自分で決めた筈やのに。

「火中の栗は、拾わない」
「飛んでくる火の粉は、払いのけるだけ」

また、大火傷をしてしまいました。

今回は、一度にいくつもの大火傷を負ったので、流石に心も折れてしまいました。

最終的には、もう逃げてしまい、たかしに「防波堤」になってもらいました。

暫くは、立ち直れそうにありません。











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by marurin373 | 2017-03-12 20:20 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

自己防衛

昨晩、たかしに訊いてみました。

「なぁ、ばぁばの祥月命日て、いつやったっけ?」
「2月の8日! つまり、昨日! あんたは、実の母親の命日もわからへんのかいな」
「いやな、8日か、9日か、曖昧やねん」
「ま、いろいろあったし、仕方ないやろけど、その日は、YMCAの雪あそびキャンプの日が、お葬式やったし、オレは、覚えてる」
「そやったなぁ・・・」
「お葬式がすんでから、かあちゃんに、雪あそびキャンプて、いつ?て訊いたら、今日やったんやって、オレに言うたやん」
「・・・そやったなぁ・・・」
「だーれも、謝らへんし!」
「そんなん、死なはったばぁばに言いよし」
「そういうと、思てた」
「わかってるんやったら、訊かんときぃな。しゃーないもん」
「ま、ばぁばも、オレの雪あそびキャンプに行かさんとこうて思て、死んだんちゃうやろし」

忘れてて、正解でした。

また、なだらかになった心が、トゲトゲしそうやったし。

取り敢えず「まんまんさん、あん」して、父も祥月命日が今月なので、一緒くたにして、またお墓詣りに帰洛します。









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by marurin373 | 2017-02-10 21:31 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

齢五十にして。

悲しくて、切なくて、苦しくて、どうにもこうにも、なんともならない。

素直に泣けばいいのに、こんな時に限って、涙の「な」の字も出ない。

それが、余計に苦しくさせていることはわかってる。


・・・。

とかなんとか、たかしに訊いてみました。

「悔しくて、時間を巻き戻したくて、でも、もうどうにもならへんさかいに、泣きそうなんやけど、なんかが詰まってて泣けへん時って、どうしたらええんやろ?」

「そんな時は、食うて、寝る」

流石、16才にして様々なことを経験なさっているだけのことはあります。

「食うて、寝る」か・・・。

何かが、喉の奥に詰まってて、夜も眠れへんのやけど。

「それでも、食うて、寝る」

・・・はい。

「アイスでも、チョコでも、とにかく、なんでもええねん。食べられるもんを、食うて、寝たら、すっきりするんとちがうの?」

・・・やってみます、たかし先生。

それでもダメな時は、甘えてもいいですか?

「それは、できひんな」

・・・厳しくて、優しい、たかし先生です。












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by marurin373 | 2017-02-03 23:43 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

ロス

この1年は、とても辛い1年でした。

いろんな報道に振り回され、本人たちから何も語られることなく、2016年は終わります。


それと、毎週YouTubeで2話づつ配信されていた「仮面ライダー龍騎」が、30日に終わりました。

たかしにネタバレされていたのに、やっぱり泣いてしまいました。

「毎週楽しみにしていたもの」がなくなり、いろんな「ロス」に陥っています。

来週からは「555」が配信されるので、ま、そっちはいいのですが。


「ブルーマンデー」の夜の重い気持ちを吹き飛ばしてくれる、あの番組も終わりました。

どこか信じられずにいて、けどやっぱり元の鞘に収まるんちゃうのん?なんて、自分をごまかしていましたが、やっぱり、最終回がやってきました。

来年は、どうなるのか、全くわかりません。

取り敢えず、金曜の夜のラジオを楽しみに聴いて、なんとか自分をごまかしたいと思います。









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by marurin373 | 2016-12-31 00:41 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)