笑顔が歪む
2007年 11月 27日
「娘」としての私が、号泣するのです。
この10年間で、5人だった私の家族が、とうとう私1人となってしまいました。
弟、父、祖母、そして母。
私には愛する息子もいます。
愛する友達もいます。
それなのに、何なんやろう、この孤独感は。
息子がやっと自転車に乗れるようになったと、報告することもできません。
母が買ってくれた自転車やのに。
息子のスーツ姿も、ランドセル姿も、とうとう見せられずじまいでした。
私が夜、寝たくないのは、毎晩母の夢を見るからです。
起きたときに「もういない」ことを、毎日毎朝再認識するのが辛いのです。
でも、私は確かに、感じました。
「解放感」を。
皮肉屋の弟に何を言われることもないし、理屈を押し付ける父もいないし、母に「お伺い」を立てる必要もなくなりました。
祖母の嫌みを聞くこともなくなりました。
それでも、淋しいのです。
淋しくてたまらないのです。
でも、同じ立場の「母」としての私は、怒り狂っています。
この、悔しくて悲しい思いを知っているのに、同じ思いを子供にさせた母。
「筋」も「道理」も無視していた母。
その後始末を全て押し付けて、勝手にいなくなった母。
自分のしてきたことから逃げた母。
子供である私の病気や離婚を利用していた母。
同じ親として、許せません。
私の嫌いな言葉ですが、母は私の「反面教師」となりました。
あと1ヶ月もすると、年末・お正月です。
来年のお雑煮は、私が作ります。
丸いお餅と、白味噌。
祝い大根と、小芋。
こちらでは流石に「かしら芋」はありませんが。
私は、お節料理の作り方も、お仏壇にお供えするお膳の作り方も、未だ教わっていませんでした。
なので見よう見まねです。
これからの10年は、何もないことを祈るばかりです。
もう「喪中」のハガキは、出したくありません。
by marurin373
| 2007-11-27 16:52
| 思うこととかなど
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