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弟が「お姉ちゃん、お姉ちゃん、いつまで寝てるねん」と、いつもの鼻声で、私を起こしました。

それで起きたのですが、今は2017年の7月9日になったばかりの深夜。

たかしが私のベットの下で寝ています。

弟の声を、確かに聞いたのに、あれは「夢」やったんか・・・。

そう思うと、堰を切ったように、涙が溢れてきて、泣いて泣いて止まらなくなりました。

寝ていたのに、たかしも「どうしたんや?」と起きてきて、私が泣きながら「お姉ちゃん、て、呼ぶから、起きたのに、いてへんかった」と言うと、眠たいのと、毎年のことなので、たかしも、だんだんとそんな私に嫌気がさしてきたようで。

「もうな、そんなに毎年毎年泣いてたらな、天国で、困ってはるからな、もう、そろそろ乗り越えなあかんのちゃうか?」と、たかしが言いました。

「乗り越えられるて、思うか?」
「生きたはった時よりも、亡くならはってからのほうが、もう長いんちゃうのん」
「ちがう! 26年、生きてはって、亡くなってから、20年やもん!」
「もうな、乗り越えな、仕方ないんちゃうのん」

ここで、私は、決してたかしに言ってはいけないことを言ってしまいました。

「そやかて、たかしは、一人っ子やん。兄弟無くす、悲しみはわからへんやん」と。

たかしは「そやな、確かに、オレは一人っ子やしな、あんたの悲しみはわからへんわな」と言って、あっちに行ってしまいました。

今の私の言葉は、決して言ってはいけないことです。

私が、たかし以外の子供を産まなかったんやから。

「親」が「子供」に対して、言うべき言葉ではありませんでした。

でも、簡単に「乗り越えな、仕方ないんちゃうのん」と言うので、つい、口から出てしまいました。

私は、弟を、あんなかたちで亡くした悲しみを、分かち合う家族も、もういません。

父も、母も、もうとっくに、あっちに逝っています。

独りで、堪え、耐え偲んで、泣き、やり過ごすしかない、淋しさもあります。

7月1日の、弟の祥月命日の日に書いたブログは、今読むと、ウソばっかりです。

「そういう風に思うことにしよう」という、内容です。

そして、たかしが望んでいることを、書いただけでした。

弟が亡くなったことと、たかしがいてることは、決して「同じ」になることは、ないのでした。

ただ、毎年、私が号泣する姿を見て、たかしが困り果て、どうしたらいいのかわからない、という姿を見てきているので、私は「姉として」よりも「母として」の立場で、書いたものでした。

けど、やはりそんな簡単に、すっきりとできる訳もなくて。

ちゃんと泣いてなかったから、ずっとずっと、ツラい気持ちが心の中で暴れていて、抑えるのに必死でした。

私は、深夜に号泣し、たかしにひどいことを言い、でも「かあちゃんも、落ち着いたら、ちゃんと寝ぇな」と声をかけてくれて、たかしは寝てしまったようです。

たかしにしたら「乗り越えんと、仕方が無い」と言うしか、なかったのだと思います。

毎年、泣いてる母親にかける言葉など、16才の男の子に思いつく筈もありません。

それでも、たかしなりに、私の為に、考えて言ってくれた言葉やったんやと思います。

その言葉に、逆らうような態度をとってしまい、言ってはいけないことまで言って。

「姉」としても「母」としても、失格です。

悲しい時には、ちゃんと、でもこっそりと、泣かないと、こじれてしまうということがわかりました。

朝になって、たかしが起きてきたら、ちゃんと謝ろうと思います。

それまで、私も、少し寝ることにします。

「ええかっこしい」な内容のブログは、後でしっぺ返しをくらうということも、身を以て知りました。

今は、いろいろな思い出や、弟の声や、顔や、歌っている声、話し合っていた言葉、初めて赤ちゃんの弟を見た時のことやなんかと、それと、たかしがお腹にいてる時のことや、赤ちゃんの時のこと、そして悲しい思いをさせてしまっていたことやなんかが、頭の中をぐるぐるしていて、文章もきちんと書けていません。

頭の中を整理して、ちょっとでも落ち着く為に、そして、本音のブログを残す為に、ただ心のうちを文字にしています。

後で読んだら、また変な内容になっているかもしれません。

素直に「悲しくて仕方が無い」という自分も、認めないとダメですね。

それと、たかしは私の「息子」であって、決して私から甘えてはいけないということも、肝に命じました。

たかし、ごめんなさい。

かあちゃんは、言い過ぎました。

・・・練習です。

そろそろ、寝ます。






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by marurin373 | 2017-07-09 03:07 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

20年

今日は、弟の祥月命日です。

今年で、20年。

弟が遺したバンドのカセットを、CDにおこしてもらい、それをMacに取り込んで、最近、ずっと、それを聴いていました。

書類を探さないといけなくて、いろいろと探していたら、小さなアルバムが出てきました。

それをぱらぱらと見ていたのですが、その中で「あれ? 私、たかしとツーショットの写真なんて、撮ったっけ」と思い、よく見ると、たかしではなく、弟でした。

今のたかしくらいの年齢の弟が、そこに私と写っていて、かなり驚きました。

立ってる佇まい、醸し出す雰囲気。

よく見ると、顔は違うのに、あ、鼻と口はよく似ていますが、髪質や、顔色が、あまりにも似ていることに、驚きました。

いなくなって、20年が経ち、今日の私の心境が、少し変わっていることに気が付きました。

弟の26年間の思い出は、とてもとても大事。

私の宝物です。

けれど、これから本当に大事なのは「たかしのこれから」です。

あと9年で、たかしは弟と同い年になり、やがて越えていきます。

「姉として」の役目よりも「母として」の役目の方が大事です。

そう思うと、なんとなく、心が軽くなりました。

弟に会いたくて会いたくて、仕方が無い時があるのですが、それは、26年、お姉ちゃんをしていたから。

もっと大事なことは「母である私」です。


こう言う風に思えるようになるまで、20年、かかりました。

毎年、この日は、たかしにも、つらい思いをさせていました。

泣いて泣いて、苦しんでいました。

その度に、たかしが、私を慰めてくれていました。

そうや。

私には、たかしがいてる。

何故、こんな大事な、大切なことに、気が付かなかったのでしょうか?

悲しみのあまり、母であることを忘れていたのかも知れません。

弟の歌声を聴きながら「たかしのこれから」について、考えていました。


やっと、「呪縛」から、解き放たれたような、そんな気分です。

弟も、喜んでいるかもしれません。

「お姉ちゃん」だったことには、変わりはありませんが、同時に、私は「母親」。

「たかしのこれから」を、1人ではなく、本人のたかしと、学校の先生と、お医者さんと、相談しながら、考えていきます。

で、弟には、見守ってもらうことにします。


いっつも、ありがとさん。

これからも、よろしゅうに。

ちゃんと、叔父さんとして、たかしを守ってや。









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by marurin373 | 2017-07-01 21:50 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

私は、なんでこんなにもアクセサリーを身につけてるんやろう?

ピアスは、両耳で合計16個。

ネックレスは3本首にぶら下げて。

手首には、両手にブレスレットと、大きなG-SHOCK。

指輪は、左手に9つ、右手に6つ。
あ、重ね付けをしているので、5個以上になるのです。

左の親指にも、リングがあります。

たかしに
「オレが、初めて、親指に指輪してはるのを見たんは、堂本剛くんやってん。あの人は、男の人で、しかも芸能人やん。あんたが親指に指輪して、何が嬉しいん?」とか言われますが、別に構いません。

体重がかなり落ちて来て、サイズも大きく変わりました。

「今では指輪も回る程 痩せてやつれた お前の姿」
というのは本当で、今まで左手の薬指にしかはまらなかったのに、右手の人差し指にはまったりするようになりました。

ピアスは、今はかなり地味にしていますが、ホールが大きくなってきて、右の耳の耳たぶの穴の大きさは、5ミリになりました。

「これ以上、ピアスは開けない」と、たかしと約束をしたので、穴は開けてはいませんが、拡がってきています。

ま、29才の時に、初めてピアスを開けて、大きなループピアスをぶら下げたりしていたので、もともと拡がっていたようです。


帽子。

メガネ。

ピアスは、ボディピアスなので、付けっ放しです。

1日おきに外して、消毒して、またつけて。

老眼鏡も、あんまり誰もがかけてはるようなフレームではありません。

この私の様子に、たかしは冷静に非難します。

自分でも、何故こんなにいろいろとつけているのか、わかりません。

「何か」が、私には足りないのです。

その「何か」がわかれば、こんなにも自分をデコレーションすることもないと思います。

なんなんやろう?

確かに、ストレスが溜まってくると、指輪を変えたり、ピアスを変えたりしているようです。

けど「何か」が、足りないのです。

別に、私が付けているものは、1万円以下のものばかりで、高級品が欲しいのではありません。

ま、一番大事な指には、指輪は、つけていません。

「ここ」に指輪をはめることになったら、他の指輪は外すんかなぁ・・・。

いや、キッチリと、はめてたな、確か。

私の好みは、ゴツゴツとしてて、メンズのアクセサリーみたいなものなので、いくら「ええなぁ、この指輪」と思っていても、ぶかぶかで、サイズ直しもできないものが好みだったりするので、重ねてボリューム感を出している・・・と、思います。

ええねん。

もう、誰がなんと言おうと、このまんまで年とって、派手なお婆さんになるねん。

たかしも、その内に慣れるやろし、諦めるやろし。

また、ええのん見つけたら、貯金して、買うねんもん。

・・・たかしが、高校を卒業したら、やけど。

たかしが私立の高校に入学してから、なーんにもアクセサリーは買っていません。

それでストレスが溜まるんかなぁ・・・。

亡弟が造った指輪も、時々はめています。

いろいろな指輪を出して、磨いたりして、小さなジップロックに入れて、メンテナンスもしています。

「いろんなデザインのもんがあるやろうに、なんでそれを選ぶねん?ていうもんばっかり、持ってるねんな」
たかしの小言なんか、右から左です。

けど、お化粧は、全くしません。

たまに、顔色があまりにも悪い時に、色が付くリップクリームを塗るくらいです。

ま、派手なおっさん、ですね。

しかし、私は、どんなお婆さんになるんかなぁ。









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by marurin373 | 2017-04-17 07:10 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

沈んだり、潜ったり

逆ギレした自分が情けなくて、ずずーっんと落ち込んでいました。

毎朝、起きる度に「あれは、現実やったん?」て、いちいち確認して。

そして「現実」やとわかったら、ずずずーーーーっんと。

そんな毎日を過ごし、落ち込む日々を送っていたら。

落ち込むだけ落ち込んだら、なんか、もう、どーでもよくなりました。


そして、体重が3キロ減り、何故か便秘が治りました。

自分の思考と、身体の関係性は、どんな構造になっているのか、かなり不思議です。








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by marurin373 | 2017-03-27 00:03 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

何年も前に、自分で決めた筈やのに。

「火中の栗は、拾わない」
「飛んでくる火の粉は、払いのけるだけ」

また、大火傷をしてしまいました。

今回は、一度にいくつもの大火傷を負ったので、流石に心も折れてしまいました。

最終的には、もう逃げてしまい、たかしに「防波堤」になってもらいました。

暫くは、立ち直れそうにありません。











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by marurin373 | 2017-03-12 20:20 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

自己防衛

昨晩、たかしに訊いてみました。

「なぁ、ばぁばの祥月命日て、いつやったっけ?」
「2月の8日! つまり、昨日! あんたは、実の母親の命日もわからへんのかいな」
「いやな、8日か、9日か、曖昧やねん」
「ま、いろいろあったし、仕方ないやろけど、その日は、YMCAの雪あそびキャンプの日が、お葬式やったし、オレは、覚えてる」
「そやったなぁ・・・」
「お葬式がすんでから、かあちゃんに、雪あそびキャンプて、いつ?て訊いたら、今日やったんやって、オレに言うたやん」
「・・・そやったなぁ・・・」
「だーれも、謝らへんし!」
「そんなん、死なはったばぁばに言いよし」
「そういうと、思てた」
「わかってるんやったら、訊かんときぃな。しゃーないもん」
「ま、ばぁばも、オレの雪あそびキャンプに行かさんとこうて思て、死んだんちゃうやろし」

忘れてて、正解でした。

また、なだらかになった心が、トゲトゲしそうやったし。

取り敢えず「まんまんさん、あん」して、父も祥月命日が今月なので、一緒くたにして、またお墓詣りに帰洛します。









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by marurin373 | 2017-02-10 21:31 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

齢五十にして。

悲しくて、切なくて、苦しくて、どうにもこうにも、なんともならない。

素直に泣けばいいのに、こんな時に限って、涙の「な」の字も出ない。

それが、余計に苦しくさせていることはわかってる。


・・・。

とかなんとか、たかしに訊いてみました。

「悔しくて、時間を巻き戻したくて、でも、もうどうにもならへんさかいに、泣きそうなんやけど、なんかが詰まってて泣けへん時って、どうしたらええんやろ?」

「そんな時は、食うて、寝る」

流石、16才にして様々なことを経験なさっているだけのことはあります。

「食うて、寝る」か・・・。

何かが、喉の奥に詰まってて、夜も眠れへんのやけど。

「それでも、食うて、寝る」

・・・はい。

「アイスでも、チョコでも、とにかく、なんでもええねん。食べられるもんを、食うて、寝たら、すっきりするんとちがうの?」

・・・やってみます、たかし先生。

それでもダメな時は、甘えてもいいですか?

「それは、できひんな」

・・・厳しくて、優しい、たかし先生です。












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by marurin373 | 2017-02-03 23:43 | 思うこととかなど | Trackback | Comments(0)

ロス

この1年は、とても辛い1年でした。

いろんな報道に振り回され、本人たちから何も語られることなく、2016年は終わります。


それと、毎週YouTubeで2話づつ配信されていた「仮面ライダー龍騎」が、30日に終わりました。

たかしにネタバレされていたのに、やっぱり泣いてしまいました。

「毎週楽しみにしていたもの」がなくなり、いろんな「ロス」に陥っています。

来週からは「555」が配信されるので、ま、そっちはいいのですが。


「ブルーマンデー」の夜の重い気持ちを吹き飛ばしてくれる、あの番組も終わりました。

どこか信じられずにいて、けどやっぱり元の鞘に収まるんちゃうのん?なんて、自分をごまかしていましたが、やっぱり、最終回がやってきました。

来年は、どうなるのか、全くわかりません。

取り敢えず、金曜の夜のラジオを楽しみに聴いて、なんとか自分をごまかしたいと思います。









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by marurin373 | 2016-12-31 00:41 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

2016年、10月13日で「和解」というかたちではありましたが、私が1年半かけて、やっと「離婚」が成立して、ちょうど10年経った日でした。

別居して、調停して、裁判して・・・と、実に1年半かかってしまいました。

元オットは、何故そんなにまで執着して「離婚」したくなかったのか、今ならなんとなくわかります。

「自分よりも弱い立場の者を失いたくなかった」のではないかと思います。

たかしが産まれて、一番大変な時は、全て私任せ。

私は元々慢性腎炎で、ひどい「妊娠中毒症」になり、腎臓を少しでも治す為に、薬を飲まなければならず、母乳をあげることは禁止されました。

なので、たかしは「ずっとミルク、紙おむつ」で育てることになりました。

元オットは、たかしの「うんちの処理」も、できない人でした。

もちろん、3時間置きのミルクなんて、以ての外。

一度だけ、私が38℃程の熱を出し、本当に「仕方なく」仕事を休み、たかしの面倒を見ないといけない日がありました。

今でも忘れませんが、たかしが、3時間程経ったので、泣き出しました。

私は、うつうつとしながらも「あ、ミルクの時間やな」と起きましたが、たかしに風邪をうつしてはいけないし、でも気になるし・・・と思って、元オットがミルクを作るのを待っていましたが、一向にその気配はありません。

たかしは、まだ泣いています。

堪りかねて、元オットに「なんでミルク、あげへんの?」と訊くと、元オットは寝ぼけた顔で「起きたらまず、タバコやろが!」と叫んでいたのを鮮明に覚えています。

あの日から「たかしは私1人で育てていかなあかんのやな」と、決意しました。

そろそろ首や腰が座り出し、少しづつ話し出して「面白く」なってきた頃から、元オットは、まるで「新しいオモチャ」を手に入れたかの如く、面白がっていました。

突然、大声で「たかし!」と、怒鳴り、たかしが怯えて振り向く、その顔を見ては、げらげらと笑う、ということを幾度となく繰り返していました。

だから、今でも「大人の男の人の大声」は、たかしにとっては「恐い」対象となり、トラウマになっています。

今でも、その名残があるのですが、たかしは「大人の顔色を見る子供」でした。

たかしが剣道を続けることができなかったのも「大人の男の先生」が、大声で気合いを入れて試合をしはる姿を見て「なんで、怒ったはんの?」と怯えて、いくら私が「怒ってはるんとちゃうえ」と言い聞かせても、やはり「やっぱり、恐い」と言って、辞めてしまいました。

そんな出来事がいろいろと続き、私が足の手術で入院している間にも、実に様々なことがあったようなのですが、口止めされているらしく、たかしは決して私には何も話しませんでした。

しかし、別居して「もう、とうちゃんと離れてのんびり暮らしていけるのだ」ということを理解した頃に、ポツポツと、私に「こんなことがあった」とか「あんなことがあって、イヤやった」と、話し出しました。

「児童虐待」です。


私が庇うと、余計に、たかしに辛くあたるので、庇うこともできず、私は「このままやったら、たかしは殺される」とまで思うことが何度もありました。

私のことは「足の悪いお手伝いさん」と呼び、障害者基礎年金が支払わられるとの決定通知書が届くと、あっさり仕事も辞めてしまいました。

元オットからは「自分で障害者になったんだから、俺は何にも手伝いたくない」と、きっぱりと言われ、そこには理解や援助が全くないということがわかり、たかしに対する態度も含めて、別居を決意しました。


始めは、どうせすぐ戻ってくるだろうなどと思っていたようですが、私の怒りはただならぬものがあったので、たかしを護る為にも、決して「元のサヤに収まる」などとは思いませんでした。


何故「和解」ということになったのかというと、裁判官曰く「このまま裁判を続け、慰謝料などの取り決めなどをし、裁判を長引かせることは、原告の身体の為にも、精神的なものの為にも良くないと思われるので、和解離婚とする」というものでした。

私は、たかしが22才になるまで、月に2万円の養育費を被告が支払うということが決まっただけでも、有り難く、本当に1日でも早く離婚したかったので、この判決に異論はありませんでした。


そして、たかしの人生に於ける成長の中で、最も辛く、しんどい思春期や、いじめや、登校拒否や、そして病気、高校への進路など、全て私1人が受け止めなければならず、たまには私も夜中に泣いたこともありましたが、なんとか10年という歳月が、知らぬ間に過ぎていたのです。


たかしに「あのな、今日でな、とうちゃんとかあちゃんが離婚して、ちょうど10年やねん」と言うと、たかしは、白けた顔をして「あんな人、別にいらんわ」とだけ言い、隣の部屋に行ってしまいました。

私は、もしたかしが「とうちゃんに会いたい」と言い出せば、勿論会うことに異論はありませんが、たかしは「オレ、本当に、真剣に、ああ、この人には死んでほしいて思たん、とうちゃんだけやわ」と言います。

「どうせ、いろんなとこから借金してるんやろし、相続放棄だけは、かあちゃん、頼むで」とまで言います。


元オットは、来年で60才。

きちんと働いているのなら、定年退職です。

もう、養育費も一度も支払ったこともないんやし、九州に帰って、ママと2人で暮らせばいいのに、と、私は思っています。


けど「結婚」は、して良かったと、後悔はしていません。

たかしという、宝物を授かることができたから。

ただ、私の「男を見る目」が腐ってただけやと、思っています。


・・・ほんまに、いろんなことを経験する人生です。

って、自分で言うのも、なんやけど。




















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by marurin373 | 2016-10-15 01:24 | 今日の出来事 | Trackback | Comments(0)

寝顔

私は、たかしの「寝顔」を見るのが、大好きです。

ほっんとーに、小さい時のまんま。

起きてる時は、偉そうで、私の言うことは全く聞かなくて、なんか喋ったと思ったら「腹減った」と「お小遣い、いつくれる?」です。

でも、寝ている時のたかしは、保育園の頃と全然変わってなくて、16才になったばかりでなんなんですが、かわいいまんまなのです。

そのかわいい寝顔を眺めつつ、いろんなことを思い出したりしています。

どうか、たかしの病気が治りますように。

どうか、単位を落として留年しませんように。

どうか、これ以上たかしが苦しむことのありませんように。

そして、ちゃんと私の言うことも少しは聞きますように。

すやすやと、スヌーピーを抱いて眠るたかし。

次、起きてきた時は、絶対に「腹減った」と言って、起きてくると思います。
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by marurin373 | 2016-07-30 19:54 | 息子(たかし) | Trackback | Comments(0)